【飯舘村】いいたて雪っ娘かぼちゃ

【福島件飯舘村】【いいたて雪っ娘かぼちゃ】【福ちゃん島ちゃん】
※過去の日記より抜粋

昨年6月。福島の原発で飯舘村より山梨へ避難した「福ちゃんと島ちゃん」という牛が生まれた飯舘村を訪ねる旅へ誘っていただいた。

度々訪れる機会のあった福島ですがとみ子さんの運転で案内してもらった時のことが今も強く残っています。

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とみ子さんが車をだしてくれ助手席に乗りました。走らせてすぐ目の前には飯舘村の景色が。高い建物が無いので遠くまで見える空は青く澄みわたっている。自然豊かな飯舘村。今は広大な農地に多くのソーラーパネルが設置されている。

一昨年、とみ子さんの旦那さまは長い旅へでられた。働きもののお二人はいつもお互いを思いやっていて、ラブラブ。いつも周囲は今日もご馳走様ですと幸せのおすそ分けをもらっていたし、こんなラブラブな夫婦がいるんだとほっこりすることも多かった。

旦那さまが長旅へ出てからというもの、とみ子さんは気丈に振る舞っていらっしゃるけれど、私なんかには分からない深い悲しみのなかにいて。だけど心と身体を奮いたたせ毎日、しなくてはいけないことに向かいあっていらっしゃった。

福ちゃん島ちゃんの生まれた場所へ向かう最中、とみ子さんは教えてくれた。
「あの建物あるでしょ。あれはね、お父さんが建てたのよ。」「あそこに牛舎が見えるでしょう。あれもお父さんが建てたの。」
それは大工の旦那さまが携わった建物だった。至るところに点在している旦那さまの建てた建物。私には飯舘村に散りばめられたとみ子さんへの宝石のように輝いて見えました。

「見て。この緑、綺麗。」愛しそうにとみ子さんがそう言った。その方向へ眼を向けると青々とした牧草地が広がっている。誰かが手入れしてくれていたからさらに綺麗に見えた。本当に。

同時に現実へ引き戻される瞬間が度々訪れる。もう一つの景色。それは残念なことに。悲しいことに。悔しいことに。まだ飯舘村のあちこちにたくさんの黒いトンパック(除染土が詰めのられたフレコンバッグ)が積まれているのだ。

何度か飯舘を訪れている私も通ったことのない初めての道を通った。本来、豊かな畑がある場所には黒いフレコンバックが置かれていて、それがずっと続いていたのだ。思わず言葉に詰まってしまった。「前より少なくなったわね。」とみ子さんがそう教えてくれた。

あちこちにある放射線量を図るモニタリングポストを見ながら、とみ子さんは「ここはまだ高いね。」「ここは低い。」と確かめるようにつぶやく。

少しでも放射線量が高いと「ここに長居は無用よ。」と車を走らせてくれました。
聞いたところ、とみ子さんも自分の身を守るため放射線量を計算しているとのこと。

本来であれば、手放しで喜べるはずの何気ない風景。豊かな緑。自然。作物。
福島第1原発事故後は福島市などの村外で育てられていた「いいたて雪っ娘かぼちゃ」は県内のイオンなどで販売され、昨年からは“故郷”の飯舘村でも耕作が再開された。もちろん厳しい検査を通って。

福島のなかでもまだ帰宅困難区域になっているところは放射線量がまだ高いことから、横道に入れないようにバリケードがされている。人の住まなくなったお家はガラスが割れ、少しずつ朽ちはじめ、雑草は伸びきっている。帰宅困難地域に入るためにバリケードに立っている人に受付をしマスクをして入らなくてはいけない。信号も止まらずに窓を開けないで走り抜けなくれは行けない場所もあるし、少し中へ入れば黒いフレコンバックがたくさん並んでいる。モニタリングポストで放射線量を見ながら生活している人もいる。

戻りたくても戻れない方々は、一度も離れたことのなかった土地から避難しなくてはならなかった。大事なものを置いて。否応なしに。避難先では不便な生活と馴れない土地で人間関係をつくらねばならず、福島から避難してきたことを隠して生活を送る人もいたと伺った。故郷を想いながら戻ることができず、なかにはこの8年で故郷へ帰ることを諦めた人も。

今もなお、1日に三千四百人以上ものひとが原発の作業に関わっていること。被爆牛たちがいること。町を復興させようと頑張っている人たちがいること。まったく聞こえなかった子どもの声が聞えるようになって嬉しいんですと笑顔で喜ぶ人がいることも私は知らずにいた。

とみ子さんに会うといつも生きる姿勢を学ばせてもらう。大きな心でひとりひとりを受け入れてくれる器、包み込んでくれる懐の深さや温かさ。哀しくても悔しくても何度でも立ち上がろうとする諦めない心。そしてどんなに悲しくて辛くてたくさんたくさん泣いているのに見せてくれる笑顔。

私はいつも「人としてどのように生きていくべきか。」をこうして人生の先輩方に教えてもらっている。日々、持っているいのちを燃焼させ、使命を全うしようと歩き続ける諸先輩に習い、私も今、生かされて生きていることに感謝をしながら過ごしたいと思っています。

とともに私はすぐに忘れてしまう人間で、見てきたことやその時感じた大切なことを、もとの生活に戻ると抜け落ちたり零れ落ちたり忘れてしまうことが多い。だからまだ残る自分の思いを書くことによって少しでも長くとどめておきたいと思うし、覚えていたいと思っている。

鳥の鳴き声だけで、空が青いだけで、風が吹くだけで緑が豊かなだけで、そこに住めるだけで素敵なことですごいことなのだ。家族が、友人が、そして大切な人がいることが、ありふれた日常が、本当は何にも代えがたい幸せであり、宝ものなのかもしれない。

福ちゃんと島ちゃんの故郷を訪ねる旅で出会った人、もの、ことに心から感謝しています。皆さんのお陰さまで大切なものを発見したり確認できました。

この世界は悲しみのためにあるわけではなく幸せになるためにあるもの。この道をとおって幸せになるのだと信じ、同じ時代を生きている皆とこれからも手を携えて歩いていきたいと思います。

雪っ娘かぼちゃやとみ子さんを通して感じたこと、そしていつも温かくて優しくて頼もしい雪っ娘ファンクラブの皆へ感謝。

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