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英語はなぜ難しいか?     (音声・会話編②)

 英語ペラペラを目指して、英語の発音・speakingの練習について説明する、「音声編」。今回は、会話編の第2弾だ。

 日本社会において、羨望と好奇の眼差しを向けられがち(今はそうでもない?)な「英会話」。私は、自らの経験を通して、会話に対する考え方を改めた(前回記事参照)。英会話を考察することを通じて、会話とは何かを探っていきたい。

 いつものように、冒頭で本記事の要約をしておく。

会話の目的は相互の意思疎通であって、どの言語を用いているかは本質ではない。言語は手段であって、英語の習得そのものが目標・ステータスになっていることが、日本社会における混乱を生んでいる。「英語を話す」と「英語で会話する」は別のことであるが、両者はしばしば混同される。英語をマスターするには、必要性ではなく、別の目標に向けての「手段」と捉えるのが良い。

①これは何会話?

 以下の会話を読んでいただきたい。

A: Hello! I am A. Is Mr.◯◯ available?                             I'd like to talk to him.                       

B: 申し訳ありません。◯◯は席を外しております。

A: Oh, that's a pity.          

B: よろしければ、ご用件を伺っておきましょうか? 

A: No, thank you. I'll call later.

 AがEnglish、Bが日本語でやり取りしている訳だが、このやり取りは「会話」と呼べるのか?

 もちろん、会話と言える。なぜならば、双方の意思が通じ合っているからだ。会話において最も大切なことは、意思疎通である。お互いの考えを伝え合い、受け止め合う(もちろん、反発することもある)。

 上記のやり取りを会話と呼ぶことに異論はないとして(ある人は、我慢して読み続けてほしい🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️)、それは何語による会話なのだろう? 巷で人気の英会話として良いのか? それとも、日英混合会話とでも呼ぶべきなのか。また、Bは日本語を使っていた訳だが、「英会話に参加した」と言えるのか?この問題に正解などない。しばらく時間をおいて、自分なりの考えをまとめてほしい。

 貴方は、英会話が出来るようになりたいと思っているだろう。だが、そもそも何をもって「英会話」と言っているのか?

 いや、そもそも、何をもって「会話」と呼んでいるのか?

 English speakerとして生まれ変わった(?)私は、この問題について深く考えるようになった。


 ということで(時間は稼いだ😅)、貴方の意見はまとまっただろうか? 先程も言ったが、正解など存在しない。これから述べるのは、あくまで私の個人的な意見である。

 私の見解は、「会話は会話であって、何語による会話か?などは、ドーデモイイ」である。・・・。「ふざけんな‼️ 何語による会話か?と質問しておいて、ドーデモイイとは何事だ!」とお怒りの貴方、ちょっと待ってほしい(そろそろ、このパターンにも慣れてきました?😝)。大切なのは会話することであって、特定の言語を用いているかどうかではない。少なくとも、現在の私はそのように考える。


②言語は「手段」

 「日本人は英語が話せない」とよく言われる。様々なデータからも、私自身の体験からも「その通り」なのだが、私はこのnoteで何度も「大きなお世話😝」だと言ってきた。どの言語を用いるかは話し手の自由だと信じているからだ。いかなる人間にも、相手が用いる言語を決定したり、否定したりする権利はない。

 会話は会話であって、言語はその手段に過ぎない。前回記事でも書いたが、ここを腹の底から分かっているかどうかが、英会話ができるかどうかの分かれ目となる。

 分かりやすいように、別の表現で言い直そう。「日本人が英会話をできない」のは、「英語で話せ」と強制されている(ような気がする)からだ。

 「同じことじゃないか‼️」と怒った貴方。この2つを混同しているから、いつまでも「英会話」ができないのだ。

 English speakerとなってからしばらくの間、私は日本語が上手く話せなかった。授業ではやむを得ない場合は拙い日本語で話し、基本的には(相手にEnglishが伝わると予想できる場面では)Englishで説明していた。その時(本当に短い期間だったが、貴重な体験ができた)に学んだのは、英語で話しかけられたら、英語で返さなければいけない、と思っている人が多過ぎる、ということだ。日本人の「おもてなし」「お返し」の精神かどうかは分からない。私が、「Please speak in Japanese, because it's your own language.」と強調しているにも関わらず、生徒達は英語で返そうとする。そして、上手く返せないとなると、結果として沈黙を貫くことになる。・・・。どこかで聞いた話ではないだろうか? そう、日本人が「英会話」に直面した時の反応である。

 貴方は、多少なりとも相手の英語を理解できる。そして、それに対して日本語で返事ができる。これで何の不足があるのか? 意思疎通ができていれば、それは会話であるハズだ。

 ここで、冒頭のやり取りに戻ってほしい。私は、「会話」と呼べるかどうか?について、もちろん会話だ、と述べた。それに対しての異論はスルー😅した。ここまでくれば、理由はお分かり頂けるだろう。冒頭のやり取りを会話だと思えない人は、会話は同言語で行なうもの、という思い込みに縛られている。この思い込みから自由になることが、「英会話」への第一歩なのだ。

 そう、「英会話」とは「英語登場する会話」のことであって、必ずしも英語同士でやり取りする会話のことではない。「そんなバカな‼️ 同じ言語でなければ、会話が成立しない」と思った貴方には、「実際に成立しているから😍」と答えておこう。この記事は、私の実体験に基づいて書いている。Englishと日本語での会話は、実際に私と日本語speaker(妻を含む)との間で成立した。

 ヨーロッパを例に出せば、スペイン語speakerとポルトガル語speakerの会話は問題なく成立する(おそらく、イタリア語speakerとも成立する)。両者は、標準日本語と大阪弁の関係に似ている。貴方はまさか、「大阪弁を話す人とは会話が出来ない」とは言わないだろう(もともと大阪弁を話す読者は、立場を逆にして考えてほしい)。さらに進めて考えると、スペイン語を聞き取れるEnglish speakerは、スペイン人(基本的にヨーロッパ人は、最低限のEnglishが聞き取れる)と会話できる。それぞれ、相手の言っていることは理解できるし、相手も自分の発言を理解できるからだ。これこそが会話の本質だ。これをさらに進めていけば・・・。そう、Englishと日本語による「会話」も、当然のことながら成立するのである。従って、冒頭のBは、「英会話に参加した」と当然言える。

 会話は、相手との意思疎通を図るものである。言語という武器を手に入れた人類は、(少なくとも今のところ)地球の覇者となった訳だが、それは言語を通じて他者と意思を共有できるからである。「通じさえすればイイ」というのは暴論である(相手に理解を強要しているので)が、「通じることが大切」という考え方は基本的に間違っていない。逆に言えば、通じなければ言語としての機能を果たしていない、ということだ。日本における英語教育は、ここを忘れているような気がする。

 これまでの記事で述べたように、日本社会における「英語」は、科目・資格である。そのこと自体には何も問題はないが、結果として「相手と意思疎通できるか否か」という、最も大切な項目が置き去りにされてしまう。このマインドを変えるために、私は敢えて言おう。「どの言語を用いているかなど、小さなことだ‼️」と。逆説的に言えば、言語は手段に過ぎないと実感できることが、ある言語を使えるようになるために必要なのである。


③「会話する」と「話す」の混同

 ここまで記事を読んで頂いた貴方には、このタイトルの意味が理解できるだろう。「英語が飛び交う会話に参加する」ことは、「自分が英語を話せる」こととイコールではない。自分が英語を聞き取れること、相手が自分の言語(日本語)を聞き取れること、の2点が揃えば、「英会話」は成立する。やったね‼️ つまり、私のような日本語かつEnglish speaker(今の日本にはゴロゴロいる)と会話すれば、貴方も「英会話ができる」と言えるのである。

 だが、何か釈然としない。「では、自分自身が英語を話せる必要などないのか?」という疑問をもったかもしれない。

 私の答えは、「必要ない」である。ここが非常に大切なところで、Englishを使える必要など、どこにもない。少なくとも日本社会においては、日本語を使えれば充分である(音声編・音声練習編参照)。もっとはっきり言おう。必要かどうかで判断している間は、Englishが使えるようにはならない

 そうではなくて、「自分もEnglishを使えるようになりたい」「Englishを話したい」と思えるかどうかが大切だ。必要性などない。ただ、話したいだけだ。この感覚が言語学習(他の領域でも?)において特に重要である。

 私は、ここまで何度も、「英語は手段である」と述べてきた。表現を変えれば、「English習得とは別の目標をもっている」ことがポイントだ。よく挙げられるのがEnglish speakerと恋人になることで、私も短期間ではあるが、経験したことがある😝(男が懸命になるのは、大抵女性絡みなのだ)。

 また、日本語・英語とは異なる言語を学習することも有効だ。アラビア語に魅せられた私は、アラビア語による会話を夢みた(それは、現在も変わらない)。その際、アラビア語で上手く言えない内容は、英語で補うことになる(念の為に言っておくが、全て私の脳内での妄想である😅)。「◯◯語で上手く言えないから、英語で伝えるしかない」、この感覚を持つことだ。そう、「英語は手段」だ。

 英会話に自分も英語で参加したい、そのために英語を話せるようになりたい。この順番を逆にしてはいないだろうか? 英語を話せるようになるために、英会話を習おうとしていないか?

 あるいは、両者を混同していないか? 英語を話せるようになれば、(自分も英語で話す)英会話ができると思っていないだろうか?

 両者を明確に区別し(もちろん、多くの部分が重なっているが)、まずは話せるようになることだ。そのための方法論は、音声編・音声練習編で述べた。気になる人は過去の記事を読み直して(まだ読んでない? それはマズい😅)ほしい。もちろん、これからも述べていく。


 ということで、今回はここまでだ。次回は、多くの日本語speakerを縛っている(と思われる)英会話におけるマインドについて説明する予定だ。

 それでは、レーオ ジャーガン(また会いましょう)!

やりたいからやっている。       他に理由はない。

 

 


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