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年齢と憧れは反比例

会長がこんなこと言ってきた
「じょんじから見た俺って遠い存在に感じるやろ?」
って。
会長が常に近くに居てくれるから、遠い存在に感じたことはない。
むしろ親より近い感覚。
だから「経験値や場数が違って生きてきた長さが違うのはわかりますが、遠い存在と感じたことはありません。」と答えた。

でも多くの人にはわかる感覚なのかな?確信めいた会長の言い方からすると。わかんないけど。

続けて会長は、「自分が中1の時の中3ってすごい遠い存在に思わなかった?」と聞いてきた。
正直、会長に限らず、今までの先輩たちに遠い存在って思ったことがない。どんな高齢者でも、遠い存在と感じたことがない。
遠い存在ってなんなのかがわからない。

中学の時は先輩のことを先輩だと思ったことがない。
親のセックスが少し早かっただけで偉そうにできる人種だと思っていた。
そう言う先に生まれた輩を先輩って呼んでた、まじで怒られるぞ私w
最初は目があってもワザワザ挨拶をしなかったり、先輩より先に昼飯食ったり、先輩の試合中にアクビしたり「腹減った〜暇〜」って言ったりして度々呼び出しを食らったりしていた。悪かったなぁと、今では思う。いや、今、体裁を気にして適当なことを言った。あんまり思わない。

まぁ怒られて初めて、自分が「社会通念上、失礼なこと」に疎いし、されても気分を害さない体質っていうのがわかった。怒ってくれた先輩ありがと。

もちろん、尊敬する先輩というのはたくさんいる。対等に見てくれる先輩や、言ってることと実績が伴っている先輩は尊敬したし、今でもあの頃の先輩には憧れる。大好き。すぐに好きになってついていく。自分もそういう人になろうと思っている。

まとめると、
「遠い存在」はわからない価値観だったが、
そのワードをきっかけに、人は年齢問わず、あの時のあの人に尊敬できるものなんだなぁとおもったってだけの話。雑記ごめん。

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