声優挫折の後

最後の舞台を踏んだ後、やることがなくなった。もとい、今までの必死にバイトしたり、引っ越したり、ダンスをやったりした全ての事が無意味になった。でも生活はしていかなければならない。バイトは続けていたが、性格上、飲食のホールなんて一番ついてはいけない仕事だった。占いもそうだし、様々な自己分析のテストみたいなのをやっても、できれば避けたほうがいい職種だった。(一度に色々な雑事をこなさなければならない職種、及び接客業)では何が向いていると出るか。研究者。編集者。あるいは芸術家。そういう意味では声優は向いている方の職種ではあったが、他のものは大学出ていないとなれそうもないものばかりだった。

何回も言う。うちは裕福ではなかった。高校受験は県立高一本、滑り止めはなしだった。落ちたら就職と言われていた。高校は結局普通科を受け、進路は親の意向の公務員としたが、成績は高校に入ってからは落ちる一方だった。もとい、次の大学進学はもはや選択肢はなく、専門学校行く気なら授業料は自分で出せと言われた。そうまでしてなりたい職業は当時なかった。何故勉強するのか疑問が湧いてからは興味がなくなり、成績はガタ落ちした。

二次募集で某社内ウエイトレス業の職につけたが、先が見えた職業に、前々からは興味あった声優に挑戦してみようと試みた。

そんな経緯は以前に書いた。

だから次が見つからなかった。色々探したが、元来声優、俳優業は資格というものは要らない。たまに乗馬とか必要になったりするが、資格ではなくて乗れればいいのである。だから新しい職種につける資格というものにも全く取らずにきた。

世の中のバブルは過ぎていた。新しい正社員の職なんて、資格も何も持っていない私にはハードル高すぎだった。

これからの不安、生活の不安、色々な不安が私に急に襲ってきた。でも又何か始めるには私の気力は尽きていた。30代後半。独身。資格なし。貯蓄もなけれな正社員でもない、ただのフリーター。その現実が目の前に現れた。同年代の人達は今何してる?

大方の人はほぼ結婚して子供がいて、子育ての真っ最中だ。幸いにも私に親しい人達は誰も離婚していなかった。だからこそ、誰にも何も言えなかった。相談も愚痴も泣き言も何一つ言える相手はいなかった。ただ絶望感だけが目の前に拡がっていた。

イメージ。私の人生という道のりは、声優という道路標識に進み、崖っぷちにきてしまった。崖を飛び降りるという選択肢もある。あるいは崖を伝って降りる、という選択肢も、ある。これはそのまま、別ルートで声優への道を模索するという意味であるが、以前書いたとおり、”もう諦めろ”という宣託を受けたようなものだ。(そう受け取った)大怪我、あるいは死へのカウントダウンにも思えた。

来た道を引き返し、分岐点から別の道を行く、みたいな事も、考えて、色々実行はした。でも、続けるには厳しかった。(たまたま派遣契約か何かの募集で、某電気メーカーの店頭MCの仕事を2回程やった事がある。強いていえば、これが唯一やりたかった職業が出来た瞬間だったかもしれない。ただ、こういう仕事は本当に単発で、以降巡り合える事はなかった。後はティッシュ配りやチラシ配布ばかり。そういう仕事がもっと受けられるかと某ナレーター学校にお試しで行って、ぜひきてほしそうなニュアンスを受けていたが、入学金の10万が用意できなかった)

·······私は段々おかしくなっていった。バイト終わりだとか、バイト中に一通りすることして、空き時間が出来ると途端に意味もわからずボロボロ涙が出てしまい、止まらなくなってしまったのである。この年齢にしてただのバイトという現状にもただただ惨めに感じ、どうしようもない不甲斐ない自分に嫌気が差してきたのである。

鬱の始りだった。

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