prayer room #12 ぱっと見の犬


物事がどのように見えるかと言うのは、見る側と見られる側 それぞれの状態が作用し合う関係にある。と私は思っている。
何が見えたかはその時々によって簡単に移り変わってしまうのだ。



だから遠くに見えた茶色い犬が、大きめな切り株に見えたとしてもどちらも完全な間違いでは無いのだと信じている。

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もしも切り株を"見る"前に後ろの『犬に注意』のはり紙が目に入っていたならば、私は最初から犬を見ていた可能性が高いと思われる。もしくはこの犬が立ち上がっていたり、動いていたりしたならば、切り株は現れなかった。

またある時は、色褪せた白っぽいホースの巻き取り機を、飛び出してくる小さな犬に見間違えたこともあった。これは視界の端に一瞬だけ横切ったものを無意識に自分の都合の良いように認識してしまったのだろう。


様々な条件で、見えていたものが消えてしまったり 新しい何かが見えるようになってくる。


私のささやかな願望が形を変えた見え方でもある ぱっと見の犬が現れる時、私はその犬とどんな関係を築けているのだろうか。

色んな角度から眺めることは、もっとよく知りたいという意志に似ている。
今度なにかを二度見するような事があれば忘れずにメモをとって見え方の可能性を楽しみたい。





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