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英語はなぜ難しいか?     (音声練習編④)

 英語ペラペラ(私自身がまだ「ペラペ」だが😅)を目指して、英語の音声を練習する「英語はなぜ難しいか?音声練習編」。第4弾の今回は、「英語において重要な音だが、日本語speakerが苦手とする子音」の残りを扱う。音声練習編①〜③とあわせて読んで頂きたい。

 まずは、本記事の要旨を述べる。

「b」と「p」をセットで発音すれば、日本語の「プ」と「p」の違いが分かる。「v」は、下唇を前歯に押し当てるように発音すると良い。発音の仕方は一通りではないが、「b」と「v」は決して同じ音ではない、というマインドセットが大切だ。「sh(シュッ)」「tu(チュ)」は日本語よりも口をすぼめるように出すと良い。発音・speakingは理解するものではなく、実践するものだ。

 なお、音声練習編では「子音→母音」の順番に説明する。日本語speakerが英語を練習する上で、子音の方が重要だと考えるからだ。その辺りを念頭に置いて、本記事を読んでほしい。

①「b」と「p」は同じ口の形

 口を閉じて横に開き、「ブ」の音を出してみよう。クイズ番組で不正解の時に流れる(もう流れない?😅)「ブッ、ブー」をイメージすると良い。その際、「ブ・ブ・ブ・・・」と連続して出すと、母音を消しやすい(=「ブ」ではなく、「b」の音になる。音声練習編①参照)。

 次に、同じ口の形のまま「プ」の音を出してほしい。日本語の「プ」は口がすぼんでいるが、英語の「p」は口が横に開いている。この違いを体で覚えるためには、「b」の音を出した口のまま、「p」の音を出す。「プ・プ・プ・・・」と連続して出すと母音が消えて、「p」の音になるのは、先ほどと同じだ。この「口の形が同じ」という感覚が、今後の発音練習において非常に重要になる。

 日本の英語教育において、様々な発音理論が研究されてきた。確かに素晴らしい業績だが、決定的な弱点がある。それは、研究者自身が発音出来ない、ということだ。このイビツな構造が、様々な弊害を生み出していると考える。英語の発音に関しては、本当に多くの理論がある。しかし、「口・舌の形に着目すれば、自然とそうなる」という実践的感覚の前では、それらは虚しく響く。理論は理論として評価すべきだが、それを実際に取り組んでいる受験生にも理解させようとするのは感心しない。言語、特に「話す」「聞く」は、スポーツに似ている。四の五の言う前にやってみることだ。理論は後から「確認」のために用いるものであって、最初から学ぶものではない。

 話が長くなってしまった。申し訳ない🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️。それくらい「口・舌の形を意識する」ことが大切だということだ。

②「v」は「b」とは別の音

 次に「v」の音を出す練習だ。「下唇を上の前歯で軽く噛む」という説明がよくされる。ここで注意してほしいのが、「歯を動かす」のではない、ということだ。そうではなく、下唇の方を前歯に近づける、または前歯に押し当てる。動かすべきは唇の方だ。ここを勘違いしていると、「v」が異常に出しづらくなる(経験者は語る😅)。歯を動かして下唇を噛もうとすると、「出っ歯」状態となりダサい。

 だが、具体的な発音法よりも大切なことがある。それは、「bとvは異なる音」と思えるかどうかだ。英語に限らず、他言語の音を真似する際に重要なのは、「異なる音であることを素直に受け入れる」マインドだ。「lとr」にも同様のことが言えるが、自分が使い分けられないからといって、「大した問題ではない」「同じようなもの」などと言っていると、いつまで経っても聞き分けられる(=出し分けられる)ようにならない。

③その他の子音

 「sh」は「シュシュッポッポー」と蒸気機関車の真似をすれば簡単に出せる。日本語「集中」の「しゅ」よりも、口をすぼめる意識を持つと良い。

 「tube」などの「チュ」は、「sh」と同じ口の形で出せる。口・舌の形を意識することで、「同じ形の音」が認識できるようになる。これは、natural Englishを操る上で非常に大切な感覚である。詳しくはいずれ説明する予定だが、「音の変化」を体感で理解するためには、「口・舌の形が同じ」がキーワードとなる。

④変わるべきは「教える側」

 今回で、子音の発音練習法は終わりだ。次回からは、母音の発音・消える音などについてお話する予定だ。
追記: 「消える音」については「音声実践編」で扱います。その前に、「音声・会話編」を書くことにしました🙇‍♂️

 本記事の最後に、日本の英語教育について、私が強く思うところを述べたい。

 ここまで「音声編」「音声練習編」の記事を読んできた貴方は、薄々と勘付いているだろう。それは、「英語を教えている人達が、英語を言語として使えていない」ということだ。私自身がそういう人間だったこともあり、『英語はなぜ難しいか?』シリーズは英語教員・講師を主な読者として書いてきた(つもりだ)。

 ある言語を習得する際には、「聞き取れる」→「真似する」→「話せる」→「読める」→「書ける」という順番を必ず踏む。母国語である日本語を、貴方がどの順番で習得したかを思い出してみれば分かるだろう。これらの技能は相互に絡み合っている。特定の技能を鍛える、ならまだしも、ある技能をなおざりにするのは、言語習得の過程として極めて不自然である。その結果、「読めるけど話せない(=言語として使えていない)」「話せるけど読めない(=活字から情報を得ることができない)」というイビツな事態が生じる。

 言語は4技能が絡み合って成立しており、どれかが不要などということはないのだ。典型的な例として、話せないことは書けない。speaking能力はcomposition能力と密接な関係がある。

 自身が英語を話せないと、「話せる必要はない」という態度につながりやすい。心理的な防衛機能であり、極めて自然な反応だ。かつての私も同じように考えていた。話せない人間には、話すことの必要性は認められない。

 必要なのは「理解」ではなく「実践」だ。英語を話せない自分を変えようと感じたならば、ともに一歩を踏み出そう! 

 キレイにまとめられた(?)ところで、Auf Wiedersehen!

何回失敗したかって?        挑戦回数よりは少ないんじゃないかな?

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