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Aさんへ ⑩(⑤)

Aさんへ

ひたすらにこなす土曜日
忙しいときは時が経つのが早いって、あれ嘘じゃんと思う今日このごろです

嘘とは言わぬまでも意に添わぬ忙しさの合間にふと時計を見上げ「消耗。」の言葉が浮かびます

Aさん楽しい週末をお過ごしくださいませ

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『ラグジュアリー』

シャインマスカットは、パールタイプのころころかわいいモッツァレラチーズと、アボカドをモッツァレラチーズに合わせたサイズにカットしてオイルとレモンドレッシングで和え、フルーツサラダにしようと思う。

アクセントは粒マスタードか、胡椒をガリガリするか、その両方か。
塩味は強めがいいだろうと、その点だけは確信がある。
ミントあたりのハーブを、力強い彩りと爽やかな風味のために添えたいと安易に直感したけれど、濃緑よりシャインマスカットの瑞々しい淡緑を活かすことを優先したいとも考える。視覚や嗅覚は味覚より先に「おいしい。」を刺激する。

きっとシャインマスカットの甘味は、フルーツサラダの「フルーツ」の方が強調されるであろう豊潤な甘味があると思う。甘味を活かすのには強い塩味が必須だと思う。
塩味が甘味をより際立たせる。
一番最初のインパクト、甘味で味覚を元気にしたら追いかける塩味は食欲を増進する。甘くてしょっぱいは最強の正義。
はしりのマスカットはそのまま食べるのが一番おいしいだろうと、小賢しく手を加えるより潔くまずはそのまま食べることが何よりのご馳走だと、そんなことは百も承知よ。と、ソノコは理解している。

『旬の食材にはたくさん栄養がつまってるから旬のものをたくさん食べなさいってよく言ってたよね』
『ばばあな』

ほのぼのと表現するのが最適であろういつかの、兄弟の和やかな会話を思い出す。クルクルと。カタカタ淋しい音をたて走馬灯が回る。あれは、ぬたを夕食に並べた夜だった。
ホタルイカと独活のぬたを小鉢に盛って主菜に添えた。
「お前の風貌とその、派手なマニキュアが塗られた指からこれが作られるって意外だよな。」
「リョウくん文句言うなら食べてからにしなさいよ。」
「食べた。さっき摘まんだ。小鉢じゃなくて丼で食べたい。うまい。」

リョウの声が耳の奥、脳に近い位置で聞こえる。

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「リョウくん、仏にばばあはやめとこうか。」
「ミサオはうまかった。」
「そうだね。料理が上手だったね。」
「うん。ただな、アクも栄養のうちとかほざいてあいつはアクを取らないんだ。煮物でもアクが煮えたぎってるのに掬わないんだよ。
背伸びして鍋のなかのぞいてさ、見るからに栄養の一部にはなり得ない澱みがさ、ブクブクしてるんだよ。
これなんとかしろよって文句言うとさ、気に入らないならリョウくん自分でやりなさいよ。あなた手先が器用なんだから。ってさ。
栄養のうちって、あれ、あいつの手抜きの常套句だよな。
俺はあいつが作った独活の酢味噌和えで腹を壊したことは忘れない。調べたんだ。
独活のアクは下痢を起こすことがある。あいつに文句言ったら、リョウくん食べ過ぎたのねって片付けてた。ちゃんとアク抜きしろよって言ったら、アクは栄養のうちって伝家の宝刀だ。
小賢しいとこあったよな、あのばばあ。」
「リョウくん、クレバーだよ。クレバーって言ってねってリョウくんよく言われてたよね。」
「うるさかったよな。
物腰が柔らかいから誤魔化されるけど、あいつはうるさかった。あれこそばばあの知恵袋的に。二言目には、目にいれても痛くないほどの愛をリョウくんはまだ理解できないのね~。とかほざいてな。」

会ったことのないその人の話を二人は、好ましく話していた。
タカシから聞くより、リョウから聞くより。二人が彼女のことを思い出し語り合う光景をそばで見つめ、聞くことが嬉しかった。彼女のなにかしらが、二人の宝物となっていることは明らかだった。

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ソノコはあの、終わりの始まりになるであろうとどこか遠くで感じていたあの夏の夜、あえて、小賢しくひと手間をかけた夕食をタカシに食べてもらいたかった。
シャインマスカットのポテンシャルに頼るのではなく、そこに祈りを込めたひと手間を加えおいしい栄養にして欲しいと願った。
『おいしい』が、なにかしらの背中を押すことを。なにかしらの歩みを止めることを。三人の夜を終わらせないための祈りだったのか。終わらせるためか。それともただ、タカシから
「おいしい。また作って。」
を聞きたかっただけなのか。わからないままにフルーツサラダに必要な食材を全て買ったのだった。
細長い、透明のパックに詰められた色の濃いミントを買い物かごの一番上にのせた。仕上がったフルーツサラダを見て、やはりミントの存在が必要だと自分は思うのではないかと直感があった。
「うまい。」
リョウの、うまい以上でも以下でもないなんの装飾もない素っ気ない言葉が聞きたいと、その密やかな願望が思考の片隅にひっそりと鎮座していたことを、火を見るより明らかなそれを、始まりから自分の中にあった気持ちだと認め、決めてしまうことはあまりにも受け入れがたい迷いがあった。

フルーツサラダにはミントを足すべきか否か。

それと同じくらいの迷いだった。

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