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「ジャマイカビール」歌詞考察 〜愛の後始末〜

櫻坂46の3rdシングル「流れ弾」
TYPE-Bに収録「ジャマイカビール」
参加メンバーは小林由依 遠藤光莉 藤吉夏鈴


この曲は参加メンバーの3人が
とてもカッコよくおしゃれに
歌い上げる大人っぽい曲なのですが
歌詞自体はとても未練に溢れています。
衣装や振り付け
ギターのサウンドにベースの重低音など
カッコいい印象が強いのですが
歌詞をよく見ると
失恋した女性の大人っぽさの中にある
やるせなさや未練がましさを綴った
なんとも悲しいストーリーなのです。

まず1番のAメロ

ジャマイカのビールが好きなわけじゃない
冷蔵庫の中 たまたまあっただけ
あいつが勝手に入れっぱなしで
賞味期限も過ぎてるけど…

"あいつ"という呼び方で
あたしにとって良くも悪くも
つながりの深い人物なのが分かります。
この'あいつ"は後の歌詞によって
元々付き合っていた男性のことを指している
というのが分かってきます。
しかし何故"あいつ"はジャマイカのビールを
置いていったのでしょうか。
日本において結構レアな飲み物ですよね。
気になってジャマイカのビールを調べると
日本で買うには一本450円ほどするそう。
やっぱりレアなビールなんです。
ただ、値段以上に気になったのが
特徴としてとてもフルーティーで
飲み口の軽いビールだということ。
そんなビールが賞味期限切れになっているのは
なんとも不吉な暗示な気がします。

続いてBメロ

思い出は 全部粗大ゴミ
業者が引き取ってようやくキレイになった
大きな涙なんて自分一人では
捨てることさえできないらしい

思い出補正という言葉があるように
人間は思い出を美化してしまう癖があります。
人の心に強く美しく結び付けられた思い出は
たとえ捨てなければいけない場面に遭遇しても
自分一人で片付けられるようなものではなく
誰かの助けがあって初めて片付けられる。
失恋によってもたらされた絶望感が
胸に突き刺さるなんとも苦しい歌詞です。
そして、「業者が引き取って」などのフレーズから
例の"あいつ"とはおさらく同棲していたのでしょう。

サビ

Ah
清々するような恋なら
初めから恋などしない
断捨離なんてできるわけない
未練タラタラだ
今ならまだ間に合うかも
どっちかがごめんと言えば
二人はどうにかなるものだろうか

自分で言っちゃうほど未練溢れる歌詞です。
まだ好きなのは言わずもがなで
「今なら間に合うかも」という歌詞も
間に合わないことなんて分かりきっているのに
少しの可能性に縋ろうとしてしまう
情けなさを生々しくも描いています。
あの時こうしていればな。
こうすればよかった。
そんな心の声が聞こえてくるようです。

2番のAメロ

気に入ってた椅子を置いていったのは
取りに来れるように 口実残したの?
新しい彼女と続かないって
本能的に気付いたんでしょ?

"あいつ"はジャマイカのビールの他に
もう一つ、椅子を置いていった。
ここは色々な解釈ができそうですが
おそらく"あいつ"はもう、
その椅子を気に入ってなど
いなかったのではないでしょうか。
あたし目線ではずっと気に入っていたように
見えていたけど、ジャマイカのビールと同じように
興味を失い置きっぱなしにしたような気がします。
そして気になるのが「新しい彼女」というワード。
どうやら"あいつ"は次の恋に進んでいたようです。
そんな"あいつ"に対してあたしが放ったのは
「続かないって本能的に
気付いたんでしょ?」という
せめてもの意地悪。なんと切ないのでしょうか。
あたしの内に秘めた強い愛とは裏腹に
"あいつ"はだんだんとあたしへの愛が冷めてゆく。
そしてもう一つ、ここの歌詞で気になったのは
「ジャマイカビール」が意味するものです。
ジャマイカのビールはフルーティーで飲み口が軽いと
1番のAメロのところで書きましたが
ジャマイカビールは
若さの隠喩なのではないでしょうか。
その理由としては
「新しい彼女」というフレーズです。
確定要素はありませんが
新しい彼女はおそらくあたしよりも
年下の若い女性な気がします。
自分よりも若い女性と付き合い始めた
"あいつ"のことを思い冷蔵庫を開けると
賞味期限の切れたジャマイカのビールがあった。
ジャマイカは年間を通して暖かい国であり
ジャマイカのビールには太陽が降り注いでいると
表現されることもあるそうです。
そんなジャマイカのビールの賞味期限が切れている。
まるであたしが年齢を重ね
太陽のような明るさや若さを無くし
賞味期限が切れているとでも言いたげに。

Bメロ

愛なんてどうせ不燃ゴミ
どっちかが燃え切れずハートが燻ってる
都合のいい優しさと不都合な嘘を
分別できない女です

愛を不燃ゴミと喩えるところに
あたしのやさぐれ感が出ています。
一見、自暴自棄な言葉のように思えますが
なかなかに言い得て妙です。
愛というものはお互いが同じ火力で
燃やし続けているように見えても
先に片方が燃え尽きてしまったりもします。
今回の場合は"あいつ"の方が先に
燃え尽きてしまい次の炎を灯し始めた。
残されたあたしの愛はというと
炎が消えぬまま、人知れず燻っているのです。
燻るとは物がよく燃えないで煙ばかり出す状況を
いいます。まさに、不燃ゴミなのですね。
思い返せば燃え尽きそうなことを知らせる
サインとして"あいつ"は
都合のいい優しさも不都合な嘘も口にしていたのに
それに気付かず額面通り受け取っていた
過去のあたしが情けなく感じてきて
ひとり寂しくジャマイカのビールを手に持つ
あたしの情景が浮かんでくるようで
胸が苦しくなります。
言葉の真偽を見極めることの分別(ふんべつ)と
ゴミを分けて捨てることの分別(ぶんべつ)が
かかったなんとも切ない
ダブルミーニングが効いていますね。

サビ

Ah
さめざめと泣けるくらいなら
あたしから別れたりしない
忘れるなんて1番苦手
記憶するより…
これからどうすればいいかな
図々しく相談したら
的確なアドバイスくれないか…

どうやらあたしから別れを切り出したようですが
その理由は"あいつ"にフラれると
さめざめと泣くだけでは済まないほど
ひどく苦しんでしまうから
それならいっそあたしからフってやろうという
なんとも悲しい考えからきているようです。
好きな人が自分をもう愛していないことを悟って
自分から好きな人と離れようと別れを切り出す。
もう聴いてるこっちまで辛くなってきます。
人間は幸せだった記憶から忘れてゆき
悲しかった辛かった記憶はなかなか忘れられない 
生き物だと言われています。
この辛い日々もなかなか忘れられないものに
なっていくのが目に見えています。
どうしようかと思い、いっそ"あいつ"に
相談しようかと思ってしまうあたし。
図々しいのは自覚しつつも
それだけ信頼していた人だったのが分かります。
より"あいつ"が罪深い男に思えてきます。

Cメロ

1LDKのこの部屋から
あいつがいなくなってやっぱり広く見える
楽だった存在が大きい
甘えたくなるのよ
Na Na Na…

ジャマイカビール
飲みましょう飲みましょう

ここでまた言い回しこそ違いますが
"あいつ"への未練を吐露しています。
失ってからその存在の大きさに気付く。
当たり前になっているからこそ気付けない。
よく聞く話ではありますが
いざ我が身に降りかかると辛いものです。
そしてここの部分でついに
ジャマイカのビールを飲みます。
最初に書いた通りジャマイカのビールは
基本的にフルーティーで軽い飲み口です。
しかし、この絶望的な状況で飲むビールは
重たくて仕方ないように思えます。

ラスサビ

Ah
清々するような恋なら
初めから恋などしない
断捨離なんてできるわけない
未練タラタラだ
今ならまだ間に合うかも
どっちかがごめんと言えば
二人はどうにかなるものだろうか

1番のサビと同じ歌詞が最後に来ます。
「未練タラタラだ。」
という歌詞の重みが増して聴こえます。
そして、ここまで聴いて気になるのが
ゴミの比喩です。
思い出は粗大ゴミで愛は不燃ゴミ
この曲の歌詞には偶然か必然か
具体的な粗大ゴミと不燃ゴミが出てきます。
それは"あいつ"が置いていった椅子と
あたしがこの後飲み干して発生するであろう
ジャマイカビールの空きビンです。
僕の考えとしては
思い出=粗大ゴミなので
"あいつ"にとって置いていった椅子は
自分1人では処理できない思い出であり
置いていくことであたしにケリをつけさせようと
しているのではないでしょうか。
そして、愛=不燃ゴミという方程式は
ジャマイカビールの空きビンが
"あいつ"への愛の象徴で
あることを示しているのではないでしょうか。
ゴミにしてしまった後悔を強く感じながら
あたしは飲み干したのでしょう。
中身が入ったまま捨てる選択肢もあったのに。
あえて飲み干すところに忘れたくても忘れられない
捨てられた側の燻った心が見え隠れしつつも
これでケリをつけるんだという決意も感じ取れる
なんとも奥深い描写です。

曲調はカッコいいですが
歌詞はとても悲しくて苦しいものでした。
愛の後始末をしてゆく
なんともビターな世界観がどこかクセになる。
そんな曲でした。

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