この星でひとり

#ネウヤコ絵文交換

引き続き、素敵企画に参加しています!小皿さま(@kozara_chg)の描いてくださった絵とお題に合わせて。お題は【『ネウロと弥子ちゃんにとって「背中合わせで座る」のは『泣き顔は見ないで』という意味です』】、素敵絵は小皿さまのツイートから。ありがとうございました………!


 

人間たちが言う「孤独」というものには縁のない人生を送ってきた。
 

そもそもそんな概念は生きてきた世界に存在しなかった。種別として同じ存在がいないからと言って、生きていく上で何の支障にもならない。
魔人であれ他の魔界の生物であれ、思念を抱けるのはこの自分という個体、たったひとつ。それを嘆く意味がどこにあるのか。

だからこの地上にきたときも、父親を亡くして涙を流す思考が理解できなかった。
床に直接座ったヤコの頭を鷲掴みにしてやっても良かったが、なぜか気が向かなかった。ヤコが座り込んだ向きとは反対を向くように椅子に座り、事件のあらましを思い返す。
謎を喰ってきたばかりだった。犯人は幼い子供を持つ父親。連行される父親の、名前を何度も呼んで泣き叫んだその娘が、我が輩を見上げ、つぶやいた。



「たんていさんたちがいなければ、パパはいなくならなかったのに。パパがいなくなって、わたしはひとりになっちゃった。さみしいよ」



猫を被って、慰める演技をしても良かったし、何もせずともヤコが声を掛けただろうから、そうすれば良かったのだ。けれど、「そうだな」と、肯定の返事が口から出ていた。

いくつもの死を見てきた。それで心が痛むことなんてない。共感するようになったわけでもない。人間たちが必死になるメロドラマは、それが創作物であれ現実であれ、馬鹿らしいと思っている。けれどあの幼子の言葉は理解できた。人間は物理的に一個体きりにならなくとも、「ひとり」という状態になることがあるようなのだ。

この幼子は、我が輩たちが推理をしたことで、あのときのヤコと、同じ状態になるのだと。

それが何、というわけではない。同情したいわけでもないし、謎を求める途上に発生する人間たちの感情の縺れに配慮をする考えなど毛頭ない。

ヤコは、その少ない脳の容量を、他者に心を寄せることに多く割く。全く愚かなことだ。けれどそれを見ていると、人間の感情というものを眺めることができる。他の人間の感情など、理解しようとも思わない。けれども、傍らのこの女の、分かりやすい感情表現などもう飽きるほど見て、覚えてしまっている。

たとえばヤコの。
父を亡くしたときの、
被害者の遺族が嘆くのを慰めたあとの、
信じていた存在に裏切られた人間に心を寄せたあとの、
あの表情を、「さみしい」と言うのであれば、
そうやって苛まれるヤコとこの空間にいるときに、湧き上がる痛みは何なのか。
不快感、とはまた違う。思考を巡らせる奥の奥で、意図に関わりなく、つんとするような。

やはり振り向いてヤコの頭を掴み上げ、悲鳴を聞こうかと思った。そうすればこの妙な気分もすこしは晴れるだろう。

だけど今はなぜか、顔を合わせる気になれなかった。





孤独には縁のない人生を送ってきたと、思う。

家族や友人には、割とこれまでずっと恵まれていた。唯一孤独に近づいたことが過去にあったとするなら、父を亡くしたときだと思うけれど、それも「孤独」ではなかったと、今振り返れば言い切れる。悲しみはした。本当に本当にやりきれなかった。けれど、それを分かち合える家族はいたし、得体の知れない存在に振り回され、孤独でいる暇がなかったこともある。


床に直接、膝を抱えるようにして座った。あいつの顔は見たくなかった。

先ほど事件を解決して帰ってきたばかりだった。犯人は幼い子供を持つ父親。連行される父親の、名前を何度も呼んで泣き叫んだその娘である女の子は、パトカーが去った後に、ぽつり、つぶやいた。



「たんていさんたちがいなければ、パパはいなくならなかったのに。パパがいなくなって、わたしはひとりになっちゃった。さみしいよ」



幼い子供の勘の良さか、はたまた単なる偶然か、彼女はわたしではなくネウロを見上げて言ったのだ。「そうだな」猫を被るでもなく、同情をするでもなく、事実を肯定しただけというあくまで淡々としたネウロの声が、わたしの中に、まだ、こだまのように響いている。


人の生死や、犯罪に関わる仕事を、軽く見ていたつもりはない。きついことを言われるのだって、もちろん平気ではないけれど、仕方ないとは思っている。辛いのはそれ自体ではない。わたしが、同じ人間に、理解のできる感情を向けられる、そのことではない。


ネウロが、人間に近づき、孤独を理解するのが、こわい。


もちろん現実には、分類として、魔人という存在はこの地上にネウロの他にもいるのかもしれない。けれど、話を聞く限り、ネウロは魔人の中でも突然変異で、特殊な存在だ。そうであっても、魔界にいたならさみしいという感情など湧くことはなかっただろう。地上に出て、わたしたちと出会って、人間と接して、彼はすこしずつ人間へと近づいている。彼が「さみしい」という気持ちを理解してしまったら?

彼は強く、賢い。けれど周りに、彼ほど強く、賢く、同じ心中を分かち合える存在などいないのだ。わたしの存在は、ネウロがいつか孤独を理解するのであれば、そのさみしさを和らげるどころか際立たせるのだろう。わたしは彼とは違う、そのことをまざまざと思い知り、彼が孤独を初めて理解する手助けにすらなってしまうだろう。


父親がいなくなってしまった幼い子供。犯罪という、理論で言えば同情のできない理由で。地上に来たばかりのネウロならあの子の言う「ひとり」が理解できなかっただろう。あの子は裕福な親戚に引き取られることになっていた。生活面にも不安はなかった。物理的に一人では、なかったのだ。

だけどネウロは「ひとり」に同意した。宇宙の果てに取り残されるような、きらきらと見えていた光をひとつずつすべて消されてしまうような、そんな気持ちをすこしずつ理解し始めている。そして今日のあの子のことを思い返している。彼女を「ひとり」にしてしまったのが自分たちだと、認めているのだ。あれだけ、ネウロには人間の感情が分かるようになってほしいと望んでいたのに、わたしは、こうなった途端にそれを嫌がっている。


だってさみしさを唐突に理解するなんて、どんなに辛いことだろう。

想像をしてみたらかなしいと意識するより先に、頬を雫が伝っていた。どんなにみっともない姿を晒すことに慣れていても、ネウロ、

あんたのことを思って泣く姿なんて、ぜったいに見られたくなんかない。



自分勝手な考えだということは百も承知だけれど。


この星でひとり、生きていく彼がわたしと別れるまでに、

さみしさなんて覚えてほしくはなかったのだ。

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