転職か継続か

 社会人1年目が終わりを迎え、4月から2年目に突入する。この1年間、“働く”とは何か、を自問し続けた。職種としては土日、祝日休みが関係ない仕事。シフト上は休みであっても仕事が舞い込んでくることもある。

 SNSの密着している世代であったことが長所にも短所にもなった。長所と言えば、そんな過密日程であっても、友人と電話やLINEをして連絡をとれたことだろう。お互いの仕事の愚痴、近況報告など、打ち解けた間柄だから話せることがある。特に社会人になれば、幅広い年代の方と交流する。すると、自然に同年代との交流の機会が減少したり、また相対的に減るため交流がないように感じたりする。学生時代では考えられなかった環境に、このSNSの存在は少し寂しさを緩和させてくれた。

 短所は、嫉妬である。前述のとおり、休みがシフト制だと自分の出勤日の休み時間に同僚の楽しいストーリーを目にしてしまう。もちろん、SNSはその人物の輝かしい部分を切り取って投稿するものであるので、それが全てではない。それが理解できなければ、SNSは今すぐアンインストールすべきではある。だが、、、だ。職種が異なれば、勤務形態が異なる。仕事量と給料も職種、もっと言えば会社が異なればバランスが違う。そんな“残酷”な世界は誰でも知っているし、だからこそ就活に全力で取り組んできたはずだ。その会社に勤めてしまえばあまり気になることはないが、SNSによって“お隣さん”の様子が目に付きやすくなってしまう。

 何のために働いているのか。仕事の拘束時間が長く、機械的に食事をとっている。コロナ禍の医療従事者は最たる例だが、仕事で社会貢献する重要な仕事は数多くある。たとえ自分のプライベートを削ってでも。しかし、その身を粉にするのが自分の役目だったのか、という考えが頭をよぎってしまったのだ。この話をすると、「でもそれ(仕事)がやりたかったんでしょ?」と言われる。ぐうの音も出ない。ただ、働いてみて、時間に余裕があった大学生時代と異なるこのスケジュールに嫌気がさしてしまうのも理解してほしい。まあ間違いなく自分がそこまで想定できていなかったのが悪いんだが。

 そんなことで次の道を模索しようと考えていた。自分の人生は自分のものでしかないのは事実。その世界に飛び込まなければ知り得ないものがあり、それを無駄な1年ととらえるのではなく、次のステップの踏み台にするのもありだ。しかし、結果的にここで逃げるのは嫌だと思った。仕事の内容自体が嫌ではなく、多忙が嫌なのだと。それもまだ1年目では基礎の基礎しか経験していなかった。自分の可能性を広げるために、「転職」ではなく「継続」を選んだ。

 逃げることは悪くない。ただ、今が逃げるときではないという考えに至った。もちろん、このまま進み過ぎて、後戻りできない可能性も十分にあるが。挑戦してから違う路線に切り替えてもいいかな、と。
自分の人生、私は挑戦を選んだ。

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