しごと、シゴト、私事、支事、死事

『しごと』ってなんですか?

大学を卒業してから、今日まで毎日毎日仕事をしてきました。
息を吸うのと同じぐらい当たり前に。
最初1.2年は、『しごと』が何かなんて考えたこともなかったし、言われたことをただこなして、それが何に繋がって、自分にどう返ってくるかなんて考えてなかった。
『しごと』は『シゴト』だったと思う。

この1、2年、『しごと』について考えることが増えました。
私が『しごと』について正面から考えるときは、うまくいかない時です。
新卒で入社して、3年が経つか経たないかぐらいのときも考えたし、2社目に入社して、営業で未来が描けなくなったときも同じでした。
今回も、うまくいっていません。

『しごと』の捉え方や意味、意義ってひとそれぞれだし、それでいいと思っているけど、前提として楽しいと嬉しいと思う瞬間が有るか無いかは、誰のどの『しごと』においても大切だと思う。
もちろん、うまくいかないことのほうが多いから、楽しい、嬉しいは少ないんだけど。

世の中のほぼすべての『しごと』は一人では成立しないと思っている。
芸術家とか、個人競技のスポーツ選手は一人でしょ!って思うかもしれないけど、芸術家にも資材を調達する人がいたり、個人スポーツ選手もコーチやスポンサーなどの支援してくれる人がいる。
それぞれ役割があって、一つの目標や成果に向かって日々『しごと』をしてるんだけど、反面、個人の行動の集結がその成果に向かっているわけで。
個人が一定のパフォーマンスをしないと成果は遠のく。
一定のパフォーマンスを発揮するのって簡単そうでちょっと難しい。発揮するためには、気持ちが大事。所謂、モチベーションってやつです。
『しごと』は『私事』であると気付いた。

一人で『しごと』をしてると、限界があります。
自分はこんなことがしたい、こんな成果を出したい、もっと早く成果を出したいなどの思いはあっても、所詮、1人。1馬力なんですよね。
その1馬力を、2馬力、3馬力にしていくには、人を巻き込む力や、人の心を動かす力が必要なんですが、私にはそこが足りない。

私は、どんな『しごと』でも誰かや何かのためになっていないといけないと思っています。私一人が多くの人のためになろうとしても、誰かのためになれる限界値があるということでもあります。それが、たくさんの仲間で大きなことができれば、たくさんの人から社会にまで支えることができると思っています。
『しごと』が『支事』になる瞬間ですね。
※少なくとも誰か1人のためになってればいいけど、できればたくさんの人のためになりたい。

そんな理想的な考えに頭を巡られたりしているのですが、最近の私は『私事』がそもそもなっちゃいない。モチベーションの低下ですね。
現在、治療と回復中ですが、このなっちゃいない状態が続くと、すべてのことにやる気を出せず、遅延し、その結果また落ち込むという悪循環が待っています。
『しごと』が 『死事』なってしまう可能性です。

プロフィールでも書いてますが、私には3人の子供がいます。
全員オトコです。w
彼らが社会に出たときの世の中がどう変わっているかはわかりませんが、今の彼らに「とーちゃんは、楽しく『しごと』してるぜ!」って言いたいんですよ。だって、とーちゃんが楽しく『しごと』してなかったら、子供としては絶対なんかイヤなんですよ。

だから、最近のなっちゃいない、この状況を打破するのです。


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