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Aさんへ⑮

Aさんへ 

Aさんこんばんは
先日はわざわざお電話くださりありがとうございました

タイミングを逃してしまいお話できずとても残念でした
でもメールにてお元気そうなAさんを感ずることができとても嬉しかったです

ドライフルーツの天然酵母パン
いつか必ず頂きにうかがいます

その際にはAさんがお好きなクリームチーズと私が好きなカマンベールを持参いたします
ワインもいきましょう

楽しみです

またメールさせていただきます
お電話も

Sより


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『インサイト』


弔いがてらビールを飲みたくなる。
タカシが好んだドライを。
ずぶ濡れのドブネズミような後ろめたさで、傘をささず雨のなかに立ち自分のなかに蓄積した愚かさを打たれる雨に洗い流して欲しいと願うような今のきもち。たとえば今すぐ懺悔箱に入りたい。

リョウはジャスミンティーの円柱グラスにはりついた水滴を見つめる。
水滴を人差し指でなぞり、湿った指先でカウンターの木目をくるりくるりとなぞる。
「横取りね」
オギの、無装飾を装う平熱より微々高い優しい温度の声がリョウの耳に静かにストンと届く。優しい温度。きっとそれは思い遣り。だからこそ「横取り」の言葉は優しい音として聞くと一層重みを増す。トゲがなくまろやかだから染み入るようにストンと耳に届く。耳から心に届く否応なしに。
優しい温度、優しい音、優しい言葉。
昔観た映画の教会の片隅にあった懺悔部屋。懺悔箱。静かな鎮魂歌。胸の前で両手を組み目を閉じ項垂れる男。箱の外から神父が優しい言葉をかける。


ほの暗い照明の狭い店に充満する音楽と酔狂な騒ぎと肉が焼ける匂い。ジャスミンティーのグラスにびっしりはりついた水滴。優しいオギの優しい言葉。
届いた言葉は心に到着すると鉛のように重くなり消化できないヘドロのように胃を重くする。ためいき。
反省、伝えきれなかった感謝と謝罪、後悔、自責、もしもボックスで過去に戻りたい、尽きぬ懺悔。
どれだろう。どれも全部か。「虫酸が走る」とタカシの目を見つめ吐き捨てた。けれどタカシを好きだった。宝物でお守りでマンケーブだった兄。最後の日まで。今も。

指でなぞる木目がアリ地獄に思える。
「まあいいや。その話。面倒くさいから。
俺、お前に女盗られたことないし。それに生前彼女に手を出したわけじゃないだろ。中途半端に悪者ぶるな気持ち悪い。反吐が出る。何にせよ過去には戻れない。タカシくんはもういない。前を見るしかない。
そんな話どうでもいい。んでさ、女ってさ……」
新しいグラスの真新しい泡に口をつける男友達の横顔をリョウはまじまじと眺める。ここは懺悔箱ではない。耳障りがいいその場しのぎの付け焼き刃的慰めは皆無。旧友であり親友でもあるこの男の、彼女の気持ちがわかる。彼女の横に立ち肩を叩き同情したくなる。「そりゃ惚れるよ。男の俺でさえも惚れてしまうよ。」と。
腹の中だけで呟き否応なしに顔が綻ぶ。
笑ってしまう。笑うしかないと思わせる男友達の声。つまり、今夜はビールを何杯でも奢りたくなるほどリョウは神父でも神でもないただの親友に救われてしまう。
「……ていうかさ。これ、ハイロウズの方だよな。ブルーハーツじゃないよな。」
オギが思案顔で音を読む。シャララとヒロトは歌う。堪らない。優しくて優しくてやってられない。下を向きずぶ濡れで木目をなぞりながら永遠に日曜日に居たくなる時だってあると優しくされてしまう。

リョウはジャスミンティーをゴブリと大きく飲み込む。冷たいジャスミンティーは喉を冷やしながら通過し胃にとどまる。
とても旨いと思う。
久々に会った男友達は元気で優しい。冷えたジャスミンティーはヘドロが張りつく体内を爽やかに鎮静する。鎮痛。飯はうまいし明日も仕事がある。明日も仕事だと奮起することができる。オギと別れ家に帰れば冷蔵庫のなかにケーキがある。自分が産まれたことを祝福してくれる人。「おかえりなさい。」と笑ってくれる人。その胸に顔を埋めればきっと両腕で頭を包み抱きしめてくれる。疲れた?眠い?リョウくん好きよ。

「お前、この歌が似合うな。ハイロウズ。滅茶苦茶似合う。お前にピッタリだよ。」
「は?歌に似合うとか似合わないとかあんの?全くわかんねえけど。でさ、エサだよ。エサの話。女ってさ一緒にいられるだけで幸せ、的なやつ?あれ嘘な。」
「嘘?」
「嘘じゃないにしても最初だけよな。月並みだけどさ、特別なことなんてなくてもあなたといられるだけで幸せとか最初だけでさ3ヶ月くらいしたらやたら記念日が増えてるんだよな。特別な日だらけよ。毎日がスペシャル。誕生日やらクリスマスやらホワイトデーはまあいいとして。出会った日記念だの付き合い始めた記念だの、喧嘩したけど復縁した記念とかさ。
お前覚えられる?
月のほとんどが記念日になってくぞ?月命日だって月一回よ?
特別な日なんだから記念にどっか連れてけとかプレゼントだとか……ただの口実だよな。んなー、もー、面倒くさい。全力で、全身全霊で面倒くせえ。もうさ、どさくさに紛れて月2回誕生日祝ってんじゃねえかな、俺。
あいつの誕生日聞かれたら正直すぐ答えられないもんな。んで、俺の誕生日はさ、雑なんだよな~、扱いが。あからさまに雑よ。」
「誕生日。」
「あとさ、厄介なのがサプライズと手紙な。お手紙。ラブなレターよ。」
「手紙?」
「女はなんだかんだ気持ちのこもったお手紙が嬉しいもんだとか言ってさ。お前そんな繊細な情緒持ち合わせてねえだろって話だよな。毎日何回ラインしてると思ってんだよ。そんな今さら手紙で伝えることもねえっつうの。この前さ今日は天気が良かったね。パスタおいしかったよって書いたら本気でキレてさ。小学生の日記じゃねーとか言って。

これ旨いな。

お前んとこ料理上手いんだよな?
いいよなー。心底羨ましいわ。うちこの前カルボナーラ作ってさ。玉子ボッソボソ。これそぼろ?って聞いたらまじでキレてさ。
苦手なら高度なとこに手を出さなきゃ良いと思うんだけどな。大してうまくないやつに限って難易度高いとこに手を出すのよ。スペアリブとかいって。やばかった。ササミの甘辛煮?って言いそうになって寸止めしたかつての自分を俺は全力で褒め称えたい。スペアリブて。言いたいだけだろ。わたしスペアリブ作れますて。カラオケと一緒よ。音痴に限って難しいとこ手だすのよ。大散らかり。アレンジにもほどがあるわ。聴き終えたころには完全に原曲を思い出せなくなってる。」

深刻み皆無の愚痴を一通り吐き出し、艶々光るオイルを纏ったカルパッチョのタコをフォークに刺して持ち上げ旨そうに咀嚼するオギの横顔をリョウは見つめる。タコからミニトマト、タイ、再度タコ、ビール。

「旨い?」
「旨い。俺いまなに食っても旨い。旨いのハードルが相当低くなってる。」
「うん。おいしい?」
「は?だから旨いよ。おいしいです。なに?なによ気持ち悪いな。お前は俺の女か。おいしいを強要すな。なによ。お前も食えばいいだろ?」
「ん、うん。いや、おいしくてなにより。」

おなかすいたでしょ。
またつくり過ぎたわ。
無理しなくていいのよ。
リョウくんおいしい?
そう。よかった。
またつくるわね。
これ、タカシくんもお気に入りだったのよ。


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