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No.13 明滅する宇宙II Ψ ♾ 創造エネルギーの源泉、神様のアルバム  

「時間とは、箱の中から出来事を一つずつ楽しみに取り出すようなものですからね。箱を開けずにまるごと持てば、あらゆる時が全て同時に手の中にあるのです。」

と、ナムは「時間」について、分かったような分からないような説明をしました。

ですが、ナムは私がちゃんと理解するまでいつも辛抱強く、ヴィジョンやら異次元ツアーやら、あの手この手で面倒見てくれますから、大丈夫です。

絵/木倶知のりこ 絵本『小箱のなかのビッグバン』より

ただし、ナムのガイド・ツアーと日常とのギャップが大きければ大きいほど、戻った時になかなか上手く言葉に翻訳できず、「げっ」とか「スゴかった!!」くらいしか言えなかったりして、💦 (笑)

ま、そこら辺のボキャブラリーの乏しさは何とか大目に見ていただくことにして、
だいたいのところをまとめると、次のようなことになります。


時間の流れ、つまり不可逆の時間の矢というものが客観的に存在しているわけではなく、全方位に広がる圧倒的な光の束の中から針穴ほどの一条の光の道筋を選択して、時間が過去から未来へとあたかも一方向に流れているかのように、空間情報の連続体を組み立てているのは、私たちの意識の働きによるものである。


あぁ、伝わっているのでしょうか? 

「全方位に広がる圧倒的な光」!!!

これって、もの凄いことなのですが、
やっぱり相応しい言葉が見つかりません。

どちらにしても、私の想像力と言葉の限界が映し出した一つの喩えに過ぎないのですが、細かいことはともかく大事なのは、私たちの意識は自分で想像している以上にとんでもない力を持っているということ、これだけは間違いありません。

そして私たちが自分の「意識」であると思っている、まさに今何か考えたり見たりしている "コレ" は、もちろん自分の内部をめぐっている間は個人的なものですが、同時に私の境界を超えて宇宙そのものに属している根源的な力の一部として常に流れて循環しています。

それを「神のめぐり」と呼ぶならば、神が、私やあなたの目を通して宇宙を見て、驚いたり感動したり、様々な体験を味わっている、ということになります。

全知全能の神様は、なんにも分からんチンの世界の果てに、自分自身の一部を投げ飛ばしておいて、この自分の分身にたくさんの冒険をさせ、やがていつか振り返って全知全能だった自分の素性を思い出し、見つけ出せるのか、隠れんぼを楽しんでいるかのようです。

この隠れんぼ遊びの経験は、連写でシャッターを切り続けるがごとく、ネガ(陰画)・ポジ(陽画)セットで一コマ残らず神様の成長の記念写真アルバムに刻々と記録され続けています。

「生きている」とは、このように一時も休むことなく書き込まれ続けている情報エネルギーのライブラリー、すべての生命の経験した瞬間が保存されている気の遠くなるようなデータシステムと繋がっているということを意味します。

そのことを私たちがギリギリ確認することが出来る場所は、「今ここ」と呼ばれる意識の中心、バリ島の呪術師たちの言う「ルガ・プラーナ 生命の芯」になります。

「今ここ」にはすべての時が含まれています。

・・・おっと、あっさり言ってしまいましたが、これはとてつもないことですよね!!

そしてこの二元軸が交差する中心の「生命の芯」こそ、生成と消滅の時空創造エネルギーの源泉と繋がる通路となっているのです。

ナムは、この世界は瞬間ごとに生成と消滅を往き来して明滅し、「時の意志」と「空の意志」が互いを貫いて紡ぎ合い、惑星の新たな時空を一目づつ織り上げているのだと言いました。

私たちが目にしている宇宙、生命現象は、まさにそのような生成と消滅の猛スピードの点滅、あるいは回転と波動の電磁気的なダイナミズムとして捉えることが出来ます。


あぁ、生命とは何て面白くて不思議なのでしょう!


そして私たちは、宮沢賢治のあの美しい詩の一節のように、

「風景やみんなといっしよに、せはしくせはしく明滅しながら、いかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明」・・・なのです。

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木倶知のりこ 著書:●絵本『小箱のなかのビッグバン』 *・* ・*●『ナム "RNAM" 時空を超える光と水の旅』

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