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英語はなぜ難しいか?     (音声・会話編③)

 英語ペラペラを目指して、英語の発音・speakingの練習について説明する、「音声編」。「音声・会話編」では、多くの日本語speakerを憂鬱に(人によっては幸せに)しているであろう「英会話」を考察する。「音声・会話編」の第3弾にあたる今回は、「speaking English」において、多くの日本語speaker(もちろん、かつての私も含まれる)を縛っていると思われるマインドについて考えたい。

 まずは、本記事の要約を。

Englishの音は、日本語speakerにとって「不愉快」である。内容を理解する前に、音が不愉快でなくなるまで聞きこむことだ。言語学習は音楽に似ている。歌を真似して口ずさむ感覚で、楽しく続けていけばイイ。意味を考えるのは後だ。自分の口からEnglishが出てくるようになれば、誰かに聞いてほしくなる。そこから会話は始まる。言語習得はスポーツと同じく、理論よりも反復演習の方が重要だ。失敗を当然のことと受け止め、練習を続けよう。

①Englishの音は「不愉快」

 音声編で何度も述べたことだが、Englishの音は日本語speakerにとって「不愉快」である。Englishは日本語とは異なる周波帯(この表現は適切なのか? 詳しい方は教えてください🙇‍♂️🙇‍♂️)でやり取りされている。聴き慣れない音、特に言語だと思えない音を言語として認識するのは困難を極める。本来、聴きたくない音は聞かなければイイだけなのだが、そうもいかないのは皆さんご存知の通りだ。

 英語を「科目」と捉え(そのこと自体は、日本社会では自然)、「勉強しなければいけない」と思っているところに、「不愉快な音を聞け」と言われるのだから、それはキツい。結果として、「リスニングが苦手」という日本人が量産されることになる(もちろん、かつての私もその一人だ😭😭)。言語は耳から覚えるものなのに、その手段が「イヤ」なのだから、話が始まらない。

 貴方がEnglishを聞ける・話せるようになるためには、まずEnglishの音が不愉快でなくなる必要がある。聞く・理解するなどはその後の話であって、不愉快に感じるまま勉強してもいいことはない。私は半年前にフランス語を学び始めたが、およそ3カ月の間は、ただ聞き流していた。フランス語の音(「舌が擦れる」とでも表現しておこう。興味がある方はお試しあれ🤗)に馴染めず、この音が不愉快でなくなるまでは他の事はしない、と決めていたからだ。

 貴方がEnglishの音に不快感を覚えているなら、それを素直に認めることだ。恥ずかしいことでも、悪いことでもない。ごく自然な生理反応である。そして、不愉快でなくなるまでEnglishを聴き続けること。いきなり「リエゾンが〜」「内容が〜」などと言うから、ますますEnglishが嫌いになるのだ。


②「意味」を考えてしまう

 言語は歌から発達した。あらゆる言語には、背景となる歌の文化がある。美しい歌声には、人を惹きつける魅力がある。人は歌に惹かれ、歌を口ずさむ。何度も歌っているうちに、ふと「これはどういう歌なのだろう?」と気になる

 これが自然な順序だ。文の意味・単語の意味の前に、聞く・真似するという無意識に近い過程が存在する。「意味を考えるな」「意味を考えることが悪い」と言いたいのではない。「聞こう」「真似しよう」と思えないうちに意味を考えるのは良くない、ということが言いたいのだ。

 同じことが「短歌」の学習にも言える。「song」として楽しんでいれば良いのに、いきなり「枕詞」「切れ字」「掛詞」などの用語を覚えさせられるからイヤになる。文字列として捉えるから、「字余り・字足らず」「句切れ」などの現象にこだわってしまう。これらの概念は、歌を楽しんだ後に考えることであって、最初から学ぶことではない。

 現在の私は、10か国語以上の言語を聞き取れるし、真似できる。しかし、自分が口ずさんでいるフレーズの「意味」を理解していないことの方が圧倒的に多い。「10数種類の歌を聴いて真似している」という感覚だ。それで良いというのが、English speakerとなった私の結論だ。

 「意味を理解していなくては」「ある言語を完璧に使いこなせなければ」などと思っていたら、いつまでたっても他言語に挑戦できない。「聴くのが好き」「真似したい」という感情をもつことと、それを実行にうつすことが大切だ。


③まず「口から出る」ようになること

 突然ですが、質問です。貴方は、日本語を話せないうちに、誰かと会話しようと思いましたか?

 答えは言うまでもなく、「No」だろう。ある言語を「話せる」(個人の感覚である。絶対的な基準など存在しない)レベルに達していなければ、少なくとも自分から話しかけようとは思えない

 日本語を覚える前の貴方には、多くの人が語りかけてくれた。両親、親戚、通りがかりの大人、幼稚園の先生etc。彼らの日本語を受けているうちに、貴方の中で日本語が増えていく。ある日、貴方は日本語で誰かに語りかけたくなった。そして、実際に話してみた。すると、相手から何かしらの反応(語り返してくる、体がピクついたetc)が返ってきた。貴方は嬉しくなり、その後も日本語を使っている。

 これが「言語習得」のプロセスである。大量の言語にさらされているうちに、自分でも真似したくなる。そして、実際に真似してみた。もちろん、うまく言えなかった、うまく伝わらなかった、という経験もある。そうこうしているうちに、徐々にその言語を自分のものとして使えるようなる。

 大量のインプットはアウトプットへ転化し、アウトプットのためにさらにインプットしようとする。この循環をつくる、整えることが言語を指導する人間の役目である。もちろん、学習者自身がこの役割を果たしても良い。

 自分の口から出る言葉は、やがて他の誰かに向けられる。相手も同じだ。双方が言葉を共有することで会話は始まる。話せる人間同士によって成立するのが会話であり、決して逆ではない。会話を通じてspeakingが鍛えられるのは勿論だが、話せるようになるために会話するのは本末転倒である。

 お互いの言葉を理解できれば会話は成立するため、必ずしも同じ言語を用いる必要性はない(前回記事参照)。だが、我々は「英語ペラペラ(私自身がまだペラペだが😅)」を目指すので、以降は「両者がEnglishを用いる英会話」について述べる。

 ここまで記事を読んできてお分かり頂けたと思うが、「話せる(自分の口から特定の言語が出てくる)→会話する」という順番を意識することが大切だ。まずは、自分の口からEnglishが出てくるようにすること。これは独力でできることだ(もちろん、誰かの手助けを借りても良いのだが)。そのためには、①Englishの音が不愉快でなくなる、②大量のEnglishを聞く(ネット上には、無料動画が山のようにある)、③聞こえてきた音を口真似する、④真似した音を自分から(聞かなくても)出せるようにする、というstepを踏む必要がある。一定レベルまで到達したら、⑤誰かに聞いてもらう、という段階に達する。ここにきて初めて、「会話」の入口に立ったと言える。


④言語は「使う」もの

 何度でも言うが、言語は意思疎通・表現の手段であって目的ではない。そう、お金が幸せになるための手段であって、目的ではないのと同様である(異論は受け付けません😝)。

 手段は習得するもの・使うものであって、研究の対象ではない。もちろん、言語を研究対象としている人達もいるが、我々が目指すのは「speaker」であって、「評論家」ではない。

 この点、日本における英語教育は「評論家」を作ろうとしているように思う。「時制が〜」「節が完全文かどうか」「仮定法◯◯」という発想は、言語を学問の研究対象として分析するには有効だが、言語の習得にはほとんど関係がないのである。

 言語習得は、スポーツや楽器演奏と似ている。手段を「身につける」ためには、果てしない反復演習が必要なのだ。ルールや技術を「頭で理解する」のはもちろんのことだが、それだけで技術が「身についた」とは言えない。理解よりも反復演習の方が、圧倒的に回数と時間を必要とするのである。

 Englishを日々使うこと。インプットとアウトプットを毎日続けること。貴方は日本語に触れない日があるだろうか? 同じことである。


⑤失敗してもいい⁇

  上達のためには、練習が必要だ。そして、練習には失敗がつきものである。だが、日本社会では失敗すること自体が難しい。「日本人は失敗を恐れる」とよく言われる。日本文化は「恥(shameではなく、embarrassment)の文化」と呼ばれることもある。対策として、「失敗してもいいから、やってごらん」という指導がなされる場合も多い。

 しかし、私はこの指導には懐疑的である。体に染み付いた感覚は、「失敗してもいい」という言葉程度で振り払えるものではない。感覚や価値観を変えるのは、容易なことではないのだ。貴方にも思い当たることがあるだろう😅 そこで、代替案を2つ提示して、本記事の結びとする。

 一つ目は、失敗が最初から気にならない環境で練習することだ。ズバリ言えば、一人で練習すること。失敗を恐れる理由の大部分が「他人の目」であるため、誰も見ていない環境では失敗に対する恐れは激減する。

 コロナ禍(もう去った?)の日本は空前の「独学」ブームだそうだが、元来、学習は一人で行なうのが最も効率が良い(自分のペースで、自分に必要なことだけを練習できるのだから)のだ。

 注意すべきは、失敗したらそれを素直に認めること。失敗は上達への必須条件である。自分しかいないからといって失敗をスルーしてしまうと、それだけ上達が遅れることになる。

 二つ目は、「失敗してもいい」ではなく、「失敗しろ」という指導をすることだ。指導を受ける立場からすれば、失敗が正解(?)なのだから気が楽だ。1の成功の背後には100の失敗がある。失敗は当然の現象なのである。

 私は、学習者としては一つ目の方法を、指導者としては二つ目の方法を採用している。まあ、講師である私自身が失敗の山を築く(積分計算間違いまくり、英語表現間違いまくり😅)ので、生徒も失敗など気にしなくなるが 笑。貴方が指導を受ける立ち場ならば、指導者に「失敗しろ、と言ってくれ」と要求すれば良い。

 失敗は「してもいい」ものではない。上達のために「常について回る」ものなのだ。

 ということで、今回はここまで。次回記事では、Englishにシンクロするためのkey concept(だと私が考えている)「side」について説明する予定だ。それでは、Arrivederci❗️
追記: 「side」の理解は難しいため、「音声・実践編」の後に回すことにした。ご了承ください🙇‍♂️🙇‍♂️

Whether you can do or not               is ditermined by God.

Whether you do or not        is ditermined by yourself.

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