prayer room #9 持ち上げられた鉢植えと坂の上に建つ家について


わたしたちの生活が祈りだなんて 大げさだろうか




鉢を数センチ持ち上げる事と、土地を補強して傾斜の上に建物を建てる事はまったく規模の違う出来事だが、私はどうにも似ているという印象を受けてしまった。 

なぜそんな風に思うのだろうと考えていて、そう言えば昔の通学路に、アスファルトの道と剥き出しの地面とが混在している場所があるのを思い出した。 アスファルトの道が至るところで整備されていて、家や学校まで続いているのは、当然誰かがそれをしたからなのだ。

思えば私の周りは、いつかの誰かの意思の結果が集まって成り立っているのか。考えなくても分かるほど当たり前ことなのに、生活の中にいつでもあるからと、改めて意識することを忘れていた。

この風景はひとによって作られたものだと気づいた途端に世界がぐんと深さを増したように思える。  

鉢植えを傾けたのも、コンクリートの壁を築いたのも、一番最初は誰かがそうしたかったからなのか。似ていると感じたのは見た目の話よりもそこに込められた願望の様な何かの方だったのかもしれない。 おもての現れの奥に目に見えないものを見つけてしまったことが、今後どう影響するのか予想がつかないけれど、知らなかったと言うことはもう出来ないだろう。



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