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イグBFCとは何だったのか

「この先、日本国憲法通じず」
                ー『犬鳴村』

           ※

 圧倒的な期待と人気とを背負いながらレースを惨敗する馬がいると、ネットの競馬板にはこんなスレッドが立ちます。

「〇〇とは何だったのか」

 馬だよ。あたりまえじゃん。あれ熊じゃねえだろ。K付いてないよな。UMAだよな。急に未確認生物感が出てしまいましたが、なんにせよ生き物ですよ。そりゃあやる気のない時だって腹の痛い時だってあるでしょうよ。だから圧倒的な期待も人気も本人…じゃねえな、本馬、おかしいだろう、…馬入場と繋ぐしかないじゃないか、兎に角(今気付いたんだが、ウサギにツノで「とにかく」ってどういう事だ)当の馬にはまったく関係がなく、ひとえに外野の思惑に過ぎないわけです。人気を背負った責任などと言い出す奴は、かつての川崎球場外野席から野手の背中に「ヘタクソ!」などと叫ぶ酔っ払いのおっさんと大差ない。
 えーと、何の話だ。
 そうだ、イグBFCだ。
 第4回イグBFCは第2回優勝者吉田棒一氏が2度目の優勝を飾りました。イグBFCで2回も勝つなど恥辱の極みと呼ぶべき所業なのですが、じゃあ何と言えばいいのかと考えた結果、とりあえずこう言わせていただきます。

「おめでとうございます」

 さて、この文章が目的とするものは、そんな(どんな?)イグBFCの変遷を振り返り、同時に現状の問題点を白日の元に晒すことによって、惰性的に続いているこのイベントに一つの区切りをつけることです。あ、言い忘れましたがイグBFCはいちおう私が始めたことになっているんですね。始めた者の責任というものは、ある。たぶん。今回も誰もやらなきゃそれはそれでと思っていたのですが、始まっちゃって、まあ何というか、いろいろと思うところもありますのでね。ボーッと生きてるわけじゃねえんだよ! というわけでこれはイグBFC4の閉会宣言がわりということで書かせていただいております。書かせろと脅迫したことは内緒です。

           ※

 とっても いい においが したので、 あつまって きたのです
      ー『ぐりとぐらのおきゃくさま』
        なかがわりえこ やまわきゆりこ

 そもそもイグBFCとは何か。
 これについてはいろんな折に語っているので今更ジローチェインジキカイダーなのですが(わからねえって)要はBFC(ブンゲイファイトクラブ。これを説明するとまた長くなるので割愛)に落っこちた作品を晒して、誰がいちばんアホかを競おうというヤケクソ同然の企画であったわけです。もちろん慧眼な皆様にはご察しでしょうが、その「アホ」にはBFCとは異なる価値観による「面白さ」という意味合いがあったのです。コンテスト基準で箸にも棒にもかからない作品だって面白くないわけではない。いや、そういう作品をこそ面白いと思う人がたくさんいるはずだと。
 実際、イグBFCについて「こういうコンテストを求めていたのだ」という感想を少なからずいただきました。それはきっと今でもそうなんだろうと思います。ただ主流派ではないというだけで。そういう意味で、私はイグBFCを自ら否定するつもりはないのだ、ということは言っておきましょう。

Q1 第1回イグBFCには何作品の応募があったでしょうか
 ①31
 ②51
 ③61






 正解は…①31作品です。
 少な、と思う人が多いかもしれません。でも私はこんなに集まってどうしようと思ったのですよ。だって誰がもっともアホかを決めるんですよ。みんなアホと呼ばれたいんですか。
 今回「自分がアホだと思うもの」というテーマ(提案したのは何を隠そうこの私だ)を設定したことに関して、思いがけず批判をいただいてしまったのですが、運営サイドとしては原点回帰せざるを得ない状況になってしまったという認識があったのですね。それはこのあと話しますが、とりあえず第1回のログを見ていただきましょうか。

 あり得んでしょ、このメンツ。結果としてこの中で優勝した佐川恭一氏が、その後8区の勢い、違う、駅伝かよ、破竹の勢いで文壇のトリックスターへと駆け上ってしまったことが、イグBFCというアホなイベントを「何だかよくわからないけど何かしらの何か」にしてしまうことになったわけです。
 ここまではよろしいですか。質問のある人…では次に行きましょう。

           ※

 いい加減にしろよ。いい加減ていうのはほどよい加減のことじゃない。
 背中に気を付けろという意味だ。
     ー『彼女は通常の3倍のスピードで』
                 小林猫太

 と、自作の宣伝を挟みつつ第2問。

Q2 第2回イグBFCの参加作品数は?
 ①44
 ②66
 ③88





 正解は…③88でした。
 イベントとしては盛り上がりましたが、運営ははやくも現界を悟りました。単純に考えて、この中から優勝を決めるには、ほぼ夏の甲子園と変わらぬ試合数を行わなければならないのです。私は一人朝日新聞社ではないのです。とはいえ、それはまあいいんですよ。
 ここで新たな問題が発生します。明らかな異常投票が見られたのです。これはイベントの根幹を揺るがす問題だったことは言うまでもありません。なぜなら(言うまでもないのと違うんかい!)それはイグBFCに勝つことが一つのステータスだと認識されていることに他ならないからです。イグBFCで勝ち残ることは栄誉でも何でもないと繰り返し言ってきた基本が、完全に形骸化していることを意味するからです。そりゃあ勝ち負けをやっているわけですから、負けたら悔しいのはわかりますけどね、イグBFCってそういうものじゃないでしょ、敗者オブ敗者を決めるお祭りでしょ、とはいうもののBFC落選作ではなく、イグに向けて新たに作品を書く人がほとんどの状況では致し方のないところではあったわけですが。そう言う自分も「俺のイグで蹴散らしてやるわい!」などと思いながらBFCになど目もくれていなかったわけで。
 そう、イグBFCはそもそも本家BFCの価値観に対抗する「アンチBFC」として、ひいては既成の評価基準に異を唱える「反権威」として存在している、と少なくとも自分は考えていたのであって、新たな権威を作り出すつもりなど微塵もなかった、というか、それだけは是が非でも避けなければならなかったのです。
 やめよう、と思いました。イベントが変質するのは仕方がない。そういうものです。流れない水は腐るのです。でもそこに自分が続ける理由はありませんでしたし、この規模で続けていける自信もありませんでした。とりあえず盛り上げるだけ盛り上げてやめようと思いました。
 で、やめました。

 と、ここで第3問。

Q3 イグBFC2決勝戦の投票数は?
 ①111
 ②311
 ③611





 正解は…③611!
 信じらんないでしょ? これはもう目に見えない何かしらの力学が働いていなきゃ叩き出せない数字ですよ。この数字を見て、私は運営勇退を完全に決意したわけです。つまり第2回にして、イグBFCというイベントは得体の知れない物に喰われてしまっていたのです。
 ただそんな中、八岐大蛇に立ち向かう日本武尊の如く、誠実かつ着実に得票を伸ばした吉田棒一氏が優勝したことは、氏のその後の活躍を見るにつけ、私の最後の救いではあったと思っています。

           ※

 彼は、パットンが彼にいった「ブラッド、きみがやめるようなことがあったら、ぼくもやめるよ」というような言葉は出さずにおいたのである。
    ー『バルジ大作戦』ジョン・トーランド
                (八木勇:訳)
 
 イグBFC3を開催したのは、今回同様謎の運営でありました。一説には◯草◯一氏だという説もありますが、あの苦◯堅◯氏が最後までキャラの定まらない解説者などを登場させるだろうかという疑問もあり、真相は未だ定かではない(ということにしておこう)
 おそらく3の運営は1、2の問題点を十分に把握した上で、敢えて唐揚げにレモンどころじゃない、初手でポッカレモンひと瓶ぶちまけるようなケレン味たっぷりの演出をして見せたのだろうと思います。見事でした。◯草堅◯、只者ではない。
 とにかくイグが大好きなのだ、と苦◯◯一氏は言いました。今回も「自分にとってイグは貴重な場」とか「思い切って参加した」と吐露してくださった方がいます。そうした声は何よりもうれしい。

 しかし、運営の交代と同時に、イグBFCはここで新たな転機を迎えることになります。もう毎回毎回何なんだよ。やるたびに転機だったらそりゃ転機じゃねえよ。単に不安定なイベントってだけだよ。と、書きながら思ったのでいちおう突っ込んでみました。
 次なる転機、それはイグという概念の対数曲線的拡大でした。
 もっとも応募作の変質は第2回にして顕著であり、初回の多くを占めたエログロの類のいわゆる「わかりやすいイグ」は減り、見ようによっては文学的と言えないこともない(いや言えない)ナンセンスな作品が強さを発揮しました。そこまでは想定内でした。しかし第3回にして集票力を見せたのは、一見強力なイグさを感じさせない、言ってみれば「ちょっと変わった普通の文芸作品」だったのです。
 本家BFCが第1回の奇想博覧会の様相から、第2回3回と回を重ねて次第に正統派掌編の争いの色を濃くしてきたように私には思えていたのですが、4コマ漫画やらgifやら動画やらあらゆる表現を許容してきたイグBFCとしては、それは本家BFCからの侵食に見えないこともなかったのです。
 もちろんそれは参加者各々が「己のイグ」とは何かを追求した結果の総体であるのですから、そこに正しいも違うもない。イグという概念が拡散して、想定を超えて拡大した結果でしかない。未だにイグとは何かという命題が語られるのは、イグが輪郭を持たない不定形かつ個人にとっての相対的な概念であることを如実に示しているのです。
 ただ、イグが外観として通常の文芸(という表現にも抵抗があるのですが)の侵食を受けた、いや、ポジティブに変換すればイグが通常文芸の領域に浸透したのだとすれば、イグBFCの本質的役割は終了したのではないかという考えに至らないでもなかった、というのが正直なところではあります。そしてもしイグBFC4があるとすれば、最悪の場合、独自性を薄められて本家の喧騒に埋もれてしまいかねないという危惧はその時から持っていたのです。
 そして、どんな形であれ実施したいのだという運営の名乗りを得て、思いがけずイグBFC4を迎えることになるのです。

           ※

 金田一耕助の頭脳のなかには、いま恐ろしい考えがめまぐるしく駆けめぐっている。
        ー『堕ちたる天女』横溝正史

 人間、下手な考えを巡らすよりは行き当たりばったりで何も考えない方が遥かにマシというものです。人の考え方などというものは多かれ少なかれ例外なく歪んでいる物ですから、純粋な思索と言えば聞こえはいいものの、だいたいがロクな結論に辿り着きはしないのです。
 何の話だ。
 そうだ、イグBFC4だ。
「アホだと思うもの」というテーマ(のつもりもなかったとはいえ)は、前述のようにこちらを取り込もうとする権威主義からの逃走と同時に、予想される本家BFCとの相似を避けようとする意図を持つものでした。そして怒られるんだから世話ねえよな。何でもありのイグとはいえ、第2回のZhi Yijian氏のようにルールさえをも確信犯的に逸脱しようとする猛者が現れる気配は感じられず、いや、現れたら現れたで困っちゃうのだけれど、むしろテーマがあったら率先して破りに来るだろう真のイグ者はな、と思っていたフシが自分にはあります。
 と同時にオブザーバーを依頼された私は出場を辞退し、別名で本家に応募するという暴挙を思いつくのです。侵食されたら侵食し返す。もちろんイグを出しても通るはずはないから普通に文芸するとしても、何かの間違いで本戦に残ったら、いやいや、だとしても流石に決勝はないだろうから、その時は死せるイグナイトファングマンの後番組を担当してやろうではないかという目論見でした。とはいえ予選に残るとは夢にも思っていなかったので、そんなことはすっかり忘れてしまい、びっくりして正体を明かすという失態を演じてしまったわけです。
 馬鹿じゃねえの。
 しかしそれ以上に驚いたのは、本戦に残った作品の中にどう考えてもこれはイグBFCに送るべきだろうと思えるものが複数あり、しかもかなりの評価を集めていたことです。今回、審査方法が変わり合議制でなくなったことも影響しているのでしょうが、結果としてイグからの逆侵食という企ては、別に私が妙なことを考えなくても自然に行われていたわけです。しかもそれらは私のように邪悪な意図を持って行われたのではなく、それぞれが自分の文芸とは何かを追求した末のものであることは明白ですから、つまり私だけが勝手に醜態を晒したのであり、イグはイグで更なる拡大を果たしたことになるでしょう。いやそれよりも、自身の文芸を追い求めた結果が「イグと呼ばれるもの」に限りなく接近する実例が示されたのだとすれば、やはりイグBFCの本質的役割は終わっているのではないかとも思うのです。

 今回、応募数が増加した場合に備えて予備投票が実施されたわけですが、運営からの説明があったように、その得票は割れに割れ、結局得票の多い作品をシードすることで全作品の本戦進出という形になりました。
 が(ここからが未発表です)
 実はシード作品のうち、ラウンド2に勝ち上がった作品は半分にも満たなかったのです。そのわりにどれだけ未参加者の投票があったのかといえば、投票数は参加者数と大差ないという結果なのです。では参加者の多くは本戦投票に参加していないのでしょうか。そんなことは考えにくい。だとすれば考えられる理由は少ない。

「全体を見た時とグループ分けされた時とでは印象がちがう」

 あるいは

「三つの選択には入らないが、それに加えて四番目五番目に多く選ばれた作品が結果として強い」

 ということなのではないか。
 確かにイグは基準を持たない相対的概念であるとはいえ、作品が並べられた背景によって評価が変わるなら、あるいはイグでありながら突出度ではなく平均値の勝負になるなら、それらが競う意味はいったいどこにあるのでしょう。
 このことは少なくとも決勝進出作品には当てはまらないとはいえ、楽々シードを獲得しながらラウンド1で敗退してしまった作品を考える時、私は複雑な気持ちにならざるを得ません。そして思うのです。

 イグって、何なんだ。

 たぶん、今一番イグがわかっていないのはこの私なのだと思います。

           ※ 
 
 この文章の内容はラウンド2前、投票数が伸び悩みを見せる状況で考えたものです。ラウンド1各グループの投票数は、第2回予選グループのそれの半分にも満たない。しかし第2回の参加者数と、そこから派生する読者の暗数を考えれば、状況はそこまで衰退していないのかもしれません。引導を渡さんとする私を見透かしたように、決勝ラウンドの投票数は参加者数の3倍を超えました。
 終わったのはイグBFCではなく、おそらくは私の役割の方なのでしょう。
 イグBFCに参加したこと、感想が寄せられることを喜んでいる人がいる。かつての参加者がそうであったように、ここから新たな関係性を築いていく人もいるでしょう。始めた者の責任などという戯言を、当のイグは「何だそれ」と嘲笑うのでしょう。そうでなくとも、子は親を超えていくものだと昔から決まっているのだし。
 本家が陰で言われているように、イグBFCもまた内輪のイベントに見えるのだとしても、そう思った次の瞬間には、イグはどこかの境界線を苦もなく乗り越えているのでしょう。
 それが妄想に過ぎないとしても、我々の仕事は最初から妄想することではありませんか。

          ※

 そこでアリスは立ち上がり、駆けだしましたが、駆けながらも、なんて不思議な夢だったのかしらと思っていました。そう思っても、たしかにもっともではありました。
 ー『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル(福島正実:訳)

 さて、私の長いだけの他愛ない駄文もそろそろ終わりにしようと思います。
 イグBFC5があるのかどうか、あったとしてどんな形になるのかはわかりません。少なくとも運営サイドに私の名前はありません。
 ひょっとするとこの文章で気を悪くしてしまった人がいるかもしれません。もしあなたがそうなら素直に謝ります。でも、本当なんだもん。仕方ないじゃないか(CV:えなりかずき)

 なにはともあれ、イグBFC4はこれで本当に終了です。

 お疲れ様でした。

 そして、ありがとうございました。

 なんやかや言いつつ、楽しかったです。
       

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