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水玉自伝を読んで


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アーバンギャルドと出会ったのは中学生の頃だった。当時ボーカロイドとALI PROJECTに熱をあげていたわたしに、毎朝一緒に登校していた友人が「絶対に好きだと思うから」とおすすめしてくれたのが初めて名前を知ったきっかけ。そこから検索して、どんどん好きになって………………と言いたかったけど、私はこの時1度、アーバンギャルドから逃げた過去(?)がある。


当時YouTubeを調べると1番上に出てきたのが、傷だらけのマリアのPVで。


これを観た中学生のわたしは「こんなアングラな世界はまだ自分には早い……」という感想を抱き、それ以上調べることをやめてしまった!(その日の夜は、血塗れの幽霊が出てくる夢を見たことを今でも覚えている。)


傷だらけのマリアは、自伝の中で天馬さんやよこたんが当時のPV制作話を語っていたが、歌詞もとにかく強烈なのだ。
中でも印象的なフレーズがある。

「個性的なことしてみたい 個性がないから/個性的な女の子は こんな音楽聴かない」


この歌詞を聴いた瞬間、色んなものをこじらせていた中学生のわたしの自意識は爆発してしまいそうだった。今だからわかるけど、当時のわたしは厨二病の例に違わず、サブカル選民思想的なものを持ち「他の子とは違うものを好むわたしは、ちょっと変わってるけどこれが個性なのかも」と、あたまの片隅で考えていたような中学生だった。でも人には絶対にそんなこといえないし、臆病な自尊心には鍵をかけて閉じ込めていたつもりだった。

なのに、初めて聴いた瞬間から、距離や時間を全部飛び越えて、画面の向こうからわたしの鍵のかかった部屋に入ってきたのがアーバンギャルドだった。

「このうたが このうたが わたしを歌ってる」と思えるのはまだ先で…………当時のわたしにとっては、会ったばかりの人が 自分がまだ誰にも話していないことを知っているかの様な恐れを抱いた。自意識が過剰すぎる中学生には劇薬の様な世界だった。

勧めてくれた友人には「わたしにはまだはやいと思った」と、よくわからない感想を伝え、結局アーバンギャルドについての話題は3日ほどで終わってしまった。


自伝の中で天馬さんが

『アーバンギャルドって結局のところ、いわゆるメンヘラ 心を病んだ子達に対して、優しや癒しを提供したことはないんですよね。その子たちに言葉のナイフを突き刺してきたのに、不思議とメンヘラの子たちから熱い眼差しを向けられるようになった。(中略)……優しくないですよね、僕たちは。』

と話す部分がある。まさにわたしはこの時、ナイフを突き刺されたかのような衝撃を覚えていた。(自伝を読んだ今は改めて、答え合わせが出来た様でなんだか嬉しかった。)


アーバンギャルドに改めて再会して好きになったのは高校生になってからで。一度トラウマになりかけたものを好きになるのは不思議な気もするけど、「魔法少女と呼ばないで」という曲に一目惚れしたことがきっかけだった。

そこからはネットで、アーバンギャルドに関するあらゆる情報を調べる日々が始まった。数年間はゆるく情報を追いつつ曲を聴くだけだったのが、いつしかライブに行くようになり、アーバンギャルドへの想いが加速していった結果、いまに至る。初めてライブに行ったその日から、アーバンギャルドのことを考えない日はなくなっていた。




水玉自伝では、アーバンギャルドの歴史を改めて辿ることが出来て嬉しかった。

自分が通っていなかった時代の話は新鮮な気持ちで読めたし、自分がライブに行き始めてからの部分は、当時の空気感やその時々であった自分のことを思い出しながら読むことができた。アーバンギャルドにまつわる出来事ひとつとっても、メンバーそれぞれが考えていたことや感じていることが色々と違っていたことも面白かった。何が正解不正解、何が真実で嘘か……みたいな二元論じゃなくて、それぞれの思考や価値観の差異がいいなと思った。

鬱々としていた時期や、活動を続ける中での痛みや苦しみも語られていて、読みながら胸が締め付けられる場面も多くあった。それでも、“アーバンギャルドが在り続けている”という事実が答えなんだと思って、バンドのことが更に愛おしくなった。

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部屋でひとり、音楽と触れ合う時間や 液晶画面越しに観る時間も大好きだけど、異様な熱気の中で、熱に浮かされた様に真っ赤な旗を振り続ける瞬間がわたしはなによりも好きだ。

またライブハウスで、会えることを祈ってます。これからも会いに行くし、会いに来てね。

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