疚しさの正体と,これから

以前,拭えない疚しさを抱えながら自堕落な生活を送っていると書いた.(https://note.com/0336_57/n/n9c449eef7199?sub_rt=share_pw

この疚しさの正体がわかった.裏切っているという感覚だ.

自分はこれまで,何かを努力してきた経験が一切なかった.ただ努力しているように見せかけて他人をだまし,ついには自分までだましていた.それでも大きな問題が発生せず,幸か不幸かここまで生きてきた.

「自分は根本的に頑張るなどということができないから,環境を整え,ライフハックの類を駆使しよう」という考えで受験をしたわけだが,それは成功とも失敗とも言えない結果となった.根本的に欠けているものがあったからだ.それは「●●大学でなければダメ」という究極の目標,全ての行動のはじまりとなるものだ.本来,その目標を達成するためにライフハックの類は用いられる.

だから,京都の某私大の合格を知った時点で勉強をやめ,北大に落ちたのだ.

北大落ちを知った時,父から「よく頑張ったな」と言われて何も言葉を返せなかったのは,頑張らなかったからだ.悔しいとも感じていなかった.むしろ「頑張ってもいないのに,そんなこと言わないでくれ」とさえ思っていた.これが裏切っているという感覚だ.これを言語化できなかったから,去年の夏はダウナーだったのだ.

勉強だけしていればいいという楽な環境で,いい加減に勉強してきたのだ.

今,自分が置かれている状況は受験より数倍厳しい.人生初の「努力」をしなければいけない状況だ.正々堂々と向き合わねばならない.究極の目標は「一つのことを達成する」ということだ.これを大前提として,最大限の工夫による自己管理,そして最後には何としても目標を達成するという力業が必要となる.

(現状の詳細について書くことは今はまだできないし,文章を推敲する時間も惜しいのでこの記事は近いうちに非公開にする.)

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