学校はオワコン

学校では、なぜ"それ"を学ぶのか教えてくれない。

ただ義務教育として。ただ高等教育として。
カリキュラムが組まれているから教えられるだけでは、なかなか興味をそそられない。

授業の最初に配られるシラバスで見る部分は評価方法だけ。評定さえあればいい。そんな人が多かったのではないだろうか。

しかし評定というものがあれば楽しく学べない。
テストに出るから覚えることは、学ぶことではない。
学びというものは知識を深めることだ。

テストの点数や順位に執着し、それで自己を確立するような人もいるだろうけど、それは本当に学習なのだろうかと疑問に思う。

「学習」と「お勉強」は違う。

「学習」は結局「生涯学習」に繋がるものだと思っている。興味があるから学び、それに楽しさを感じる。

「お勉強」は試験を乗り越えるものだと思っている。興味のないものを必死に頭に詰め込み、そして忘れていく。

例えば歴史。世界史に日本史。
様々な民俗のルーツを体験してみる、戦場となった現地に行ってみる、資料を読み込む、当事者に話を聞く。
深くしれば知るほど矛盾に気付き、他国と何が問題になっているのか、今何をするべきかを学べるのではないかと思う。

例えば数学。そして簿記・プログラミング。
サインコサイン?タン…何?無駄無駄。その時間で簿記やプログラミングを学んだほうが実用的。貸借対照表や原価計算?、関数とかC言語だっけ?それを覚えた方が価値がある。(数学万年赤点なので数学アンチ)(簿記も赤点だったが)(プログラミングも英語得意じゃないと難しい)

例えば古典。
よく言われているけどほぼ官能小説。イタいポエム。
ははあ、楽しい。こりゃ楽しい。ほぼ娯楽。眠たいけどね!奥ゆかしい表現がたくさんだが今考えるとクソくだらねぇ詩を詠んでいるだけなのも面白い。

例えば…
挙げていくとキリがない。

あ、でも本当に倫理と現社は意味ないです。
地理は専攻してなかったので知りません。何故か当時の担任に半強制的に日本史専攻にさせられました。

我々が「お勉強」してきたことは今に繋がっていると言えるだろうか。楽しかっただろうか。

必死に演習を繰り返した数式。
必死に一問一答した重要用語。
必死に覚えた古語。
覚えてる?覚えてないよね。
私たちがやってきたのは「お勉強」。

あの時間もあの参考書も。
全部無駄だったんだよ。

これから教育に関わる人に言いたい。
児童・生徒・学生には「お勉強」じゃなく「学習」を提供してあげてほしい。目的を明確にしてあげてほしい。
なぜ"それ"を学ぶのか。
"それ"が分かって初めて、楽しく学ぶことができるのだと思う。


【あとがき】
大学中退の躁鬱ポンコツが学校について語るな!
学習支援でチューターのバイトしたり、塾の事務でバイトしてただけで、教員免許もない奴が教育環境について語るな!
てか、お前高校は追加合格で大学は小論文入試だっただろうが勉強もロクにしてない奴が語るな!

そう思う奴は是非これからも私のnote読んでね。きっといつか、絶対に好きにさせてみせるから。

^_^、

てか実は私、看護系に行きたかったの知ってた?担任に反対されたんだよねー、まだ教師やってるのかな?辞めててほしいな、あんなオワコン教師。
まぁ推薦も特待も取れそうだったところ締切直前に手続きして、さっさと大学受験終わらせた私が1番オワコンですが。

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