ライトワーカー?私が?

そんな大それた玉じゃない。

・・・・あれ?ライトワーカーなんて言葉、どこで知って何故検索したんだっけ?

興味ない方はここで引き返して下さい。

ライトワーカーとは、なんて自ら書くこともおこがましいので貼っておきます。

・・・で、Youtubeなどで色々見てきたら、自覚した人はこれから先云々と載ってます。


スピリチュアルなコトは興味はありました。でもどちらかというと霊的な方面でここまで入れ込む気はなかったです。ツインレイとかいう言葉も知ってはいるけれど、だからって運命の人!というような感覚は感情は・・・

過去にかなり入れ込んだ時期はありました。言葉悪いけれどもかぶれたような時期が。

でも現実が辛すぎて、理想とかけ離れすぎているからそのような世界に逃げていると悟った時に、もっと地に足をしっかり着いて現実を見つめようと思いました。

♪目の前の景色が気に入らなくてもじっと睨みつけなさい♪
X(エックス) By B'z 

でもやっぱりというか本質というか、全否定もできません。それは創業者や経営者、社長だって同じ。海外は知らないけれど日本の大企業の方々でも元旦の初詣は欠かさないだとか上棟式だとかそういった事を必ず行うのです。人によってはお抱えの占いさんがいるとかいないとか。
戦国時代裏では祈祷師同士の戦いもあったと聞きます。

未だに神社仏閣が健在するのは何故でしょう。出雲大社の御神体には天皇陛下でさえ拝観することができない。(かのマッカーサーが見て、天皇陛下の沙汰が覆ったという都市伝説があります。真意のほどはわかりませんが敗戦後のGHQ統治の時代、見ることは十分可能だったと思われます)

平将門にあっては祟り的な現象に政府が公式に介入しています。

有名なところでは、将門の首塚を更地にして仮庁舎を建てた大蔵省の職員が多数病死した事件が起こった際、ときの大蔵大臣・三土忠造が神田明神の社司を招き、厳かな鎮魂祭を執り行わせている。日本の公的機関が将門を初めて怨霊と認めた瞬間だ。その後、官庁街一帯が落雷によって炎上した事件が発生した時も、やはりときの大蔵大臣・河田烈が鎮魂祭を催した。

さらにいえば戦後、その地を駐車場にしようとした工事業者が急死した事件を聞き覚えがある方もおられよう(こうした一連の事件は、国税庁の公式ウェブサイトにも記載されている)。

また、1987年5月19日付の朝日新聞夕刊によれば、かつては〈周辺の会社で「首塚にしりや背中を向けて座るとたたりで病気になったり、左遷されたりする」といった話も伝えられ、窓に向かうように机を置いていた会社もあったほど〉だという。

こういうことも含めて、たかがスピチュアル、されどスピチュアルです。

深入りしすぎてもいけないけれど完全無視もまずい、そんなカンジで距離を置いていたのですが。

まあ好きか嫌いか、信じるか信じないかと問われれば好きで信じている方なのですが。

だからこそ、距離を取っていたと。過去に入れ込み過ぎていたと思っていたから。

でも今又こんな事を書いていますけれど。


子供の頃から家族に強烈な違和感がありました。おおよそ子供では思わないであろう違和感。

後々セラピストのところで退行催眠受けたところで行き着いたのは周囲の親戚がおそらく内心思っていたであろう事を私は受けてしまったのだろうと解釈しましたが。

え、これってエンパスじゃん
って、そんな言葉まで知ってしまってるじゃん。

因みに私は若干の霊媒体質であって、霊感はないですよ。


何者かになりたいと常に思っていました。でも今現在何者にもなっていない自分がいます。強烈なコンプレックスと、そもそも他人と比べることはないというよく聴く言葉を胸に毎日過ごしています。

子供を産み育てる事はかなり早い段階で取らなかった選択肢ですが、
寂しくないといったら嘘かもしれませんが、かなり早い段階から孤独が私の人生のテーマの一つだろうと思っていたので仕方ないなと。ただ母親になって人を育てあげている世の母親達を眺めているとそれさえ果たしていないから何もしていない自分という思いにさらに拍車をかけ。

子供を産み育てないという選択をしたのならまた別の使命があるからっていう誰かの言葉を思い出す。


NOTEを書きはじめて五年あまり。このさきどうしようかと思案していると(収益化も目的の一つ)
この記事が目に留まりました。

コンテンツの作り方として

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書いてきたことで今一番多くの好きを頂いた記事がこちらです。

しかも最近、立て続けに


有り難いです。有り難いですが私、そんなに深入りする気はないのですが。

ないのですが、ライトワーカーという言葉に行き着いてしまいました。


そもそも当人が気にしなければ、気が付かなければ、興味関心が薄いならば、

アンテナに引っかからなければ素通りするのです。

かくいう私もほんの数週間前ならば検索もYoutubeで動画を見ようとも思わなかったのです。

それがここ数週間でアンテナに引っかかってしまいました。

ここで無視してなかった事にして流す事も可能です。

何者かになろうとして結局何者にもなっていない私で、このさき今のまま死ぬまで過ごす・・・のか?


昨日は「勝手に決めつけるな!」という怒りがあったのですが(いや、
誰に怒っているんだよ・・・)

って具体的に何するのよ?


本当は上げようかやめようか迷った記事なのですが後日色々あったのであげてみることにしました。



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