n回目の「もう無理だ」

今日は、私なりに頑張ったつもりだった。

役所に行く。
借りていた本を返す。

たったそれだけ?と思うかもしれないが、私にとってはものすごく頑張らないと行けなかった予定のつもりだった。

その決心を一般的に例えると「逃せば留年確定の単位を決するレポート締め切り前夜」か「初恋の相手に面と向かって告白する日の登校中」みたいな感じだろうか。伝わってるのだろうか。

実際かなり頑張った。

まずこの日にたどり着くまで1週間かかった。「明日やろうは馬鹿野郎」と毎日呟きながら毎日馬鹿野郎を更新し続けた。
行くまでに何度もため息をつき、予定の時間から玄関のドアを開けるまで5時間を要した。




でも私はぬかっていた。
ぬかっていた結果、役所の用事は空振りに終わった。
実質借りた本を図書館へ返しに行っただけだった。
それでも、「今日行ったらごほうびを買おう、なぜなら私はがんばったんだから」と決めていたので、ローソンでストロベリーフラッペを買った。唇の端でやや存在感を放つ口内炎なんて知るかと小さな地雷を無視して買った。
重度のアトピーと乾燥肌を併発する頬からは、鱗が剥がれるように皮膚片がこぼれ落ちていた。日焼け止めを落とした後の頬はおおよそ二十代前半の顔ではなかった。
蛇の脱皮か?これは変身中なのか?そんなわけない。ただの乾燥とアトピーなのだ。

それでもお湯が触れるだけで線香花火が爆ぜるように痛む身体でシャワーを浴び、冷蔵庫で待機させていたストロベリーフラッペを吸ったときは「今日は頑張ったなあ。信じられんくらい暑かったな。もう今日は家からでんぞう」といつのまにか訪れていた夏を感じてあはれなりだった。

そんな時に一本の電話が入った。




「薬局に行って、〇〇の消毒スプレーを3本買ってきて欲しい」

母からだった。

(ああ、多分仕事で使うんだろうな)

すぐにわかった。母の職業は伏せるがまあそういう感じの職種だ(どんなんだ)。
仕事中に電話をかけてくることはまずない母からの電話だったので、用件の重要性と緊急性は瞬時に把握できた。

しかし私は逡巡した。

マジでか。

よりによって今日このタイミングか。



脳裏に「断ろう」がよぎった。
いくら私が人の頼み(特に母)を断れない性分とはいえ、日焼け止めを落としただけで脱皮中の蛇のような頬になった状態でこれ以上外に出た
くない。それにシャワーまで浴びた。無理だ。もう今日は心も身体も店じまいと決めたのだ。私はもともと利他的な人間だとわかってきて、だからもっと自分の意思をはっきり伝えられるようにならなきゃいけない。そう心を変えたはずだ。いけわたし。がんばれわたし。

だが電話の向こうの口調は切実そうに聞こえた。
……物音がしない空間で電話をかけているということは、現場から少し離れたところまで移動してかけているのだろうか。それはすなわち相当消毒スプレーを必要としてるんじゃないだろうか……

「……ムリでしょうか?」




「……(声にできないクソデカ爆音ため息)



……わかりました」

妹にはバッサリ「シャワー浴びたのに行くん?“シャワー浴びたから”って断ればええやん」と言われた。まったくもってその通りだと思った。







薬局に行って、消毒スプレーを買った。

かなしいことに、話はここで折り返しなのである。この先は翌日、つまり今日書いている。
昨日のことなのに我ながら哀しい。




薬局に行くと、おなじみの両手がキレイになるママさんのメーカーのハンドジェルがラスイチと、おかあちゃんは不在だったがBから始まるメーカーのスプレーが9個ほどある棚を発見した。

私は迷った。

確か母は「Bのスプレーを3本」と言っていたような気がする。だが実は目の前にあるこのラスイチのジェルのことなのかもしれない。だから急がせたのかもしれない。Bのスプレーはそこそこあるし、わざわざ私に言いつけるレベルで売れてるようにも見えない。緊急性の高さはジェルのほうが上なのでは?
電話をかけ直してみたが仕事に戻ったらしく何度かけても全く応答がない。自分で決断しろということだ。
画像の一枚送ってくれれば間違えようがないのになあ……と思いながら店内をうろちょろし、

結果、
ラスイチのジェル1本とスプレー2本を手に取った。

今思い返せば電話を受けたとき(仕事で使うんだろうな…)と思ったにもかかわらず、ここまで私はがんばったんだから何か甘いモノでも買って帰ろう、ついでに非常食にパスタでも買おうとカップのチーズケーキと冷凍たらこパスタを手にお会計をした。


「頼み事をしたときは報酬が必ずある」が暗黙の母のスタイルだったので、わたしは母の帰りをじっと待った。万が一惣菜系の可能性もあると考えて夕飯も食べずに待っていた。

わたしの頭の中は「がんばったなあ 今日はほんとにがんばったな」一色だった。普段ほぼ家から一歩も外に出ず、最後に家出たのいつだっけ……のような日々が3ヶ月以上続いていたわたしにとっては、ちょっとした外出さえストレスになっていたからだ。
きっとこの買い物は間違えているだろう。でも間違えているとしてもジェルの方だろう。だからもう一本買い足せばいいはず。そもそもいきなり電話をかけて無茶なお願いをしてきたにもかかわらず実物を知らないものを買いに行かされた身にもなってくれ。そうやろ?おっ、我ながら良いポジディブシンキングできてるやん?
などと久々の前向きな気持ち(つまりポジティブシンキング)にほんわかしていた。

ドカッガチャッ!とドアが開く音がした。家族あるあるだがドアの開け方、鍵の置き方、空気で誰が帰ってきたかわかる。一番慌ただしくけたたましいのが母で、母が帰ってきたとすぐわかった。

「買ってきてくれた?!」と開口一番聞かれ、「一応……」わたしは控えめにモノを提出した。間違っているとはわかっている。

「でもどれかわからんくてこうなってんけど……」

母は1本のジェルと2本のスプレーを見て目を見開いた。

「エェッ!?私“スプレー”って言ったよね?!!!!!!!!?!」

ああ……スプレーって言ったのはそういうことだったのか……私はその絶叫を聞いた瞬間気持ちがみるみる落ち込んでいくのを感じた。そして焼けた直後のシフォンケーキのように、みるみる萎んでいく。

ジェルとスプレーがあったときにスプレーを選ぶように強調していたつもりだったのか……

母の言ったことを忠実に守っていればミスは起きなかったのか……


「“”“ビ〇レ”“”の“”“スプレー”“”って言ったよね?!!!なんでコレ……」

どうしたらいいのかわからなかった。何を言ってももう何も聞き入れられないのは長年の経験でわかりきっていたので、わたしはただうつむいて「ごめん」と小さく低い声で謝った。母はそれさえも最近「あなたはそれさえ言えばどうにかなると思ってるの?」というがわたしは「ごめん」と謝る以外に何をすれば謝ってほしい人の気持ちが薄らぐのか知らない。

母はあからさまに苛立っていた。仕事でも人一倍ストレスフルな職場で1日働き帰ってきたところで、頼んでいたはずのおつかいが失敗しているのだから、母の苛立ちは尤もな行動だった。

「レシートは?」

母は次にわたしへ尋ねた。

アッ……

私はもう消えてなくなりたいと思った。
職場の経費になるのならレシートを提出しなければならない。だから私の個人的なお買い物が含まれていてはいけない。しかも母に私が個人的に買ったものを公開しなければならないという二重苦をつきつけられ、私の気持ちは一気に急降下した。タワーオブテラーのほうがよっぽどマシな自由落下だ。

情けない。
電話を受けたときそれが仕事のための買い物であることも、Bのスプレーだとしつこめに言われたことも、わかっていたのに。

わたしは今、おつかいひとつうまくやれなかったのだ。

わたしは白状した。

「ごめん……、自分の買い物もしちゃってんけど」

母は怒りと苛立ちを彷徨わせていた。どこにもこの爆発した感情をぶつけられないと思っていたのだろう。今振り返れば私も「私も悪いけどそんなに重要なことならメッセージで文字にしたらいいのに。でもそんな器用なことが軽々できる世代じゃないんだよな。文字より電話のほうが速い伝達手段だと思ってる世代だもんな」と冷静に思えるが、昨日当時そんなことを思える余裕はなかった。

「わたしの頼み方が悪かったよね、ちゃんと仕事で使うからって言えばよかったよね」と自分に言い聞かせるように私へ言いながら母は財布を取り出した。
買ったものがジェルとスプレーだけならワンチャン交換対応ができたが、チーズケーキとパスタを買ってしまったためそれはかなわない。最悪交換すればいいやという思考もお会計の時に及ばなかった私も悪かった。

解決策は、改めて3本の消毒スプレーを買い直す以外にはなかった。

わたしは、わたしが間違えたのだから自分が行くべきだと思った。

だがここで「わたしがやらなければならない」意識が誰より強いのが母である。そんな母の血を賜った娘なのだから、互いに義務感を衝突させるのだ。


「買いに行ってくる」

仕事終わりの母とわたしの押し問答が始まった。

そして案の定わたしの瞬殺だ。


ガチャンと再びドアが閉まった後、私は布団に潜り込んだ。



私は何にもできない。
おつかいひとつうまくできない。

そんなんだから人生もうまくやれないのだ。
だから不器用すぎて人生さえもうまく生きれないのだ。

もう無理だ。

こんなときに「もう無理だ」と言える相手もいない。
友達はいない。怖くなってみんな消してしまった。
家族も満足に頼れない。
そもそもこんなことを誰に言ったところで誰も理解できない。
だからこんなに辛いのだ。

何度も何度も何度も何度も
「もう無理だ」と思ってきた。

その度に、
何度も何度も何度も何度も勇気を振り絞って
「もう無理だ」と心の奥を打ち明けた。

でも誰も理解してくれなかった。
誰も助けてはくれなかった。

助けるというのは、文字通り力を用いるのだ。
ただ「言葉をかける」のは、それは助けているのではない。何も助けていない。言葉はただ伝える人の感情を載せる容れ物に過ぎないのだ。言葉をもらう人は言葉という容れ物から、話し手の感情を脳あるいは心に伝えて初めて、話し手の言葉に感動するのだ。
そしてその容れ物を強くするためには、伝える人の行動が伴わなくてはならない。アイドルの言葉やキャラクターの名言に感動するのは、影に努力や葛藤があったからだ。

かなしいことに思い悩んでいるわたしにとって、話を聞いてくれた人の言葉は届かなかったと言える。
私がどんなに細かく、わかりやすく伝えたつもりでも、心から「この人はわたしをわかってくれた」と思えた人はいない。
誰にも理解されないまま、わたしは死ぬのだ。

もう何回目だろうか。
死にたいと思うのは。

ぼんやりと天井を眺めながら、三浦春馬の取った手段を想像し、どうしたら縄をこの家に設置できるのか考えた。
冷静にマジで何でこの家は豆腐みたいにカクカクしてモノをかける場所が異様に少ないんだ。誰だ設計者。ある意味天才か?

前作『三浦春馬のいない世界』の終わりに、「待った」という自殺を免れるための一手段を書いた。それを思い出し、わたしは昨日もひたすら待った。

「明日の朝は死にたいと思わなくなる」かもしれない

「今は体調が悪いだけだ、寝たら治る」





「三浦春馬のいない世界」から、もうすぐ2週間が経とうとしている。

これを書いてアップしたということはわたしは今も生きている。相変わらず死にきれていないということだ。
多分明日か明後日にもまた、「もう無理だ」と思いながら涙を落とすのだろう。
きっとそのたびに、三浦春馬さんの姿を想起する。いつかは三浦春馬さんがわたしの背中を押すかもしれない。

それでも、その日が来るまでは、生きなければならないのだ。

これからも、何度も「もう無理だ」を繰り返しながら。


もしわたしのような人がいれば、ぜひTWICEさんの『Feel Special』を聴いてみてください。自分の価値が自分には一番見えにくいものだと思います。

https://youtu.be/3ymwOvzhwHs

最後までご精読いただきありがとうございました。支離滅裂ですみません。
本当にダメになる前に、わたしの思うことをここに出しきれたらいいなと思ってます。

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