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私たち日本人の生きる意味

沖縄・旧海軍司令部壕
沖縄地上戦の最後、ここでたくさんの兵士や女性たちががすし詰めになって、兵士たちはここから武器といえないような武器を持って穴から飛び出して戦い、皆二度と帰ってこなかった。
そして司令によって、この場所で集団自決が決行されている。

皆どんな思いで生き、死んでいったのか
国のために死ぬことができないほうがおかしい、という教育がされていたこの時代でも、
本当は愛する人とずっといっしょに生きていきたい、本当は死にたくない、本当は生きてる間にもっと美しい時間を大切な人と一緒に過ごしたい、という人々の気持ちは、私たちと変わらない。

終戦からもうすぐ80年の時が経つ。
たった80年で、命の心配をほとんどせずともこんなに自由な選択ができる世の中になった。
自分の愛する人たちと一緒に好きな場所で好きなことをして生きていくことができるようになった。

だが、どうだろう。
生きる意味を失っていたり、やりたいことがなくて悩んでる人がたくさんいる。

自分の生きる意味を考えるためには、死ぬことについて考えることを避けては通れない。
80年前までの日本において、計310万の命が天に帰っていった。
私たちは友人の死体をもう踏まなくていい。
でも、友人の死体を踏んで歩いて、生き延びていった人たちがたった80年前にいたのだ。

命があること、そしてその命を自分だけのやりかたであたため、みがいて、輝かせること

これらが310万人の真の願いであったことだけはわかるような気がするのだ。
私たちは皆その願いの上に立って生きている。
だから私はみんなとこの想いを引き継いでいきたい。

生きる意味とは、死ぬまでに自分の命を使ってどれだけ楽しめるか、それだけなのだ。
私たちは生きているだけで、スーパープレミアムな命チケットを持っているようなものなのだ。

今この瞬間にも、私たちの人生は平等に死に向かっている。
私は、1秒もそのチケットを無駄にしたくない。

今この瞬間に湧き上がってきたやりたいことをやってその感情を心の底から味わって、大切なひと共有して、みんなで命の最高さと自由さを喜ぶ。それが人類のやりたいことであり、生きる意味であり、戦争で死んでいった人たちが当時選べなかった選択肢でもある。

司令壕の中に、ところどころ植物の芽をみつけた。
何人もの人が当時苦しみ、飢え、死んでいった場所でも、新しい芽がピカピカ光っていた。希望だと思った。

一度ボロボロになった日本に生まれ生きる私たちは、この芽だ。

平等に、誰一人例外なく、みんながこのキラキラ光る芽にしか思えない。
みんなと一緒に、この芽の尊さとそれが自分自身であることを喜び、泣きたい。
だから、みんなが生きててくれて、本当に嬉しいのだ。
生きてさえいれば、必ずそれができるから。

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