『審判員三国峠毅の受難』冒頭

審判員三国峠毅の受難〜The Umpire Strikes Back〜

 客観的事実など存在しない。あるのは自分の目を通して見た事実だけである。
       (ヴェルナー・ハイゼンベルク)

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 エドモンド・カーター著『メジャーリーグのアウト・アンド・セーフ』によれば、審判員がもっとも恐れなければならないものは予断に他ならないとされている。
「ストライクかボールか、セーフかアウトかを決定し得るのは一連の流れの中の一瞬でしかない。その一瞬以前、0・01秒前ですら、投じられた球はストライクでもボールでもなく、打者はセーフでもアウトでもない。だが下手に熟達した審判員は、その膨大な経験則によってしばしば予め結果を準備してしまうものである。野球でなければ、審判員でなければ、生きる過程において彼を救うかもしれない経験の集積は、グラウンドの中においては彼を窮地に追い込む可能性があることを、審判員は常に頭の中に置いておく必要があるのだ。
 だがバッターがチェンジアップの後の速球を実際よりも速く感じてしまうように、どれだけ感覚を研ぎ澄ませていても、むしろ研ぎ澄まされた神経であるほど、集中が没入に足を踏み入れることによって、審判員に誤謬の危険が高まることは避けようがない。もっともそれを必要以上に恐れるべきではない。たとえばその日の球審の判定が曖昧であると悟った投手は、その曖昧さを利用して勝負球を使うこともできるだろう。そうした状況は機械的な判定からは望むべくもない、人間対人間だからこそのダイナミズムを生む。その曖昧さが審判員をドラマに介入させる余地につながる。したがって真に熟達した審判員に求められるものは、厳密さと曖昧さを両立させるアンビバレントな精神と言えるかもしれない」


 エドモンド・カーターはメジャーリーグを代表する名審判として名を馳せたが、引退するまで一貫して「名審判」と呼ばれることを嫌悪し続けた。彼によれば、真に賞賛されるべき名審判は、賞賛などされるような一貫性とは無縁な、決して「名審判」などと呼ばれることのない審判員だからである。


「そうでなければ審判員はより正確で冷徹な電子機器に取って代わられるに違いない。それは審判員という職業の死にとどまらない。野球という競技の死に他ならないのだ。あるいはもっと別の、人間が本当の意味において人間であり続けるために必要な何かの」

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 三国峠毅が目を覚ますと視界には見覚えのない白い天井があって、微かに鼻をつく消毒液の匂いでそこが病院であることを知った。不審に思って眉を顰めた途端、額に引き攣る感覚があって、手を触れると両耳の上から後頭部にかけて幾重にも包帯が巻かれている。起きあがろうとして頭を持ち上げると、左耳の後ろのあたりに鈍い痛みが走った。どういうことだ。三国峠は枕に頭を戻して考えた。いや、考えようとするのだが思考が上手く動かない。バッテリーが上がってしまった車のキーを必死に回しているような感覚だ。俺はなぜここにいるのだろう、と自分は考えている、ということはわかる。だがそこから一向に前へ進まない。記憶喪失を疑い始めたところへ、白衣の女性が現れて「ああ三国峠さん、気がつきましたかあ」と間延びした口調で言った。誰かに似ていると思ったが思い出せない。きっと誰にも似ていないのだろう。三国峠。そうだそれが自分の名前だ。碓氷峠でも塩狩峠でも大菩薩峠でもない。


「自分の名前言えます?」
「三国峠毅」
「歳は?」
「四十二」
「誕生日」
「七月二十日」
「お仕事は」
「プロ野球審判員」


 ああそうだ、俺はプロ野球の審判員だ、と答えた後で思い出した。看護師は「とりあえず大丈夫そうだわね」と言って、主治医を読んでくると病室を出た。入れ替わりにやってきた若い医師は、ペンライトを当てて眼球を覗き込んだり、立てた指を動かして目で追わせたりして「とりあえず大丈夫でしょう」とこともなげに言った。ここでは「とりあえず大丈夫」が流行っているのだろうか。まるで入院待機者削減キャンペーンのキャッチフレーズみたいだ。何か訊こうと口を開いたが、訊くことを探している間に「とりあえずはしばらく安静にしていてください」と告げて医師は去った。とりあえず。


 とりあえず、三国峠はもっとも新しい記憶を探ることにした。腹が減っている。最後に食べたものは何だったろう。松乃家の牛鍋定食か。いやあれは昼だ。夕方の食事は静岡ドームの審判控室、仕出しの幕の内弁当だ。東海ウルブズ対千葉レッドドッグス戦だ。3回の表にレッドドッグスのバンデラスとかいう外国人選手が見逃し三振になった球の判定に文句をつけてきて、挙句肩を小突かれたので退場を宣告してやった。奴は高いと思ったのだろうが、あんなに前屈みなら頭の上を通ったボールだってストライクだ。


 そこまでは思い出せる。
 だいたい今日は何日なのだろう。どのくらい意識が飛んでいたのだろう。そう思ってふと頭を回した瞬間、実体のない嘔吐のような不快感が胸にせり上がってくるのを感じて三国峠は動きを止めた。何か大事な、恐ろしいことを忘れている。感覚が先に戻ってきた。生暖かい液体が飛び散って顔にかかる気持ちの悪い感触。ぬめる両手で握っている棒状の何かを取り落としそうになる焦燥。振り下ろしたその先が柔らかなクッションの下にある硬い何かを砕く触感。その記憶がやがて脳内にゆっくりと、カメラの自動フォーカスのように映像を浮かび上がらせると、三国峠は本当に吐いた。もっとも喉を通って出てきたのはわずかな胃液だけだった。


 三国峠が手にしたバットで殴りつけているものは、人間だった。


 遠くの街灯からわずかに届く光が影を作るそれはもはやただの肉塊だ。誰だ。三国峠はそいつの声を思い出している。
「下手くそが。まともな判定も出来ねえなら審判なんかやめちまえ。迷惑だ」
 声だけではわからない、いや、よく聞けばそれは思い返している自分の声だった。ナメやがってナメやがってナメやがってナメやがってナメやがってナメやがって貴様などに野球をやる資格はないいや違う貴様などは生きている資格がない。
 そんな覚えはなかった。しかし、記憶はあった。はっきりとした実感を伴うあまりにもリアルな。いつの記憶なんだ。そんなことより自分は人を殺したのか。いったいいつだ。どこでだ。そして誰だ。ことによると自分は人事不省で人を殺して警察病院にいるのではないのか。


 悶々と思い悩んでいると、病室のドアがいささか乱暴にノックされて、千葉レッドドッグスの外国人選手カルロス・バンデラスが通訳と一緒に現れた。浅黒い顔は静止画のように無表情だった。バンデラスは何語だかわからないが「**********」となにやらボソボソと呟いて、通訳が「この度は申し訳なかった。こんなことになるとは思わなかった」と言った。バンデラスがまた「**********」と呟くと、通訳は「もちろん医療費は全額負担するし、慰謝料については後日話し合いを」と言った。三国峠がわけがわからないまま「いや、まあ」と言葉を宙に浮かせると、二人は勝手に安心したようで、籠盛りの果物をテーブルに置いて帰って行った。なんなんだ。


 次は警官が来るのではないか、と三国峠は思った。とはいえバンデラスは無傷で生きているわけで、では記憶の中で殴打していた相手は誰なのかということにやはりなる。どうやら件の試合は昨夜のことのようで、ではもっと以前の記憶ということになるわけだが、三国峠には殺人を犯したことで不安になったり良心の呵責に苦しんだりした覚えがまったくないのだった。それどころかバットを持って出かけた覚えもなければ血を浴びた服を処理したりした覚えもない。ただ誰かを殴り殺した記憶だけが唐突にあるのだった。

 たとえば一連の出来事を完全に忘れ去っていて、何かの拍子に犯行現場の記憶だけを思い出すなどということがあるだろうか。あるのかもしれない、が、そもそもそんなに重要なことを忘れてしまうようなことはあり得ないと思う、のだが。いや、たとえばそれが人格にダメージを与えるほど衝撃的であったから、脳が「なかったこと」にしているという可能性はあるのではないか。それならばよく聞く多重人格の話などよりもよほどありそうなことではないだろうか。


 先刻のナースがスポーツ新聞を片手にやって来て「出てますよ」と言う。一面は名前だけは聞いたことのある女優と名前すら聞いたことのないロックバンドメンバーの婚約のニュースだったが、裏一面に三国峠の名が確かに出ていた。見出しは目立つ順にこうあった。

『バンデラス大暴れ』
『退場に激怒、バット投げる』
『三国峠主審直撃、救急搬送』

 退場宣告に顔を歪ませて何かを叫ぶバンデラスの写真、場内説明のために係員の差し出すマイクに手を伸ばす三国峠の背後でバンデラスの投げたバットが宙を舞う写真、それからうつ伏せに倒れた三国峠の横にバットが転がる写真、さらに担架で運ばれる三国峠の写真。まるで四コマ漫画だ。オチもないから四コマ漫画以下だ。なるほどそういうことかと三国峠はひとまず納得した。その後の記憶がないのも無理はない。それでも直前に退場を言い渡したことはちゃんと覚えているのだから、事故周辺の記憶がすっぽり抜け落ちるような重篤な影響はなかったのだろう。
 だが、だとすれば。あの記憶はいったい何なのかということに結局はなる。


 検査に呼ばれ、頭痛とふらつきを訴えると、主治医はCTスキャンの画像を見ながら「まあそうでしょうね」と抑揚のない声で言った。陥没まではいかないものの頭蓋にヒビが入っているという。
「脳に出血や浮腫は見られませんが、なにぶん脳なんで少し様子を見ましょう」
 なにぶん脳なんで、などという曖昧な説明でいいのだろうか、というより「なにぶん」にはどんな可能性が隠れているのだろう、曖昧にした方がいいような何かなのだろうか、と考えながら病室に戻ると、同僚の印旛沼と御前崎がいた。昨夜の試合で印旛沼は三塁塁審、御前崎は控えでバックネット裏にいたのである。二人とも三国峠よりはるかに若い。そして何年経っても自分より若いままなのだ、と考えると三国峠は時々やりきれない気分になる。そのうち彼らよりさらに若い人間が次々に入ってきて、自分はどんどん先に押しやられてしまうしかないのだ。
「病院から電話をもらったので」と印旛沼が言った。意識が戻ったら知らせてくれと頼んでおいたらしい。
「正直、あ、こりゃ死んだなと思いましたよ。すごい音しましたから」と御前崎が悪びれた様子もなく笑顔で言ってのけた。
「いい音がしたってことは、跳ね返したってことだろう」と印旛沼が言った。「私は大丈夫だと思っていました」
 なんの張り合いだ。
「まあ、たいした怪我じゃなさそうでなによりですよ」と御前崎が言えば、
「たいした怪我だよ。頭だぞ」と印旛沼。
「いやだって大丈夫そうだし。自分だって大丈夫だと思ってたって言ったじゃないか」
「君たちは何をしに来たんだ」
 三国峠が冷ややかに割って入ると、御前崎は「いやあ、思いのほか元気そうなので嬉しくなってしまいまして」とバツが悪そうに笑った。
 三国峠はオーソドックスな審判員である。ストライクのコールで奇声を上げたり謎のポーズでバッターアウトを叫んだりはしない。あくまでも自信と威厳で試合をコントロールしようと考えている。その超然とした佇まいこそが自らの信用につながるのだと思ってきた。だが彼らを見ていると、自分の価値観はもう古いのではないかと思えてしまう。御前崎などは監督の抗議に「まあまあ、そこはひとつお互い様ってことで。ここで長引くとシラけてしまいますし」などと言ったりするのである。そんな態度に出られると怒る方も気勢を削がれて黙り込んでしまった末に、憑き物が落ちたような表情で背中を向けたりしてしまうのだ。そうでなくとも最近は、ハイスピードカメラででも撮影されていたなら、誤審などものの十秒後には白日の元に晒されてしまう。審判の威厳などとっくに無意味なものになっているのかもしれなかった。とはいえ今更スタンスを変えることもできぬ。時間の進みが早すぎる、と三国峠は思った。


「ところで」と三国峠が改まって切り出したまましばらく黙ってしまったので、印旛沼と御前崎は話をやめて向き直った。切り出したものの迷っていた三国峠だったが、切り出してしまったものは仕方がなかった。
「最近……いや昔でもいいんだが……選手が殴り殺された事件を聞いたことがあるか」
 二人は一瞬無表情で固まった後、顔を見合わせてから不安げな視線を三国峠に戻した。「なんですか」と御前崎が言った。「殺すんですか」
「そんなわけがないだろう」と三国峠は苦笑したが、頬が痙攣するのを感じた。
「意味がわかりかねますが」と印旛沼が胡乱げに沈黙を埋めた。「聞いたことがないですねそんな話は」
「昔もなにも、生まれてこのかた聞いたことがありませんよ」と御前崎も続けた。
「変なことを言うからなんだか心配になってきたじゃないですか」
 怒ったような口調で印旛沼に言われて、三国峠はあわてて表情を崩した。
「いや、そんな事件があったような気がするんだが思い出せないだけだ。ひょっとすると映画か何かだったかもしれない」
 帰り際にテーブルの籠盛りを目にした御前崎が「あ、あの野郎もう来たんですか!」と声を上げた。
「よくのうのうと来れましたね」
 印旛沼の台詞に御前崎も「まったく」と同意した。
「なんで俺たちより早いんだ」
「朝からずっと待ってたんだろう。どうせ出場停止だし」
 そうなのか、と三国峠が訊くと、御前崎は「当然でしょう」と言った。
「クビって話も出てます。まあ自業自得ですよ」
 三国峠は複雑な気分になった。元はといえばストライクの判定たったひとつなのだ。もちろん審判を小突いた挙句にバットを投げつけたバンデラスが100%悪いことは疑いようがないとしても。とはいえ、世の中の事故や不運など、多くは元を辿ればその程度のことなのかもしれないではないか。

               (つづく)

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