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「どうしたの?」心配そうに気遣うこの子の名前は、花音です。

水彩画家の中平和寿子さんが、ふと思い浮かんで描いた花音(カノン)。優しく「どうしたの?」と気遣っているような表情。身近な自然の中から小さな幸せを祈っているそうです。

多様性が求められる現代,、SNSを駆使して自分を表現することが身近になっています。一方でどうしても「遠慮」とか「自信がなくて」、表現を「しにくい・したくない」人も居るのではないでしょうか…。そんな人たちの心を置いていきたくない!という思いで、私はこの花音と一緒に言葉を刻んでいきたいと考えてます。

例えば気質的に細かな事が気になってしまう人がいる。あれこれ悩んで、友達に相談したら、「気にしすぎじゃなーい?!」って言われたりする…私もそう、気にしすぎのタイプです。
ここで言えるのは、人ってそれほど他人の事を気にしてないってこと、らしいです。私がそのことに気づいたのは、本当に最近の事。
細かいことを気にする人は、「あの人の顔が一瞬曇った」瞬間や、「ドアを閉める音が大きかった」等にとらわれてしまう。気を悪くさせてしまったのだとしたらどうしようか、と気をもむ時間を何度も過ごしてきたのは、きっと私だけではないはず。

ここで説明。パターンとしては、「私が発した一言の後、あの人の顔が曇った」として、あの人に対して「悪い事言ったのかなぁ…」と悔やむ。そして「次は言わないようにしよう」と反省する。そして次の日、あの人が全く気にしてなかったとしたら、あぁ良かった「取り越し苦労」だったかなって、その辛い時間が終わるのです。

細かいことを気にしない人からは、その「取り越し苦労」が「無駄だ」と言われたりするけど、その時間って、自分が「次は人を傷つけないよう」反省した時間だし、あの人の事を心配していた時間だと思うから…私は「無駄」とは思わないんです。

それより、他の人は「顔が曇った」事に気付かないのかしら、もしかして自分が発した言葉で傷つけたかもしれない、と心配しないのかしら…?

気にしすぎな側からみると、とても不思議に感じるのです。

おそらく私は人の言葉で傷ついてきたから、「他人の傷」に対して敏感になっているのでしょうけど…それって「無駄」でもないし、決して悪いことでもない、私はそう考えるのです。

これから私が綴るのは、敏感に生まれた人への応援歌

花音と一緒に、あなたと共に

やすらぎを感じて生きたっていいじゃない?

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