デジタルコンテンツの未来

デジタルコンテンツの未来
 インターネットが公正でフェアな場所と人々が大きく信頼を寄せていくことが、極めて 重要であると考える。なぜなら、インターネット=「信頼のおける」という「安心感」が常 にあることで、google、yahoo、MSN といった存在が大きく意味を成すことになるか らである。

 これが、損なわれ始めれば、現在のSNS基盤からの流れでの「信頼性」が より重んじられ、「検索サイト」としての「価値が下がる」ことが懸念される。 即ち、検索エンジンの「ウェイトが拡散される」ために、そこに新たな「新サービス業が 登場」する可能性がでてくるのである。

 現行の問題点の見直しは、「世界各国の世界 観の違い」のみ留意し、他は全て「公正」に扱うことが大事であると考える。わが国、 日本国内で「思想、派閥、感情に準拠したサイト操作」が行われた場合、また、そのよ うな犯罪が「ゼロ」になることが、日本人が世界でより良く活躍できる事につながり、今 後、歴史の深い「日本」がどれだけの「未だ価値化されていない大きな財産」の「価値 化に成功」するかということに大きく関わっていると考える。

 背景は、「個の時代への 推移」の過渡期と考えていることによる。象徴的な事柄をひとつ挙げれば、2007年 紅白の締めが SMAP が歌う「世界にひとつだけの花」が良い例である。そういった時 代背景が現在である。これを「極めて重要に受け止め捉えた采配」ひとつで日本は大 きく世界の好評価を受け躍進できると考える。

 例えば、特定のサイトや、或いは Yahoo や Google から申し込める広告サービス(スポンサーサイト)にあらゆる思惑 が関与すればするほど、その後の長期計画運用に大きく支障を及ぼすことになると 考える。政府は、国民ひとりひとりを単位として、いかに公正にすべきかを留意、尊重 し、決して特定の組織の思惑が入らない「公正なインターネット像」をつくりあげること が重要任務だという意見である。

 これにより、「日本に眠っている財産」の「情報化及 び価値化」が成されるプロセスのお膳立てが完成する。「情報の価値化」のプロセス 自体に新産業の出現が多く見られることも当然期待されるが、それ以外に重要なの は、「個の尊厳の実現のかたち」として、ひとつの道が開けるということである。

 人々の 経験や学んだことに基づいてのノウハウや様々な情報を「デジタルコンテンツ」として 位置づけ扱うことにより、例えば、ご老人を介護しているヘルパーさん達の仕事にそ の仕事でのノウハウを共有するための「デジタルコンテンツ化」と、それ以上にご老人 の昔話や、特殊技術のコツなどを聞き取り「デジタルコンテンツ化」し世代を超えてノ ウハウを伝承する手助けもいろいろと可能になり得ることが期待される。その後、そ れを適宜各国語に翻訳し輸出することになるはずであるが、そのこと自体を日本政府 が良く踏まえているかいないかは、目先の政治の采配などとは比べものにならないく らい日本の国益を損なうか否かにかかっていると既に考えている。

 日本の国益がか なうよう日本国民の生活水準が向上するように特に留意して取り計らうことは、ここにきて極めて重要なものであることは確かである。

 近い将来、日本の多くの人が「日本 文化、芸術、文芸、音楽、芸能」などの分野で活躍するようになっても良いはずである。 日本が豊かになった証でもあり、歴史の深い日本から世界への「デジタルコンテンツ 情報発信」は「世界各国にとっても有意義な情報源」となり得る。

 このことを充分に踏 まえていれば、「国民ひとりひとりに対し公正であるインターネット環境」がいかに大切 かが自ずと伺い知れる。 現在では、SNS の為にも「全世界に対し公であるインターネット」を揺ぎ無いものにす ることは最優先であると考えることができる。

 逆説的に言えばインターネットひとつ公 正(世界観調整は除く)にすることが出来ず世界共通にすることができないのであれ ば、人類にとっての「場」が失われることに成りかねないという結論になってしまう。

  こ こで、非常に重要なことを見逃さないでもらいたいという著者からの意見がある。本ブ ログで数回に渡り投稿しているスタンドアローンについて「本当の端末のスタンドアロ ーン環境」を確立することは、コンピュータ業界の問題でもあり、「個の尊厳の根本問 題」がそこにあり、これから未来に渡り、デジタルコンテンツ産業がすくすくと育ってい くか否かが実はここに重要問題が内在していることにあると断言できることである。

  「スキマ」が存在するのである。ここに「スキマ」が存在することは、デジタルコンテンツ 産業での個々の国民の完全な安全収入を揺るがし、敷いては、先に述べた全てのこ とに良くない影響が及ぶと言うことである。人類に泥棒や根本ルール違反者がひとり もいなければ全人類の全民家の家にカギを掛ける必要が無いのであるが、そういう 人間が存在している現在では、この「スキマ」に「悪を生む元:盗むという行為」が発生 するのである。

 このことにより、公正であるはずのものが、特定の「公正でない力」が 入り、特定の人間や、特定の会社、特定の団体が、公正に扱われなくなる。このこと をなおざりにしたり、いわば「犯罪」と片付けることで安易に考えてほしくないのである。

  このことが今後の自国にどれだけマイナスかを考えてほしい。例えて言えば、ラーメン の出前を注文すれば、ラーメンが届き、A 氏宅に電話すれば A 氏宅に繋がる、10個 売れば10個分のお金が入ってくるといった、いわば生活の一部になってしまい、ほぼ 完全に安全が守られていなければならないということである。

 これは、安全管理、治 安の一部だと言って過言でない要件である

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