春ってそう

急激な寒さ、大雨、暴風から打って変わって春ですね。去年より暑い。4月から猛暑っていうニュース見てから気が気じゃない。春ですね。

桜好きだけど、好き故に「散るのか、散るな、かなしい、絶対散るな」と毎年思っていて、私は全国の桜を一枚たりとも見逃したくなくて、それが叶わないことにもストレスを感じ、自律神経がボロボロになっております。

精神状態がよくないのでイヤホンをせずに春の気候に触れるか…と外に出たら土日の春の京都は楽しげな観光客と着物を着た女の子たちで溢れており、血を吐きながらスーパーで肉じゃがの具材を買って帰りました。あとちょっとで死ぬところやったわ。あぶね〜。

毎年春はウダウダになっている気がするのでもう諦めたい。こういうもんなんだって思いたいですね。

不機嫌って厄介です。

私は八つ当たりをする人間や感情的になったらそのまま感情で放出する人間のことが好きではありませんが、理解できないわけじゃあ、ありません。訳もなく涙が出る日もあるし、訳もなく胸が苦しくて死んじゃいそうな日が沢山あるからね。全部が全部綺麗に進まないんだ。人生ってのは。

ただ苦しいながらに「私の精神状態が悪いことは他の人を傷付けていい免罪符にはなりません」とは思ってはいるんですが、まあ思っているだけで少し傷付けたり、沢山傷付けてしまっていたりするのだと思います。出来る限りそうしたくないから苦しくても口がある限り最低限の事前説明はしておきたいんですが、それを言ったから理解が出来るってのも私の中だけの話で、他の人が聞いたって「わけがわからん!なんだコイツは」となる可能性の方が高いわけです。同じ言語を持っていても人は多種多様なので、分かり合えません。わかりあおうとすればするほど摩擦が起こってつらいものなのだ。

人間は多くの人が「私を理解してほしい」って思ってて「誰かに寄りかかりたい」って思ってて、寄りかかられる人も本当は誰かに寄りかかりたくて、訳がわかんない事に、なっている。

「そんなのは無理です」と思っています。というのも、「私を理解してほしい」の中身は文字そのものではなく「他者への気遣いを全く0にした場合の私も受け入れてほしい」みたいな場合が多いからです(個人の見解です)

人間の形はパズルのピースみたいにみんな違うし、かといってパズルのピースみたいに何もしなくてもカチっとハマるなんてことはそうそうないと思っています、個人の見解です…。なので、他者と関わる、その時点でパズルのピースの形を相手のピースに合わせてちょっとずつ変えたり、変えてもらったりすることが必要不可欠であると思う訳です。それを「気遣い」と捉えると負荷みたいに思えるかもしれませんが、親しき仲にも礼儀ありはガチだし、気遣いを発生させずに他者と関わってその上好かれたいだなんて傲慢でワガママだと思っちゃうわけです。

20%のワガママならええかもしれんけど、100%寄りかかったら気付かない内に相手がボロボロになっちゃったりする。自分ばっかり分かってほしい!じゃダメなんだと思う、でも人間は自分のことで精一杯だから、やっぱり気を抜けば自分ばっかり「分かって欲しい!」と思ってしまう生き物なんだと思う。

力の抜きどころ、全く分かりませんね。入れどころも。人と人が関わるのって社会で本当に必要不可欠なの、面白いですね。社会ってなんなんだよ。社会から外れても息を吸って吐くことは出来るのに、なんなんだよと思いますよね。

自分自身が「親しい友達だ!」と認識していても相手はそう思っていないから親しい友達のストーリーが晒されていたり、鍵垢のツイートが晒されていたりって事が起こる訳で、自分自身が「この人と居ると気を遣わなくていいから楽だな」って思ってる時、それは相手の気遣いの上で成り立っているって、同様のことがゴロゴロ転がっているんだと思うと、どこまで人の気持ちを掘って裏の裏を考えればいいのかってね。しなくていいって言われたらそれまでなんですが。

一方通行だったり、一方通行に思われていたりするもんだから私は親しい友達のストーリーとか鍵垢とかを一切信用していませんが「信用していたら傷つくのは自分だから」って、なんか訳がわかりません。何を基準にして、みんな他人のことを信用しようと思っているんでしょうか。聞いてみたいです。

訳もなく涙が出る時に人体のどこがどう機能して最終「涙を流す」という結果に行き着くのか、それの意味はなんなんだろうかと涙を流しながら考えたりします。この間敵の戦意を喪失させる効果がある的な文章を見て「じゃあ1人で流す涙はどんな意味があるんだ」とまた新たな疑問が生まれました。でも心が詰まってそのままになるより、やはり気持ちを涙にして出してしまった方が心が軽くなる気もしますね。一種自傷行為と似たような作用があるけれども自傷行為より随分といいものだなと思いますので、皆さんも気持ちがいっぱいいっぱいになったら好きな映画とか本とか音楽とかで涙を流して気持ちを少しでも放出させるのがいいと、思います。

春はあけぼのだったら良かったがな、そう単純じゃない、バカデカ社会の波に揉まれて足を踏んで足を踏まれて後ろ髪を引っ張られて、嫌な思い出を引っ張り出したりしてさあ、忙しいんだ。現代ってのは。目にする情報が多くて、抱えきれなくて目眩がするんだ。

もう一歩先のコンクリートの地面くらいの面積しか見たくない。そんな感じです。あとちょっと、もうちょっと季節がすすめば、桜がいっそ散ってしまえば、今年のクリスマスとか、年末年始とか、来年の桜のことで少しは息を深く吸えるかも。そうだといいですね。

ほどほどに離れて、ほどほどに笑ってすごしたーい。春ってこんなかんじ。

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