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私ってどんな人。

私ってどんな人だと思う?
大学の課題だと嘘をついて、仲のいい人達に聞いてみることにした。
その返事次第で、これからその人と関わっていく自分を作ろうとおもったから。
愛されたいと願うのと比例して、新たな自分が形成されていく。
誰かに好かれるために新たな私をつくりあげては、反比例するかのように自己肯定感が下がっていく。
愛されたら上がるものだと思っていた自己肯定感が下がる一方で、本当の自分が愛されているわけではないからだろうなと他人事のように理解する。

ある人は、優しい人だと私のことを言った。
優しい人にならなくてはいけなくなった。
人のちょっとした不幸をニコニコしてしまう本当の自分を隠さなくてはいけなくなった。
優しいという定義は人によっては曖昧で、都合のいい人という考え方もある。
確かに私は都合がいい。
雑用を押し付けられてもなんだかんだ引き受けるし、お金が無いと言われれば立て替えておくといって払うこともある。奢りなら行くわーという返事に対して奢ることもあるし、その人の分だけ払うのもおかしいかと思い全員分払うこともある。
自分の時間やお金を使うことが、優しさなんだと今気がついた。
言ってきた友達にそんなつもりはないだろう。
こんな風に意見を汚く受け止められる自分が優しい人なわけがなかった。
それでもその人の前では優しい人であろうと思った。
せっかく返信をくれたのに、こんな考えになってしまったことへの罪滅ぼしも込めて。

ある人は、ムードメーカーだと私のことを言った。
ムードメーカーにならなくてはいけなくなった。
部屋の隅でベットの中に蹲りスマホを見ている自分を隠さなくてはいけなくなった。
ムードメーカーというのは、ガヤだろう。
バラエティで言うところのひな壇。つまり、あまり前に出てくるなよ。ということだろう。
後輩と1番仲が良かった。それは、同級生が後輩に対して苦手意識を持ちすぎていた為だ。
チームの3番手で、私についてこいと言える訳でもない私は、チームの雰囲気を保つことに専念した。
部長、副部長の少し行き過ぎた言葉にも笑顔で対応し、後輩たちを怖がらせないようにふざけて見せた。
心はずっと限界で、最後の大会の直前に壊れた。
部活から逃げて、呼びに来てくれた後輩には笑顔でそろそろ行くよ〜と言いながら、自分からは来ない部長、副部長に苛立ちを隠せなかった。
大会前1週間になれば、自分としても気持ちよく終わりたいという願いから部活に何事も無かったかのように参加をして、チームの優勝にそれなりに貢献した。
その子からすれば、きっとチームの優勝に貢献した後輩とも仲のいい子のイメージが強いからムードメーカーだと言えるのだろう。
私が一瞬だけ見せた汚い部分は、華やかな青春で上書きされていた。

ある人は、崩壊して欲しいと私のことを言った。
その人の希望を言われた。
抽象的すぎるその要望に私はなんて返せばいいのか分からなくなった。
知れば知るほど私のことが分からなくなるとも言われた。
パッチワークのような人格をしているため、知れば知るほど分からなくなるのは私も一緒だ。
自分を知ろうとすればするほど、分からなくなる。
ある意味既に崩壊しているのかもしれない。
人格が崩壊することを望んでいるのか、私の存在が崩壊することを望んでいるのか分からない。
ただ、ただ、崩壊して欲しい。と言われた。
私の質問を見た時、初めに口から飛び出した言葉らしい。
そこまで恨まれることしたっけ?と思いながら、私は崩壊する人間にならなくてはいけなくなった。

私ってどんな人?
自分自身に尋ねてみる。
言葉にはならず、何故か吐き気がした。
吐きたくなるほど気持ちの悪い人なのだろうか。
恋愛も友情もどこか全て自分にとって利用できるかどうかで判断してしまう。
恋バナというコンテンツが一番盛り上がるから、好きな人を作るし、1人でずっとすごしていると周りの目が気になるから、友達を作るし。
周りが笑うから笑う、周りが泣くから悲しそうな声を出す、周りが楽しんでいるから楽しそうにする、周りが呼吸しているから呼吸をする、周りが生きているから生きている。
喜怒哀楽がどこかシステム的で、振れ幅もそこまで大きいわけではない。
感情がない訳ではなく、中途半端だからそれに名前をつけれないだけなのだ。
恐怖や悔しさのような負の要因は拾いやすい。
負の要因で元々は構成されていたのかもしれない。

私ってどんな人?
私ってどうあるべき人?
聞けばに聞くほど、みんなの回答がばらばらで分からなくなってしまう。
来世の私は100人に聞けば100人同じ回答をしてくれるような人間になりたいと思った。

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