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観光の「光」

学生Q.先週の小テストは「君のふるさとの<光>を紹介しなさい」という課題でしたが、なかなか思いつきませんでした。先生が思う観光の「光」とはなんですか?
コクジーA.今回の小テストは「これだけが正解」というものを設定していません。色々な可能性があります。「光」ってその人のものの考え方とか、感受性によって変わるからです。あなたが「これが光」だと自信を持っても訪問者が同様に感激するとは限りません。色々な答えがあって当然なのです。ただ、これまで多くの人が「観光資源だ」と感じている既存のものではあまり答えにはなりません。月曜日の夜のNHKで「鶴瓶の家族に乾杯」という番組があります。割と年寄りが好んでいるみたいな番組なのですが、そこで福井県の永平寺町のある中学のことが紹介されていました。授業が終わって、下校する時、皆学校を振り向いて一礼して帰っていくのです。鶴瓶もビックリしてじっと観察していたら、すべての生徒がそうしていました。また、これは私の体験ですが、鹿児島県の山の中をタクシーで走っていたら、学校帰りの小学生のグループが道の端に並んでタクシーに向かってお辞儀しているのです。冗談かと思ったら、出会う小学生すべてがそうしていました。大人はそんなことはなかったのですが。同行していた県のスタッフに聞いたところ、鹿児島県では県下の小学校すべてで、来訪者に対して挨拶するよう教育しているそうです。知りあい、知らない人、は関係なくです。それがごく自然に身に付いていて、お辞儀したり、手を振ってくれます。福井の例もそうですが、みんながイキイキ、ニコニコしています。私がかつてトルコに旅行した時も道行く人々すべてがほほえんでいた様な気がします。当時トルコは巨額の財政赤字で国全体が借金地獄のような経済状態でしたが、「何故こんなに皆明るいのか?」と現地の友人に聞くと、「トルコにはたとえばナスの料理だけで200くらいのレシピがある。とにかく食べるモノや料理は豊富で、人は飢える心配だけはない。だからかなぁ」と言っていました。こんな地域や国を見ると、訪問者までなんとなく幸せ気分になります。これも「光」といえるんじゃないかと思いました。

ところで先週の小テスト--君のふるさとの「光」--についての諸君の回答の中から皆に披露したい優れものを集めて公表します。名前は伏せています。

1.私が生まれ育ったのは兵庫県小野市で「そろばんの町」と呼ばれています。小学校3年生ではMyそろばんを作ります。そのそろばんで算数の授業を受け、3学期には小野市そろばん大会というものが開催されます。夏にはそろばん甲子園というものも開催され、全国からたくさんの人が集まります。しかし、そろばん人口が減ったためか、昨年でそろばん甲子園はなくなったと耳にしました。もうひとつ自慢できるものは「よさこい」です。小野市にはたくさんのよさこいチームが存在し、夏にある「おの恋まつり」には全国からたくさんの踊り子さんが集まり、コンテストが開かれます。私も何度かステージに上がり、最優秀賞を受賞したことがあります。たぶん北播磨地域の中で2番目くらいによさこい人口が多い市だと私は思います。
■講評:小野市の市役所前には大きなそろばんのモニュメントがあります(面白いので一昨年、カメラで写してきました)。そろばんというのは単に「早く計算する道具」というだけでなく、モノの考え方や記憶の仕方を切り替える優れもの、だと思います。あやふやな話ですが、脳が計算過程を画像で理解しているみたいです。私も中心市街地の問題を教材にすべく小野市を取材に行ったことがありますが、神戸電鉄の駅前が寂れてしまっていて驚きました。町の中心地が移動してしまったのです。市役所が率先して移動したため、商店街は置いてきぼりです。鉄道から道路への移行が町の構造を変えたのです。よさこい、については正直そんなに小野市で盛んだとは知りませんでした。最近は全国的なブームのようですが、若者にとってはストリートダンスの延長とみて良いのでしょう。

2.私は淡路島出身です。淡路にはあまり観光できる場所がありませんが、私が通っていた中学校からの景色はとても良かったです。町が見下ろせ、海も見える。後ろを見れば山で、淡路は自然豊かな島です。食べ物はピンス焼きが大好きです。ベビーカステラの半熟版です。他の県から来た人は少し抵抗があるかも知れません。半生なのでお腹を壊さないか不安だと思います。私は18年間食べてきましたが、お腹を壊したことはありません。先生も一度食べに来てください。私のおすすめのお店は「池田のピンス焼き」です。お祭りの時に是非来てください。
■講評:身近な場所なのに知らないことって多いですね。これぞ地域の「光」でしょう。地元の人だけが知る地元の古くからの味、それを聞きつけてあちこちから人が来る、となると自然と「淡路愛」も高まるってものです。淡路にあるイザナギ神社は日本の始まりの物語を持つ由緒正しい神社ですが、そこでのお祭りにもお店が並ぶそうです。私はピンス焼きの実物を見ていないので、なんとも言えませんが、写真で見る限り、個人的には中身が蜂蜜だったらいいな。小麦粉に火が通っていないだけ・・・というのはいやですね。煮玉子風でラーメンのトッピングにもなりそう。ならんか。(池田商店のピンス焼きの写真は以下のアドレスで確認してください。http://blog.livedoor.jp/test01_/archives/11515304.html)

3.私のふるさとは兵庫県加古川市です。加古川で一番有名なのは「かつめし」です。ご飯の上に牛肉のカツを載せてデミグラスソースをかけた料理です。地元民しか知らない料理ですが、とても美味しいです。また、テレビでも取り上げられたこともあります。兵庫県で一番長い「加古川」も流れています。
■講評:2限目の授業のせいか、「ふるさとの光」に食い物ネタが多いですね。確かにカツメシはうまいです。昨年、大学の社会連携事業で私のゼミ生とともに加古川市を訪問しました。市の課長さんから、カツメシの話を聞いて、学生と食べに行きました。店によって、それぞれ工夫しているし味も違うようです。共通するのはカロリーの高さかなぁ。我々が行った店では「カメラ持ち込み禁止」という張り紙がありました。写真を撮る人が多いのかも知れませんが、「別に写真くらい、いいんでないの」と言いたくなりました。よほど人気の店なのでしょうか。ところで加古川の出身者ならご存じでしょうが、JRの駅の南側に「ニッケ」の工場や社宅が残っています。レンガづくりのちょっとレトロで雰囲気の良い建物です。ああいうのは壊さないで、残しておいて欲しいですね。十分「加古川の光」になりそうです。

4.僕の地元には高砂名物のどろ焼きという食べ物があります。どういう食べ物かというと、オムライスみたいな形をしていて、中はどろどろした食べ物です。
■講評:またですか。もうカツメシで腹一杯なのに。兵庫県民はピンスといい、どろ焼きといい、どろどろが好きなのかなぁ。きっと美味しい食べ物なんだろうと思いますが、君の紹介文だと、あんまり食べたくないなぁ・・。

5.私の出身地は岡山県です。岡山県は南部と北部に分かれていて、私が生まれ育った南部の岡山市の良いところを紹介します。名所といえば、岡山城と後楽園です。後楽園は季節ごとにイベントを行っていて、いろんなものが見られます。春は桜が咲き、夏は芝生の緑、秋は紅葉、冬は雪景色です。後楽園をのんびり歩くのもいいですが、岡山城に入り、展望台に登れば岡山駅が見え、後楽園を一望できます。観光名所もいいですが、最近栄えているのが、岡山の表町通りにあるオリエンタル通りです。アンティークな店舗や岡山の名があまり通っていない芸術家の展示会、郷土料理が食べれるお店がたくさんあります。のんびりした通りなので、猫が寝ていたり、鳥が羽を休めていたりします。是非行って見てください。
■講評:確かに山陽のもう一方の中心である広島市はすごく活気を感じるのですが、岡山市はどことなくのんびりしている風情がありますね。後楽園は日本三大名園として有名ですが、少し東へ行くと「閑谷学校」というこれもすばらしい史跡があります。これらは観光名所として親分格ですが、貴方が指摘してくれたオリエンタル通り(これ通称なの?)なんかは「岡山らしさを失わないようにして、生まれてきた新しい町」ということなのでしょうね。だいたい岡山駅で定時にオープンするからくり時計の「桃太郎」を見ても分かる様に、だいたいがメルヘンチックな町なんだと思います。後は言葉さえ、きれいだといいんだけど、どうして皆オキャーマなんていうんでしょうか。でも方言も立派な光か・・・・。それから、同じ県内の倉敷。ここはジーンズで世界的に有名です。うまくすれば、若者が集う町になるかもしれません。イタリアのコモ湖畔の町にも世界中から旅行者が集まりますが、多くの人はミッソーニ(イタリアのニットの有名ブランド)のブティックや工房目当てです。

6.私のふるさとの自慢はタオル生産が日本一ということです。地元のタオルは全国の8割以上で使われているということです。また造船も日本一で海辺にはたくさんの工場があり、年間でたくさんの船を作っています。夏には祭りも盛んで「おんまく」という祭りが地元全体を挙げての祭りとなっていて、毎年その時期になると観光客も訪れることが多いです。みかんの生産も非常に多いです。小さな地元ですが、全国と比べてみると様々な形で有名なものがあると感じ、もっと全国に知ってもらいたいと強く思いました。また今の不景気の中で造船は特に苦しんでいる部分もありますが、少しずつ以前のような造船の町にしてもらいたいと思っています(愛媛県今治市)
■講評:造船やタオル生産、というと工業の町で、従来の観光とはあまり関係のない町のように思えますが、日本の発展はこういう「ものづくり」の町が担ってきたといえます。最近の経済は、投資、企業買収、ITソフト、金融など「お金を動かして稼ぐ、あるいはモノを作らずに稼ぐ」のが主流になりつつありますが、そんなのではなく、今治市を始め地方のこういう町の普通のおじさんやおばさんが汗水流して働くことに日本人の誇りの原点があったのだと思います。これは立派に「輝く地方の光景」といえるでしょう。東日本大震災で多くの漁船が失われました。今治の造船業は巨大なタンカーというよりは中小の船舶づくりを得意としているはずなので、復興需要が急増するのではないかと思います。雑学ですが、タオルのシェアが紹介されていたので、似通った事例を挙げておきます。                メガネフレーム=福井県鯖江市、ヤスリ=広島県呉市仁方地区 、筆=広島県熊野町、靴下=奈良県広陵町、鋳物製風鈴=岩手県奥州市、トイレットペーパー=静岡県富士市 、板付きかまぼこ=福島県いわき市 、歯ブラシ=大阪府八尾市、爪楊枝=大阪府河内長野市、琴=広島県福山市、自動販売機=三重県四日市市、下駄=広島県福山市 ・・・

7.自然がいっぱいで山と空(星)が特にきれいです。まず、山は辺り一面にあるので、春になると桜でうすピンクになり、秋には紅葉で赤、イチョウの黄色になり、変化がよく分かります。また、夏には青い空と里の山で過ごす空気がキレイに感じられます。田舎なので街灯がほとんどなく、星がはっきりと見えます。星の明るさの違いもよく分かります。またビルなどが全くないので都会に比べて空が高くも感じられます。(岡山市玉柏)
■講評:田舎の光景が目に浮かびます。空が高い、という表現は大都市に住む人々にはなかなか思いつきません。「空の高い町」というコピーで自分たちの町の「光」をアピールできそうですね。石川啄木という詩人の作品を思い出しました。
●ふるさとの山に向かひてゆふことなし、ふるさとの山はありがたきかな
●去ず方のお城(盛岡城)の草に寝転びて、空に吸われし十五の心
空に心が吸われるほどの想いが得られるなら、学校をサボって、裏山に行くのも許せそうです。

8.中学の時に今の家に引っ越してから、毎朝ご近所さんの誰か最低1人には会います。お年寄りの多い地域ですが、必ず「いってらっしゃい」と言ってくれます。高校の時は、大きな部かばん(部活のバッグ)を持っていたので登下校時、会う人会う人「いつも偉いね、がんばってね」と声をかけてくれました。ささいなことですが、私はそのような暖かい雰囲気が大好きです。明石海峡大橋が正面に見えるところに住んでいます。
■講評:声をかけてくれる人がいるのと同時に、自分がみんなから声をかけられる人である、ということを忘れないことです。そういう関係の集積が今でいうコミュニティであり、「他国から来られた王様によくよく観察して欲しい、あるいは見せてあげたい、その国の宝」(観光の語源)の光景です。大都市のアパートに住んでいれば、隣の人と声を掛け合うこともあまりありません。私は若いころ、小さなアパートに住んでいて、大家さんに「来年から家賃を3000円上げる」と通告され、二階に住んでいたおじさんと相談して値上げ反対の共闘をすることにしました。私は物価上昇のデータなどを調べて、いかに3000円が無理筋の話であるかの資料を作りました。二階のおじさんには、その資料を持って大家さんと交渉する役を頼みました。このおじさんはどこかの組に所属していらっしゃったので、私自身もかなり怖かったくらいです。いきなり「コラァ、家賃がなんやとぉ、われぇ」というような話し方ですから、大家さんもすぐに値上げを撤回してくれました。こういうのも近所づきあいのたまものです。

9.☆たつの市☆ 醤油と揖保の糸のおそうめんで有名です。醤油工場の近所は醤油の臭いがとってもいいです。田舎なのでとてものどかで周りは殆ど山に囲まれていて、山登り?をよくしました(小中学生の頃)。頂上に展望台や鐘が設置されていたりして、田舎ののどかに景色が楽しめます。田舎では当たり前の景色だけど、都会の人には珍しがられますが、普通の道をトラクター?・・農業用の赤いやつが走ってます。
■講評:農業用の赤いやつ・・・この表現はなかなかいいね。通学用の黒いやつ、ナンパ用の速いやつ、ばあちゃん用にとろいやつ、ヤンママ用の軽いやつ、いろいろありそうです。もちろんトラクターは公道を走ってはいけません。でもいいか、それが黙認されてる町って確かに命の心配しなくていいような気がします。

10.私の地元:神戸市東灘区(摂津本山 最寄り駅)。私の地元では観光と言えるほど良いものではないけど、地域の人の想いが見えるひとつの場所があります。私の家から最寄り駅までの間に花壇があります。そこは昔、枯れ葉やゴミがたくさん落とされていて、誰も触ろうとしていませんでした。しかし、あるテレビ番組でボランティアできれいに花を咲かせる人の特番がありました。その次の日からおじいさんやおばあさんが地元の花壇を掃除していました。もしかして、あのテレビの影響かなと思っていたけど、本当にチューリップやパンジーが咲き始め、私たちの地元が少しずつ気持ちの良い環境へと変わっていきました。誰がみてもそこは地域の支えが見える観光があると思います。
■講評:結局、遠くから人々が訪れる場所って、自分たちの住むところをいかに心地よくしていくかによって決まるのでしょう。政府が制定した観光振興のキャッチフレーズも「住んで良し、訪れて良しの国づくり」というものです。最近、オープンガーデンというものが流行っています。自分家の庭を訪れる人に開放するものです。昔から「花泥棒は責めるな」という格言もあります。花で町や家々を飾る、というのはそんなにコストもかからないし、もっと広めていきたいですね。本学もコンクリートばかりじゃなくて、もっと花壇がたくさんあればいいのにと思います。でも華やかな女子学生がいっぱいいるからいい・・・・てかっ?。

11.私は叔父と自転車に乗るのが好きで、よく兵庫の江井ヶ島海道の道をひたすら走り回った。あそこの道は天気が良い日には明石海峡大橋と淡路島がキレイに見える。のりの漁をしている時期には海風に乗って、海の潮の匂いとノリの匂いを楽しむことが出来る。さらに自転車に乗って走るコンクリートの道はそんなに幅広くないがきちんと整備され、見渡しが良いため、いくら走り乗っていても景色に飽きることがない。途中で疲れたら、「海の公園」と呼ばれている海岸公園で一休みできる。そこから眺める明石の海の契機はとても美しく、天気の良い夕方には夕日が地平線に沈むのを最後まで堪能できる。加古川の方に進んで行く道のりでは海の神社が有り、その場所でよく道のりの安全を祈ってお参りした。その神社では毎年年明けになると神社の敷地内に設置された舞台で、面をつけた神社の人たちが、演舞を見せている。一緒に写真を撮ると厄払いになるといわれ、私も今年の初めに撮った。私はさらに加古川の方を目指して、自転車をこぎ、夏には人工島のプールに遊びに行っていた。人工島にある工場群は大きなクレーンや煙突がかっこよく、夜になるとライトアップされており、工場マニアの人たちの穴場となっている。人工島から戻り、住宅街の中を通り抜けて加古川方面をさらに進むと肉屋さんがある。そこの肉屋さんはコロッケを注文を受けてから揚げるようにしており、よく父が買ってくれた。扱っているトンカツも肉厚でとても美味しく、長距離自転車を走らせて疲れた体には良い栄養補給になった。このように私が普段楽しんで通っていた海岸通りにはおそらく私だけが知っているオススメスポットがたくさんある。「自分だけが知っている」ことが観光資源になるかもしれないのはうれしく感じるし、また正直そう気づけたことに驚いた。
■講評:こういう人を「走女」というのでしょうかね。叔父さんやお父さんもコロッケやトンカツ買わされて大変そう。今はもう少し若い人と一緒に走ってください。解答を読んでいて、豊かな景色が思い浮かびますが、最後に君が書いているように、「自分だけのお気に入り」の集合体が地域の魅力なんだと思います。100人のお気に入りが皆同じだったら、意外性もなく、地域独自の物語の片鱗もうかがえません。地域を訪れる人々は何かしらハプニングを求めているし、旅先での思わぬ発見が思い出になっていくのだと思います。

12.自分の住んでいる町は神戸の西の方にある。そこはとにかく人が多く、兵庫県の中でもマンモスといわれている中学校もある。マンションや家、公園が殆どで、少子化と言われているにもかかわらず、子供が増えている町です。そんな町で私が一番気に入っている場所が1つあります。それは中学校の3年10組の教室の前にある渡り廊下になっているところから見える景色です。高いところから見るわけではないので絶景というわけではありません。周りも高いマンションが多いので特別きれいというわけでもありません。渡り廊下は広場のようになっています。その広場の奥には黄色い太い柱があり、少し出っぱっています。その柱の後から見える夕焼けがなんともいえないぐらいのお気に入りです。そこにはマンションや家、そして、ため池があります。そのため池に夕日がたまにきれいに映っているのです。学校が終わり、放課後の騒がしさがなくなった時にその風景を見て、とても心が穏やかに和みました。きっと受験シーズンだったこともありますが、静かに夕日を見てはとても落ち着けました。みんなが何気なく通るただの渡り廊下が夕方になると私の落ち着きを与えてくれる場所で一番のお気に入りです。
■講評:この解答を見て、「光」は見る人の心の中にあるのかもしれない、と私も感じ始めました。

13.私のふるさとは熊本県です。・・・中略・・・高校2年の夏にひいおばあちゃんが亡くなったことを聞き、すぐに飛んで帰りました。それから大学1回の2月に落ち着いた時に帰るとたんぼは雑草が生え、家の近くは大きな道路ができていて、まるで別の町に来たみたいでした。あの昔までの感じはなくなってしまっていました。ですが、家や土地は昔のままだったのでとても懐かしく感じていました。・・・後略・・・
■講評:ふるさとの光景(=光)はそこに人がいて、そこに生活があってこそ継続される、ということですね。

14.香川県にすんでいた頃、家を新築で建てるとき、あるいは柱を組み終わったら「建前」といって餅を撒く習慣がありました。全国共通かもしれませんが、その建前で餅に限らず、お菓子や果物なども撒かれていました。特に記憶に残ったのが、撒くもので皆が取り合っている中、パイナップルが投げ込まれたことです。・・・後略・・・
■講評:香川県民は何を考えているのでしょうかね。イガ付きの栗やトウガラシ、バナナの皮、熟しすぎた柿などはどうなの? これは光に該当するかな? 棟上げのしきたりは大都会ではなくなっていそうだけどね。

15.私は昔青森に住んでいたのですが、関西に住んでいる今、青森のことを思い出すと、すごく魅力的な町だったと思います。・・・中略・・・一番私が好きだったものは雪の壁です。車が走る道路の両脇に高さ2m程の雪の壁が続く道がありました。その道を通ることがすごく楽しかったことを覚えています。これは青森の地域の人々が作ったもので、幼い頃の記憶の中では絶景でした。
■講評:私自身も大学生活は札幌でしたので雪の思い出はたくさんあります。零下10度くらいになると降る雪も小さな氷の粒のようになって空から舞い降りてきます。ダイヤモンド・ダストと現地では言っていました。新雪は災害も防いでくれます。私のアパート暮らしは超貧乏だったので中古の石油ストーブで冬を乗り越えていましたが、ある夜、消火のつまみを回せば回すほどどんどん火が大きくなり、あやうく火事になりそうでした。私は決然と立ち上がり、窓を開けて二階からストーブを外を放り投げました。雪は1mくらい積もっていましたから、ジュッといって即消火です。人が歩いていたら、燃え移ったかもしらんけど。しかし、頼りのストーブはなくなり、部屋を訪れる友人は私の部屋で失礼にも手袋やマフラーをとらなくなりました。まぁ室温が零下10度ならしかたないか。あるとき、寒くて寒くてしかたがないので、となりの友人の部屋を訪ねたところ、その友人はなんと布団の中にトースターを入れた暖をとっていたのです。「まぁ入れや」と言って布団をめくってくれました。その夜はしんみり二人で布団の中で酒を飲みました。関西地方でも冬に向かうこの時期は教室の外に雨を見ることが多いです。教壇にいてもメランコリーな気分になりますね。特に5限の授業なんかだと。実は私は雨にも特別な想いがあります。学生時代の光景を思い出そうとすると、かならず雨が出てきてしまうのです。しかも特定の場所の特定の光景です。他の楽しかった時をいくら意識しても、必ずこの暗い雨の夜の光景が出しゃばってきます。札幌は夏の羊の群や春の緑、冬に空から振ってくるダイヤモンドダストなど、それはそれは美しい光景がいっぱいある所なのですが、どうしても当時、家賃月5千円の下宿の窓からみえる雨の夜の街角の光景が焼き付いて離れません。下宿の向かいにはいやいや店を開けているような材木屋が、よけい寂しさを増幅させていました。札幌の晩秋の雨の夜は真冬より寒いというのが実感です。下宿を出て、泥道を歩いて銭湯へ行くのですが、道の水たまりは半ば凍りかけ。それに青みがかった月が写ってさらに冷え冷えした気分にさせます(当時、銭湯の帰りは必ず自分の長靴よりもどなたかの良いものに履き替えて帰るというのが我々の習慣でしたが、めぐりめぐって自分の長靴に出会った時には、悪いことはできんなぁと笑い合ったことも苦い思い出です)。実はそのクラーイ光景が当時の我々の惨めな学生生活に非常に似合っていたため、今もずっと頭に食らいつかれてしまった、というのが真相でしょう。逆に雪景色は結構明るいイメージなのです。深夜、ディスコ(今はクラブというらしいね)の帰りに大雪で市内の繁華街で遭難しかけたなんて笑い話もありましたが、楽しい思い出なんですよ。
 要は何を言いたいかというと、諸君の「今」は、人生で一番価値のある光景の「仕込み時」なのです。年をとってしまうと、どんな風景、光景に出会っても感激度は低下していきます。私のようなクラーイ光景にずっととりつかれるよりは、是非、美しい光景、美しい環境を諸君の記憶の世界に取り込んでほしいと思います。観光地やリゾートに浸るというのも、そのための一助になるでしょうが、肝心なことは、そういった光景を日常の生活の中に作り出すことです。卒業してしまうと、絶対そんなことはできなくなります。「なんか知らんが、今日も一日過ぎてしもたわぁ」ではいけません。

学生Q.先生が授業をどれだけわかりやすくしても、みんなの授業に打ち込む姿勢は変わらないと思う。
コクジーA.エッー・・。

学生Q.先生の要所要所でいうギャグで僕は今日幸せな気分になりました。
コクジーA.はぁ・・・。

学生Q.高校の時に友達と東京観光をしたのですが、秋葉原はいつ頃からオタクの町になったのですか?
コクジーA.それは知らないです。せいぜい20年前くらいでしょうか。秋葉原はいわゆる電器街として発展してきた町ですが、電子部品のパーツ屋さんなんかがたくさんあって、ラジオの組立を部屋に閉じこもって延々とやっているような青少年が昔からかなり来ていたでしょうから、「変な人の多い街」という素地があったのではないでしょうか。私もいつかはメイド喫茶なるものへ行ってみたいと思っているのですが、早く行かないと高齢者向けの「おみやげ付きの冥土喫茶」になっていたり、大阪のおばちゃんをウエイトレスにした「毎度喫茶」とか(ないか?)になってしまったりするかもね。多くの人々のニーズの隙間にあるものが何か、を探索してそれを起業化するのがベンチャービジネスです。楽天やライブドアだって、そしてメイド喫茶だって、結局そういう隙間産業(ニッチ・ビジネスともいいます)が成長した結果なのかもしれません。でもオタク少年って授業中に私語しないから私は好きです。
 

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