見出し画像

理不尽が生んだ軌跡

もしあの部活動にまともな人間が一人でも居たら、私はこんな目に遭っていない。
卒業後、七年経った今でも、二次被害は続いている。


現在のように教員としてではなく、生徒であった私にとって、他の部員が彼氏と遊ぶなどして部活をサボることはさして問題ではなかった。
他人は他人の人生、干渉は出来ない。せめて自分だけでも頑張ると決めていたからだ。
私が問題視したのは、その後、他の部員たちが私に負けた時に、自分たちが美味しいところすべてを手に入れるというストーリーを譲れず、無理やり私から努力の結果をむしり取ったことだ。
彼女らは、私の頑張りを勝手に壊し、揉み消すなど、私の人生に干渉していたのだった。


元々あの部活にはそういう素地があった。
まともな学校では「頑張っても出来ていない」や「空回り」と、ある一人の生徒が他の生徒を嘲笑ったならば、その行動をしている生徒が避けられたり、先生や周りが注意をすることが当たり前とされるだろう。
しかし、あの部活はそうはならない。

なぜなら、初めから認められる人間は入学した時点で決められているからだ。
特に、同部の卒業生の兄弟姉妹・子どもや、とある剣友会の出身者が異様な優遇を受けていた。さらに、その優遇は代々引き継がれていた。
代々の顧問も、コーチも、同校のOB・OGが多く、本件にかかわっているからだ。
あの、独特の気持ち悪さは、閉塞的な関係性からもたらされるものだろう。

おそらく三個下の子たちから、私が抗議したこともあって、そういった陋習は大人しくなったと思われたが、、、根本を変えるつもりがないことは顧問の発言でわかった。

もし正当に努力の上に成り立つ勝ち負けならば、問題はない。しかし勝ち負けが誰かの都合によって左右される、そういったことは本来あってはならない。
税金で成り立っている公立の学校ならば尚更だ。


とある後輩に「なぜこのようなこと(私物化)が許されるのですか?」と聞かれたことがある。
私はどう答えるか迷って、答えた。
「周りの大人たちがそれを黙認・後押ししているから」と。
彼女は剣道が好きで剣道をするためにあの部活に入って来た。
その子に苦しい思いをさせてしまったこと、先輩として、本当に申し訳ないと思っている。
私の現役中に闘って変えなかったばかりに、たくさんの人たちに、つらい経験をさせてしまった。
当時、私はここまで酷いと認識出来ていなかった。
本当に、本当に、申し訳ない。

すべてを察した時、一度学校に告発文と縁切り状を送付し、いじめと不正行為の証拠集めに心血を注いだ。

その後、他の部員たちは更なる不正を重ね、戻って来た私の告発により、ついに表沙汰になった。
私の頑張りは、奇しくも偶然の録画が証明してくれた。
しかし、加害者たちが退部・除籍処分になることも、試合に出られなくなることも、なかった。
つまり、加害者たちは何一つ責任を取らずに済んでしまった。

その結果、卒業後も彼女らはこのやり方を上手いやり方と思い、再び繰り返すに至った。それが新年会(OB・OG会)の集団ドタキャンだ。
加害者主導のもと、最初から黙認していた顧問も、同じやり方をして来た先輩や後輩も、彼女らを注意出来るはずもなく、従った。この段階で、ほぼ全員がいじめの加担者となった。
これに加えて、グループLINE強制退会、私物隠し・処分、お金を盗んだと冤罪を被せて拡散、集合写真を撮影時に後ろからスカート捲り(痴漢行為)、ストーカー行為(無言電話、SNS監視、ピンポンダッシュ、着払い送付)、嫌がらせを第三者に依頼し代行させる等の嫌がらせを行った。
この行動をした人たちは、いっぱしの加害者だ。
連帯感で楽しかったと思うが、それが、世間で叩きのめされている、集団いじめだ。

「揉めているから関わらない方がいい」と一方的に拡散することは、集団いじめを推し進めたということになるのだが、、、わかっているのだろうか?


なぜ私だけがそんな目にあったのか?と不思議に思うかもしれない。
私だけではない。初めて大々的に主張したのが私だったからこうなったのだ。毎年、程度こそ違うが、やり方は同じだった。同じ目に遭った人は、歴代の先輩方や後輩の中にも存在した。
最後まで信じたかったと言っている方ももちろんいらっしゃった。
そんな目に遭った人はみんな、そんなことを仲間に出来るとは思っていなかった。その良心を加害者たちは喰った。
加害者集団の慌て方から判断するに、今までここまで追い詰められたことはなかったのだろう。

多少なりとも事情を知った上で、自分なりの都合で、陋習に唯々諾々と従って来た人たちはその場から逃げる。
なぜなら、自分がいじめ殺した(いじめ殺されることを待っていた)はずの人間と話すことは、バツが悪いことだからだ。

今も、旨みを吸うことを望む人たちは、加害者に協力し、私を攻撃している。

だから、存在し続けている。私以外に、苦しんで来た方々のためにも。
これは、一時的に誤魔化して済む問題ではない。


次いで「なぜほぼ全員がなんとなく分かっているのに誰も声を上げないんですか?」と、第三者の立場の人に尋ねられたことがある。
それは、地元で生きていく上で、色々と面倒くさそうな人や、ウィンウィンの関係を築けそうな人には、あらかじめ自分たちが一番いいところをピンハネしたのち、残りの利益を配分することで恩を売っているからだ。
私が副キャプテンになったり、最後の勝ち抜き戦だけ、先鋒で出したこともそういったことであると思っている。
残念ながら、私には理解出来ず、まったく効果がなかったのだが…
(その選考によって、私が怪我をしていないことを、教員を含む加害者たちがわかっているという証明がここで出来ていることは別として、、、)

どんなにそんな関係はないと否定しても、キャプテンの明らかな比率、その後の関係性を鑑みるに、どう考えても部活の私物化だと、第三者で中立の立場に居る方々はわかってくれるだろう。
もし私の学年の顧問が代わらなかったら、このやり方は表に出ないまま、自分たちの好きなようにキャプテンが選手選考をし、そのキャプテンが次代のキャプテンを選び、ずっとそのやり方が暗黙の了解で引き継がれていくところだった。

正面から私に向かい、具体的な論戦を挑む人は誰も居ない。
しかし、加害者たちは私を潰さなければならない。自分たちの未来、これから出会う人たちへの面子のために。少なくとも、彼女らの嫌がらせは、私の心を潰そうとする良心のない嫌がらせだった。
人脈が尽き、さすがに通用しなくなったが…


これから、あの部活はまた同じことを繰り返す可能性がある。一部の人間の私利私欲を満たすために、簡単でない関門を乗り越え、剣道を好きで入って頑張って結果を出して認められると思っていた人の心を叩き折ること、それは本当に外道の行動だと私は考える。
さらに、入学以前に築いた関係性や地元のコネに甘えて逃げ込み、被害者に嫌がらせをしつつ、事実を誤魔化そうとしている。
そこに、剣道という武道、学校の部活動という特別活動が重んじる「心」はない。


教員とは長いものに巻かれてはいけない、私利私欲に走ってはいけない、何より、生徒第一で考える・動くべき存在だと考えている。
正義というような高尚なものではなく、そういう信念が唯一の味方だと私は思っている。
無論、そんな教員の方が少ないことが現状だ。
正直なところ、教職と部活動を両立することは、非常に難しい。生徒や保護者の協力なくば、進まないこともあることもわかっている。
しかし、それを理由に、ダメなことをダメと指摘出来ないのなら、しかも私腹を肥やすならば、、、
いじめを、よくある理不尽・仕方のないことと主張しても、それは免罪符にはならない。
色々と矛盾だらけの職業とわかりながらも、これから闘っていくつもりだ。


私がいじめを告発した数年後に、私と同い年の元NGT48、山口真帆さんが不正を告発した。
彼女の言葉の一節が私の心に残っている。

「正しいことをしている人が報われない世の中でも、正しいことをしている人が損をしてしまう世の中ではあってはいけないと、私は思います。」

覚悟を決めた告発が、人格否定や陳腐な理由で片付けられないということを、彼女の発言や行動に対する多くの方々の反応が教えてくださった。

貴女のおかげで、私は心を折らずに居ることが出来ました。山口さん、本当にありがとうございました。
新たな夢に向けて、がんばってください。


「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。」
世間には、私なんかより遥かに賢い方がたくさんいらっしゃる。
だから安心して取り組めるのだ。
いつの時代にも、事実を見極め(ようとし)てくれるひとは、存在する。

必ず、時は来る。

一教職の備忘録を、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
それでは、また。

追記
上橋菜穂子さんの『闇の守り人』を読んでみてください。
きっと、私が伝えたいことがわかると思いますから。