「心の豊かさ」を求めて

 あなたにとって「心の豊かさ」とは何か。○○字で書きなさい-。これは私が高校の推薦入試を受けるとき、出題された作文の課題である。

15歳だった当時、適当に合唱コンクールのことを書いてパスした。しかし、あれから6年が経過した現在、改めて「心の豊かさ」について問われたら答えられるだろうか。

 まず、この問題の出題意図を考えてみる。「心」は「感情」「意志」「思いやり」などを指すのであろう。中高生は多感な時期と言われている。高校受験というタイミングであれば、中学3年間を見直す機会となる。また、これからの高校3年間をより充実させたものに意識づけさせているのであれば、非常に良問と言える(おそらくそこまで考えられていないだろうが…)。

 「心」とは、自分自身の感情であったり、思いやりだったりする自分の気持ちだ。それを日常生活をはじめとした日々の生活を通じて、素直に表現することが「心の豊かさ」へとつながっていくのではないだろうか。

 私は、自分のリアクションを大切にしている。Twitterでは感情的なツイートを残しており、Instagramでは基本的に日記のようなリアクションを含めた文章とともに投稿している(ネガティブなものが多くてご迷惑をお掛けしておりますm(__)m)。

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 しかし最近、SNSに投稿することで「心が豊か」になっているのか疑問符が浮かぶ。写真を撮り、その撮影した感動を備忘録的な役割として投稿するのは、「感情」が刺激されて心を豊かにしているであろう。先日、桜や梅、水仙の花などを撮影した。春の訪れを感じ、その気持ちをしっかりとアウトプットしたかったからだ。

一方で、「インスタにアップする写真を探そう」と思って、写真を撮影するのは、おそらく承認欲求を得たい、で終わってしまうのは心を彩らないのではないか。撮影時に「これは映えそう」という思いが脳裏をよぎったのも事実だ。そのままアップすれば「いいね」をもらいたい承認欲求を満たすためだけの投稿となってしまう。

ただ、インスタ映えを狙ってその時の感動をしっかりと表現できれば問題はない。心を豊かにするにはアウトプットすることが大事だ。学生生活が終わって社会人になれば、心を豊かにする出来事に出合える機会は減るだろう。残り短い学生生活であるが、日常に潜む出来事にアンテナを張り、心を彩っていきたい。

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これからこんな感じのnoteを書いていこうと思いまする。

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