AI崩壊を観て思うことがある。

 今日「AI崩壊」を観てきました。とても正統派で面白い映画だと思います。近い将来にこうなる事があるのかもと身近に感じられる分、とても現実味とスリルがある作品ではないかと。
この先ネタバレになる内容があります。        

この映画の中で(命の選別)という言葉がよく出てきます。この(命の選別)を企んだのは警察のエリートと総理大臣の座を狙う政治家という、割と最近ではありきたりなパターンなんですが、鑑賞後この(命の選別)について考えさせられました。
というのは、この(命の選別)は生きていて価値のある人間かどうかをAIが自動的に判断して生かすか殺すかを自由に出来るということです。その「価値」の内容は色々あるのですが、私は現実にそれが選別できたらどんな世の中になるのか、と考えてしまいました。というのも世の中のニュースで犯罪に走る人間の勝手な動機などが理解できなくて、こんな奴は死刑で当然。と思う奴でも精神衰弱や冷静な判断ができなかったという理由だけで軽い刑になるなど、自分が遺族だったら…という理不尽な判決ばかりじゃないですか。陪審員なんて居ても居なくても同じ。ハッキリ言って、『精神的弱者は社会的に何をしても裁かれない世の中』なのでは?ある意味この社会では精神的弱者が社会的強者じゃないか。法律が犯罪者を裁かないのならAIが選別した方が世の中、公平になるのではないか?と思ってしまった。もちろん自分は殺される方の人間だと思う。けれど、もっと死に値する奴らはいる。
映画の最後にエリート警察が言った言葉は映画の中の話だけではない、とても私達に近い未来に起こり得る事かもしれないとゾッとすると共に、そうあれば…と感情をかき混ぜられるような良い映画でした。