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大学部活動で得た知見

卒論も終え、残された部活動引退までの日々を自分はここで何を得たのかを振り返りながら過ごしている。

新潟はもう雪が降り始め本格的な冬が訪れている。

「プロサッカー選手になる」という大きな夢を雑に抱えて入学したのがもう四年も前の事だ。

結局「プロサッカー選手」にはなれなかった。
同期には3人のjリーガーが生まれた。
今はその事実に対し、悔しい想いよりも素直に同期として尊敬し、来年以降も活躍して欲しいと本気で思っている。

サッカーに対してギラついた感情が一旦落ち着いたというか、自分の中で整理がついた気がする。

今までは、
サッカーをやる=プロを目指す
というマインドが全てだった。
プロになるために厳しい練習を耐え、日々の生活も徹底した。

しかし、その目標を失った後もサッカーは残り続けるのだ。
そう、サッカーへの関わり方は多様で、プロを目指すことだけが全てではない。

私は気づいた
サッカーは好きだからやっているのだ
サッカーは楽しいスポーツなんだと。

もちろん好きや楽しいと言った感情の先には勝利の為やプレーのために苦しい思いも必要になる時がある。
しかし、苦しまなくてはサッカーでない
という訳ではどうやらないようだ。

プロになるという目標を失いかけていた時
自分の居場所が分からなくなった。
何のためにサッカーをしているのか。
ここまで必死になって何が残るのか。

これは今になって思うことだが
サッカーをやる理由はもう一つある。

それは僕を取り巻く人への恩返しだ。
僕を愛してくれる人は僕に対して
「サッカーを頑張っていて偉いね」
と口を揃えて言ってくれる。

そう、サッカーをいる僕を沢山の人が応援してくれているのだ。
もちろん結果で応えることがいちばんの恩返しだが、結果が出ない時に最低限できること、
それは全力でサッカーに向き合うことだ。

大切な人は急に金輪際、会えなくなってしまうことがある。考えたくもないが。
僕を愛してくれる人への僕ができる恩返しは、一つにサッカーを頑張ることだ。
もちろんいっぱい会って感謝を伝えたいがなかなかそうもいかない。
だから、愛をくれる人が喜ぶこと、それはサッカーを頑張ることなのだ。

会いたい人に会うこと。
この重要性に気づけたのもこの4年間だった。
コロナや大切な人との別れ。

これはサッカーだけに限ったことではないが
ふと頑張れない時、大事な人を思い出してみるといいと思う。
沢山の人が自分を応援してくれている。
それに対しての恩返しは最低限頑張ること。
そう思えたら僕はもう少し頑張れた。

原始的だけど究極だと思う。

サッカーに必死こいた4年間
本当に訳分からなくなる日々もあったけど
真剣に向き合ったこそ得られた知見だと思う
「サッカー選手になる」という夢からは脱線したかもしれないが、今後において大切な事に気づけた4年間だったと思う。

僕の好きな言葉
「選んだ道を正解にする」
この言葉の通り、この4年間は財産になりました。

終わり

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