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星のカービィ夢の泉のソフトを母親が購入したら、人間関係もうまくいって、結婚できて、人生が大きく変わった話〜カービィ30周年〜

星のカービィとの出会いは1993年7月、母親が星のカービィ夢の泉のファミコンソフトを購入したことであった。当時には珍しく、昭和一桁生まれの母方の祖父の弟がゲーマーで、家から徒歩2分の祖父母宅には、木こりの与作カセットビジョンがあった。そんなエリートゲーマー宅なので、当たり前のようにファミコンがあった。父は全くゲームをしない人生を歩んでいたが、囲碁やトップマネジメントという経営ゲームにハマっていた。(NEGとかぷじつうとか、電気メーカーを彷彿とさせる会社名が出てくるが、夫はかつてその中の一社に勤めていた。予言だったのだろうか)
母から、カービィ買わない?と誘われて、当時小学校1年生のわたしは「別に・・・」と同世代のエリカ様のように答えたが、ほどなくて母は購入していた。この選択はわたしの人生に多大なる影響を与えることを、まだ誰も知らない。

1、小・中・高生時代


いざプレイしてみると、カービィのピンクで可愛らしい容姿、ホバリングにより落下して死ぬことが極めて少ないアクション初心者に優しい設定、コピーにより様々な技が使える多様性、気づいたらドハマリしていた。絵の練習もした。スーパーのお菓子コーナーで目を凝らしてカービィグッスを探した。
ゲームが壊滅的に下手な母はクリアできず、とはいえ当時小学校1年生のわたしにもラスボスはなかなか難しく、一向にクリアできなかった。陽キャのコミュ力おばけな3歳年上の従兄弟が、クラスメイトから連射機を借りてきてもらい、なんとかクリアしたのを覚えている。ゲームはコミュニケーションであり、人海戦術なのだという教訓が生まれた。
翌年のクリスマスプレゼントはカービィ2になり、こちらもそこそこハマった。カイン×スパークを持って某所にいくのしんどかったのを覚えている。母はすでにカービィを挫折していた。リック・クー・カインが、陸・空・海から来ていると知ったのは大人になってからだった。カービィボールもやった。CD付きの漫画も買った。お菓子コーナーやガチャコーナー、カードダスなど、ありとあらゆるカービィグッズを買った。小さいゲームボーイ風のケースにに小さいカードを入れるグッズも買った。1996年、星のカービィスーパーデラックスが発売される。もはや母は一切やらなかった。わたしだけが欲しがった。はるかぜとともに、ダイナブレイド、グルメレース、洞窟大作戦、銀河にねがいを、趣の違う数種類のストーリーが入っている最高傑作である。洞窟大作戦では、「どせいさんのぞう」「トライフォース」という宝があり、何だろうと思っていると、母が「MOTHER2」「ゼルダの伝説時のオカリナ」を購入していた。カービィもクリアできないのに、どうしてゼルダがクリアできると思うのか謎であるが、これも母はクリアできず、わたしがフォローすることになる。ゲームは人海戦術なのだ。数年後クラブニンテンドーポイントで、星のカービィスーパーデラックスのサウンドトラックと交換するが、まさか十数年後、思わぬ形でお世話になる。
その後も、きらきらきっず、星のカービィ3、星のカービィ64とお世話になるが、中学・高校・大学とすべて国公立で進学する中でゲームの時間が確保できずに、鏡の大迷宮・タッチカービィ・ドロッチェ団はスルーしてしまった。

2、大学生時代


大学に入り人並みに恋をするようになり、ここでもわたしはカービィにお世話になる。彼は藤原基央と吉井和哉を足して2で割ったような痩せ型塩顔イケメンだった。



OKAMOTO'Sのボーカル・オカモトショウ氏似の濃い顔のイケメン男性といつもいっしょにいたので、お互いがお互いを引き立てあうようにして輝いていた。


わたしは、「柏木由紀に色の白いところが似ている(ゆきりんを出した意味・・・)」と言われるような三枚目系顔面であるが、なんかかんやして、塩顔男性との交際に漕ぎ着けた。後日「なんでみずりが塩顔氏のようなイケメンと付き合っているのかわからない」と同じく塩顔氏狙いの先輩から言われるほどの奇跡の出来事だった。後日塩顔氏からは「女性なのにBUMP OF CHICKENとゲームが好きなところ」が評価された旨の回答を得ることになった。カービィきっかけでポケモン・母きっかけでかまいたちの夜とか、MOTHER2とか、ゼルダとか、まあまあ一般教養的なところは履修できており、他の女性と差をつけることに成功したのである。

3、大学生時代(就活)


カービィに救われたのは、これでは終わらない。就活だ。某不動産会社のエントリーシートで、理想の住まいを書いてください、というものがあり、カービィのおうちにインスパイアされた丸いワンルームを書いた。無理くり端っこに風呂とかトイレをねじ込み、発想の違うワタシアピールをし、見事内定を勝ち取った。

4、社会人時代


これで終わらない、職場でもカービィにはお世話になる。同世代男子との付き合いだ。ラガーマンの彼と、アメフトの彼と、他社だが年齢の近い碇シンジ似の青年と、3人よくつるんでいたそう。ある日、あと一人足りないから来いと言われ、スマッシュブラザーズ要員にされた。アメフト氏があまりにうますぎて、ハンデでドンキー使う事態になった。(スマブラはほぼ未履修なので、それがハンデなのかは不明)未履修でもさっと馴染めたのは、カービィのおかげであろう。大して活躍はしなかったが、大人になってお酒以外で遊べるってレアケースなんだなぁとしみじみした。このメンツで岩手県盛岡市から松島行くとか、宮城県南三陸町に春告げ丼食べにいくから来いとか、男の子みたいに接してくれてすごく楽しかった。

5、結婚式


2012年、カービィ20周年、わたしと塩顔氏は交際6年、遠距離2年半を迎え、一つの決断をした。2013年結婚に向けて動き出した。無事異動が叶い結婚、2014年に結婚式をした。カービィの20周年のパズル、ウェルカムボードにぴったり!

両親への手紙のシーンはあまちゃんの家族のBGMを、そして、式のエンドロールで、銀河にねがいをのサントラ曲を流した。
分かる人だけわかればいいと、あまちゃんではアマーソニックを開催していたのを見て、エンドロール曲は即決まった。夫の同期、アルバイト仲間、当然わたしの母親など、気づいたメンバーはニヤリとしたらしい。

6、結婚生活


2018年正月、まとまった時間ができたのでミニスーファミを夫とプレイした。それぞれが履修したソフトが微妙に違うねなんて言いながら、お互いがそれなりプレイした「星のカービィスーパーデラックス」を一緒にプレイした。一人ではどうしてもできなかった「格闘王への道」への道をチャレンジしてクリアした。(母を散々小馬鹿にしてきたわたしだが、実は大してうまくもなく、ほぼ夫が頑張っただけ)カービィを通じて、一人でできないことがあっても、誰かの力を借りればクリアできるかもしれないその先が見られるかもしれない、世界が広がるかもしれないということを学んだ。運動部にも入っていなくて、兄弟もいないので、特に困難にぶち当たることがなかったし、コミュニケーション能力も低かったわたしがここまでこれたのは、はっきりいってカービィのおかげだと思う。

7、結論


カービィ30周年おめでとう!これからもよろしくね。

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