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人が死ぬとは

2021年11月12日金曜日、私が通う塾の先生が亡くなった。

その先生( 新山先生 ( 仮名 )は関西弁を話して、明るく、面白くて、皆から愛されていた先生だった。

私は水曜日に塾の自習室に行った、その日は別の先生の日だったから先生を見ることができなかった。しかし、私は水曜日塾に忘れ物をした。その忘れ物は木曜日の夕方取りに行った。私が塾の扉を開けようとすると、新山先生が出てきて、私に「どーぞ」といつもの笑顔で言ってくれた。私は折角来たのだから自習をしてから帰ろうと思って、何時間か自習をした。その間わからなかったところを新山先生に質問して、言葉を交わした。帰らないといけない時間になると私は身支度をして、帰ろうとすると先生が寄ってきて、「お疲れさん、また明日な、きいつけてかえりや」と言ってくれ、私はお辞儀をして家に帰った。

そして、金曜日。今日は新山先生の授業を受ける日だった。すると、母から「今日は塾おやすみだって、新山先生風邪ひいたらしいよ」と言いました。先生は熱に弱く、風邪を引くと本当にダウンする先生だった。だから私はただ早く治ってほしいなと思った。

土曜日、この日は期末テスト前の通塾の日でした。私は塾に行きましたが、塾は空いておらず、中から知らない先生が出てきて今日はお休みだよと教えてくれた。私はまだ新山先生風邪治ってないのかと思うだけだった。

日曜は特に予定はなく家で過ごし、月曜日、学校に行った

放課後、部活の時間になり、部室に行くと同じ塾に通う友達から「新しい先生どうなるんだろうね?」と話しかけられた。私は何を言ってるのかわからず「なんのこと?新山先生でしょ」そう笑いながら返した。そしたら友達は不思議そうな顔をして「え?新山先生亡くなったでしょ」と言った

最初はからかわれているのかと思ったが、続けて友達は「土曜日に塾から電話がかかってきて言ってたじゃん」と。

土曜日、母は電話に気づいていなかった、どうりで知らないはずだった。

家に帰り、ポストを見ると塾からの封筒が入っていた、すぐに中を確認した。書かれていたのは先生が亡くなったことだった。

文字を見た瞬間、頭がふわふわした、現実を受け入れられなかった、怖かった、信じたくなかった、どこかで生きていると思いたかった、忘れたくない。いろんな感情が混ざって出てきたのは涙。叫んだ、誰かの迷惑とか、そんなのどうでもよくなって泣きながら叫んだ。


先生が亡くなり半年が経とうとしている。私はあれから塾を変えた。新しい先生が塾長であるとこ、その塾長の授業があまり自分に合っていないなど理由は様々だが。

日々授業を受けていて新山先生に教わったなぁ、前、こんなことをうっすら言ってたなぁ、ここ教えてもらいたいなぁ、と感じることが多々ある。そんなことを考えたって仕方ないことなのだが。

まだ半年しかたっていないが、私は新山先生の顔が思い出せなくなっている、。忘れてはいけない顔なのに、声なのに、思い出せない、記憶から着実に消えていっている。人の一番覚えているのは匂いだそうだ。その通り、私は新山先生が好きだった香水の匂い、吸っていた煙草の匂いは覚えてる、それしか覚えていないのだ。こんなにつらいのかと痛感させられる。

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