見出し画像

Aさんへ ⑭(⑨)

Aさんへ

Aさんこんばんは

ずいぶんと昼間の時間が長くなりました
変な時間につい昼寝をし、いまが夕暮れなのか夜明けまえなのか一瞬わからなくなります

先日は心温まるメールをくださりありがとうございました
励まされます

いつもありがとうございます

********

『バイオレットオアクラウディ』

懐かしい顔と、そうでもない顔(近く会ったばかりの幼馴染み。
店のドアを開けたタカシを、店の一番奥大所帯向けのテーブルから幼馴染みのアラタが手をあげ店員のいらっしゃいませより早く「おう。」と呼んだが、明らかに、後ろに立つソノコだけに向けられている視線を認識し一秒で

「帰ろっかな。」

タカシはそのままソノコを連れユーターンしたくなった。嫌な予感しかない。)は無視し、幼馴染みの隣に座る一秒も興味のわかないやけににこやかな女に、

「こんばんは。」

と声をかけ、ソノコに一番端の席を促す。ソノコの隣が自分と壁であればこれ以上安全な席はない。

ウナギの寝床仕様で洞窟のように奥行きが深く幅が狭い店だから、一番の奥のテーブルの一番奥のイスに座らせればソノコの背中と肩の隣は壁になる。もう片方の肩の隣に自分が座れば守備は上々であるはずなのに、心なしか鼓動が早まるのは空腹に流し込んだビールと店内に流れるブルーハーツのせいだとタカシは思うことにする。

土曜日の夜は、金曜の夜とは違う種類の解放感と高揚があるように思う。

アラタのようなイカれた男は土曜日の朝には一週間分の疲労がきちんとリセットされ無駄なエネルギーが満ちる。
常に酔っているような酔狂極まりないアラタを見ているとタカシの頭のなかに、かつてミサオが小学生のリョウに贈った『便所の100ワット。』という言葉が蘇る。

***

ミサオが一人で暮らしていたマンション。祖母と兄弟。三人の週末。お泊まりの夜。

ミサオがつくった夕食を文句を言いながらモタモタ食べていた弟が
「リョウくんお野菜食べなさい。」
と注意されながらなんとか食べ終え、やっと食べ終わった解放感から

「ごち、そう、さま!」

イスの上からジャンプをし、回転しようとしてし損ね半回転で床に着地した。

食べ終えた食器を手にしていたミサオと空中でぶつかり、危うくミサオは食器を落としそうになった。咄嗟に「危ない!」と叫び汚れた食器を胸で受け止めた。ミサオのエプロンは茶色く汚れた。
「プシュー」
と、身の毛がよだつ非ヒーローの効果音を発し、センスの欠片もない自作のポーズで満足げにうずくまって着地を決めているリョウを見下ろしミサオはため息混じりに呟いた。

「リョウくん。あなたみたいな人のことをね、昔は『便所の100ワット』って言ったのよ。」

リョウはその言葉の意味そのものより便所の単語に激しく憤っていた。

***

昔から女に関して節操がなく、イカれ倒しのしかしどうしてもどこか憎めない幼馴染み。高校生活までを共にすることとなった便所の100ワットが向かい風でしかない先輩風を吹かせ、明らかに他意のある視線を後輩のソノコに向ける。害のない昔話で他意をカモフラージュし饒舌さに拍車をかける。

(イカれ始めた。また始まった。)
タカシは苦笑し
(憎めない。無駄なエネルギー満タンのただのバカ。)
言い聞かせる。

100ワットの隣には100ワットが連れてきた倦怠期風情の女が、なにを食べればそこまで不味そうな食べ方ができるのか不機嫌風情を丸出しにしながら時々隣の彼氏を、時々正面のソノコをまじまじ見つめる。刃物の視線。

(色々怖い。)

飲み込むビールが不味いからではなく(全く味がしない。)とタカシはアテ変わりに隣のひとの横顔を見つめる。ソノコは、イカれた視線にも尖った視線にも慣れているのか、または、しっかりしているようで時々ずば抜ける天然な一面からか意に介さぬ様で、静かに笑う。
金曜日の夜。なんとなく2人で観始め30分ほど経過した頃、興味がないとは言わないが興味がなさそうにぼんやりし、
「ソノコ、眠い?もう寝る?」
と聞くとコクリと黙って頷く時の目をしている。ただ、静かにぼんやりソノコはにこにこしている。

**

飲み会からの帰りの車中でタカシは運転するソノコの太ももに手をのせ「眠かった?ごめんね。」とたずねた。

ソノコは少し悲しそうな表情で首を横にふったあと、

「彼氏が自分の目の前で自分以外の女性を褒めるのは他意はないんだって分かっていても傷つくし、でももっと傷つくのは、自分は知らない彼の歴史を知ってる女と出会うっていう事実よね。きっと彼女はさっき疎外感で傷ついたわよね。
すごくまずそうにフィズを飲んでた。
すごくきれいにメイクしてたじゃない。ベージュのグロスが似合って唇がすごく色っぽかった。まつげもダマがひとつもなくてすごくきれいだった。
先輩に会う前にきっと時間をかけて、アラタ先輩のためにきれいになりたくて頑張って。すごくきれいな人だったじゃない。
紫色のフィズをね、唇に当てたときにすごく淋しい色に見えた。
ネイルのモスグリーンに紫が映えてすごくきれいなのに淋しい色に見えたの。悲しくなったわ。だから、きっと私が楽しそうにしたらしたで、気を遣えば遣ったで彼女、どっちにしても淋しかったと思う。」

アラタ先輩。素敵だけどああいうとこがダメなのよね。と、前を向いたまま笑わず深くため息を吐いた。

『グロスとは、口紅と何が違うのかわからないしダマのある状態のまつげというのもわからない。
まつげにダマを付けるなんてむしろ熟練の技がいるのではないか。あと、モスグリーンのネイルと言われると魔女しか思い浮かばなくて怖い気もするが、彼女の爪の色を覚えていないから何とも言えない。

ただ、

シミひとつないつるりとした肌をした彼女が飲んでいたバイオレットフィズを見て、隣のソバカスだらけのソノコが今日は運転手だからビールが飲めず申し訳ないと思った。
ソノコの顔のそれはソバカスなのかシミなのか、紫とバイオレットくらい微妙な違いだけれどソノコがソバカスだと言うなら俺もソバカスでいいと思う。

そしてアラタは、あいつは、あの男はああいうとこがダメなのではなく女に関して全部駄目なのだし他意なくソノコを褒めたと思っているみたいだけどあいつには他意と打算と負け戦とわかっていても猛進する猪より猪的な、バカみたいな、むしろバカしか抱かない勝算しかない。つまり女に関してつける薬のない便所の100ワット。
かつ、あの昼行灯には他意しかないということをあの場にいたソノコ以外の全員が気づいているよ。』

と、タカシは正しい答えをソノコに伝えることを控えた。

四方八方に心を砕きながら飲んだビールが、車の助手席に座りソノコの左腕を引き寄せキスした途端全身にまわりダルくなったし、アラタ先輩の素敵さを打ち砕くのは両者に気の毒な気もした。

返答の変わりにハンドルを握るソノコの頬を撫でた。かすめる程度に撫でた手を、短いワンピースの裾から直に太ももの付け根に置いた。置いたまま「帰ったらすぐしたい。」と囁き、こんな声をもっていたのかと驚くほどに甘ったれた声が自分の耳にも届き呆れたが、酔っているふりを続けた。
「なんにも聞いてないのよねー。そんなに酔ってたら無理よー。ね。」
と、えの形の口でソノコは笑った。素面でも酔っていても世界で一番かわいい。

***

頬杖をつき、会話に相槌を打ち、退屈とも眠そうともとれる笑顔でソノコは静かに笑う。
イカれた100ワットが酒の力によって順当にイカれだした頃合い。「にしても、きれいになったよな。」に「褒めてるようで実は失礼よねえ。」と、はす向かいの100ワットではなく、それに鋭い眼差しを向ける正面の100ワットズ彼女でもなく。隣のタカシに微笑み、テーブルの下で平然とおおらかに、タカシの太ももの付け根に置くソノコの手の重み。
ついさっき出かける直前、
「まだちょっと時間あるよ。」
と急遽味わったタカシだけが知る湿り気や、中に入って初めて知る拘束。永遠に止まりたいと思う空間を思い出させ、手の位置を少しずらして欲しい。と、ソノコに視線で訴えるがソノコは真っ直ぐタカシを見つめ返し、
「眠い?」
健やかに笑う。
勘も察しもいいはずであるソノコの笑顔をながめともかく手をもっと膝のほうへずらして欲しい。でなければ今、入りたい。四六時中なかにいたい。衝動がタカシを満たす。吐いたら吸うのが当然の呼吸や閉じたら開くまばたき、それと全く同等の今すぐ入りたいという衝動。
太ももの付け根に置かれる手から湿度と拘束感に思い馳せタカシは、今すぐソノコを連れベッドに帰りたいと思う。

他の誰にも聞こえぬようブルーハーツに隠れてひっそりため息を漏らしタカシはビールを飲み干す。「100ワットよりイカれてんのは俺。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?