拭えない疚しさ

札幌で初雪が降ったという。

去年、札幌が雪に閉ざされていた季節からずっと、私は拭えない疚しさを抱えている。劣等感かもしれないし、焦りかもしれないし、それとも、これは罪の意識かもしれない。地獄の業鏡で、これまでの自分の杜撰さをありありと見せられている気がするのだ。勿論それは放置してよい問題ではない。布団に体をうずめて受験期に聞いていた曲を再生するたび、そのMVに受験期に見た雪を思い出し、5拍子のメロディとともに心臓が激しく動き出す。この暗澹の果てに辿り着くのは何れの日になるだろうか。だがいまは、罪悪感と自己嫌悪に塗れているのだ。

共通テスト対策期には、私は週1で授業を切って図書館に行っていた。札幌市北部に住んでいた私は、石狩市民図書館に朝からバスで行き、昼食も取らずに夕方まで問題集をひたすら解いていた。ちょうどこの時期に、あの曲をよく聞いていた。

この図書館が先日、夢に出てきたのだ。午前7時、アラームを解除して二度寝につく。受験期には考えられない自堕落さだ(いや、記憶は美化されていて、受験期でも案外自堕落だったかもしれない。それはTwitterの投稿を遡ればわかるだろう)。二度目の眠りの最中、夢で私は大学のテキストと新調したiPadを持って、テスト勉強のために石狩市民図書館の館内を歩いていた。受験期にも利用していた飲食ができるテーブルに着こうとしたとき、目が覚めた。8時30分だった。私は高校の制服を着て、道中で耳栓とエナジードリンクを買い揃えて大学の図書館に向かった。

共通テスト後は、わずか2週間後に控えた私大の入試に向けて、数IIIの青チャートを10日程度ですべて暗記した。毎日見開き15~20ページを書き写し、問題を解き、夢の中でも平均値定理を使う問題を解いていた。結果、何とか私大には合格した。しかし1か月後には短期記憶は完全に揮発していたのだった。結果として、北大に落ちた。

東京の某私大から追加合格の知らせが来るまでの期間、高校生でも大学生でもない1か月間は辛かった。この間に受験期に凍結させていたNoteの更新などをしたが、その時にも何者でもない自分が偉そうに言説を展開することの無責任さと、それに対する疚しさに圧し潰されそうだった。そのときの疚しさが拭えていないのだろう。

大学での空きコマに、『絶歌』を読んでみた。事件当時14歳の殺人犯、少年Aの手記だ。その一節に、少年Aが捜査関係者から、彼の父が目を充血させて犯行に使用されたナイフを持った写真を見せられるくだりがある。これを読んだとき、私は少年Aの心境を勝手に思い浮かべて渋面した。少年Aは家族を巻き込んでしまった罪悪感を抱えていたのだろう。その数日後、私は人を殺す夢を見た。同じアパートの住人を殺害し、その後手錠を掛けられた両親を見た。なぜ自分ではなく両親が手錠を掛けられたのかはわからない。実家にいたときはあれだけ憎んでいたが、意識の奥底には罪悪感のようなものがあったのかもしれない。私は決してまともな人間ではないように思える。

大学での学びも、高校物理の知識などが抜け落ちてしまっているので、札幌から持ってきた高校の参考書を夜な夜な読み込む日々だ。そもそも高校の参考書を持ち込んでいることからも、勉強に関する自信はまったくないことがわかる。気分は仮面浪人である。いや、断じて仮面浪人をするつもりはない。第一志望の大学に合格したのだ。しかし何故か、気分は晴れやかでない。べつに大学での生活が思い描いていたのと違うのではない。しかし高校の教材を一通り東京に持ち込んだことからもわかるように、高校や高校範囲の勉強に未練があるのだろう。

未練といえば、高校時代にやっていた学生団体にも未練がある。活動には中途半端にしか参加できず、重箱の隅を突くように企画の不備を指摘しただけだった。いい加減真面目に参加して、意見をぶつけていこうと思ったのは高2の1月、引退まで残り3か月になった時だった。その団体の某中高一貫校の後輩に「先輩」と呼ばれるたびに、そして高校卒業直後に会った1個下の人に「先輩」と呼ばれた時も、なんだか落ち着かない感じがした。それは俺が先輩と呼ばれるに値しない人物だったからである。大学2年生になるまでには、先輩と呼ばれるに値する人物になりたい。そのうえでサークルで後輩を迎えたいと思っている。


このように未練は多いが、こうやって燻っていては得られるモノも得られないというのは高校時代にも経験済みだ。札幌南高校じゃないから、北大じゃないから、理科大じゃないから授業を受けなくていいなんて理屈はおかしい。自分でチキっておいてその先でもいい加減にやっては、なにも意味がない。劣等感を拗らせ傷を化膿させ、卑屈になるべきではないのだ。高校への未練だって、どうしていつまでも拗らられようか。懐古するばかりでは進歩は見込めない。

自分の足元も視線の先も、どちらも知れないのは嫌だ。だから高学参を使った勉強で足元を固め、その先の領域へと手を伸ばすのだ。いま私は、寝る前の数時間を高校範囲の復習に費やしている。これからの大学生活を実りあるものにするために。

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