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医師の仕事はCreativeなのか、それともOperationalなのか

まず初めに、ソフトウェアエンジニアに関するビル・ゲイツの有名な発言を引用したい:

"A great lathe operator commands several times the wage of an average lathe operator, but a great writer of software code is worth 10,000 times the price of an average software writer."

(「素晴らしい旋盤(=金属加工の機械)職人は平均的な旋盤職人の数倍の賃金を得られるだろうが、素晴らしいソフトウェアエンジニアは平均的なエンジニアの10万倍の価値がある」)

「優秀なソフトウェアエンジニアは平均的なエンジニアの10倍ないし10万倍の価値がある」とするこの原則はロックンロールのスターがその辺のバンドマンの数万倍の経済的価値があることに因んでRockstar Principleと呼ばれる。

ソフトウェアエンジニアに限った話ではない。

世の仕事は1. どんなに優秀でも平均よりせいぜい2,3倍の成果しか出ない仕事と、2. 素晴らしい人の手にかかれば平均より10倍、100倍、10万倍の成果が出る仕事の2種類に分けられる。著書のNo Rules Rules: Netflix and the Cultre of ReinventionでNetflix創業者のReed Hastingsはこれらを:

- Operational role: 誰がやっても2X3Xの差しか出ない(eg. ドライバー、店員、事務 etc)

- Creative role:  やる人によって成果に10X以上の差が出る仕事(eg. エンジニア、ビジネスデベロップメント、クリエイティブディレクター、PRマネージャー etc)

と呼称している。Operationalな仕事、訳するなら定型的な仕事、は誰がやっても成果に大差はないためNetflixでは市場平均の報酬で人材を揃えると言う。対してCreativeな仕事ではスターの原則が適用され、素晴らしい人材が1人いる方が平均的な人材が10人いるよりも成果が出る。そのためNetflixは素晴らしい人材を揃えるのに報酬を惜しまず、市場で最も高い給与を支払い、超一流の人材のみをプロスポーツチームの如く集めている。

では医師はこの二極のどちらに位置するのだろうか?

医師にRockstar Principleは適用されるのか?

医師の「定型的」な側面

医業には非常に定型的な仕事が多数ある。例えば採血、点滴ルート確保、注射、その他諸々の簡単な検査・治療行為も医師の仕事に含まれている。これらの一つ一つの医療行為は特殊な例を除き非常に簡易であり、高度な訓練や判断を必要としない。どんなに点滴が上手い医師も、看護師3人と競争したら負けるだろう。先進的な病院に置いてこれらの簡単な医療行為は看護師や特定看護師にタスクシフトされつつあるが、とは言え日本の多くの病院では未だに医師の仕事だ。これらの”手技”と同じように、医師の日常的な仕事には事務作業など医行為に限らない定型的な業務も多い。

別の視点から見れば「よくある病気の診断・治療」も定型的と見ることが出来る。診断が容易で、治療もパターンが決まっているため、平均的な医師の治療と素晴らしい医師で治療成果に大差が出ることはない。この視点で見ればインフルエンザはさることながら、胃癌・大腸癌でさえもこの分類に当てはまる。これらの良くある癌は治療プロトコル(=手順)がガイドラインで決まっており、各医師の指向性や細かい能力差はありつつも、平均的な医師と名医で治療効果に大差が出ないためだ。むしろ治療効果は個々の医師の能力よりも医療機関としての体制に大きく依存するが説明は割愛したい。

医師の「創造的」な側面

つい先程は点滴を定型的な仕事の例として挙げたが、実は点滴にさえも創造的仕事の側面がある。例えば患者さんの中には疾患や体質など様々な理由で点滴が異常に難しい例が存在する。こういったケースでは平均的な医師が何人挑戦しても点滴が取れない状況に陥いるが、1人の素晴らしい医師がいれば問題がすぐに解決される。このように、例え非常にシンプルで簡単な医行為の中にも多量なバリエーションがあり無数の問題が発生する。これらの問題に対処できる経験豊かで”創造的”な医師の存在が臨床には不可欠である。

コモンな疾患の治療でも同じようなことが言える。医療が全てガイドライン通りに行けば名医は必要ないが、実際の臨床では往々にしてガイドライン通りには行かない。そしてガイドライン通りに行かない時こそ医師の真価が試される。非常に稀な副作用が発生した時のトラブルシューティング、難しい部位に癌が発生した時の手術計画立案、珍しい合併症がある場合、患者さんの治療拒否等々、臨床では様々な要因により実に様々な問題が発生する。全ての問題に対して答えが決まっているわけではなく、医師は時として経験と知識に基づく創造的な問題解決を求められる。このように全ての患者さんに名医は必要ないが、名医が必要な患者さんは確かに存在する。

医師の技能によって治療効果に大きな差が出る分野も存在する。例えば繊細な脳外科手術、美容・形成外科、小児科の心臓外科手術が代表的である。これらの分野では”ガイドライン”よりも、医師の技能によって治療に差が出やすく創造的な領域と言える。とは言え、ここで問われるのは無から有を想像する真の創造性というよりは何十年もの経験に裏打ちされた”型のある”クリエイティビティである。

また、臨床とは関係なくとも医師が携わる基礎研究や臨床研究はまさにクリエイティブジョブであり、トップのリサーチャーは平均的リサーチャーの何十倍もの研究成果を挙げる。

医師は本当にクリエイティブジョブなのか?

ここまででお分かり頂いた通り、わかりやすい形で成果に10倍以上の差が出る他の業界のクリエイティブワークと違い、どんなに素晴らしい医師も5X10Xの治療効果を出せる訳ではない。数字で表せばせいぜい合併症率が1/3、手術時間が半分、生存期間が10%伸びる、といった具合である。医師の能力によって治療効果に10倍以上の差が出る場面というのは少なくとも筆者には思いつかない。こう見ると医師はクリエイティブジョブではなく定型的な仕事に見えてくる。この論点を補強するに、以下の問いを自分にして欲しい:

問:素晴らしい医師の治療を受けるのに、あなたは平均の何倍の治療費を支払うか?

命に関わる病気なら2倍、3倍は支払う人が多いのではないだろうか。しかし10倍や100倍を支払う人は極々稀だろう。これではまさにBill Gatesが言うところの「旋盤職人」である。

様々な角度から見ても、医師の仕事はかなりの部分がOperationalであり”定型的”と言わざる負えない。医業が本当に”定型的”なのかは別として、少なくとも経済的観点から見るに医業は10X100Xの成果差が生まれる真のクリエイティブジョブではなく、高々2X3Xの差しか生まれないオペレーショナルジョブに近い。

しかし、素晴らしい医師と平均的な医師とで成果に決定的な差が出ることがある。それを明らかにするに、以下の問いを考えて欲しい:

問:あなたは平均的な医師と、素晴らしい医師のどちらに治療して欲しいだろうか?

誰であっても後者と答えるだろう。例え、生存期間が1日伸びるだけ、成功確率が1%高まるだけでも患者は素晴らしい医師に治療して欲しいものである。それは何事にも変えられない自分の命がかかっており、失敗が許されないためである。このため、素晴らしい医師は平均的な医師の10倍以上の患者が集めることが出来る

例え平均的な医師と比較して実際の治療効果には大差なくとも、素晴らしい医師という存在は10倍、時として100倍の患者を惹きつけるものである。例えば天皇陛下の手術を執刀した著名な心臓外科医を擁した大学病院にはその後、全国から患者が絶えない状況が続いている。この観点から見れば医師は経済的には立派なクリエイティブジョブであり、素晴らしい医師は平均的な医師の10X100Xの経済的価値を生む存在と言えよう。

一言で言うなら、素晴らしい医師の(経済的な)本質は臨床能力に裏打ちされたセールス&マーケティングではなかろうか。

高い臨床能力を持つだけでなく、臨床能力をレバレッジして広く知らしめ、多数の患者を集める医師は正真正銘、10Xの経済的価値を生み出すクリエイティブジョブである。

医業の経済的対価の理想と現実

著名な医師は多くの患者を惹きつけ、医療機関に莫大な利益を上げる。そのため米国はじめ、諸外国では著名な医師は勤務する医療施設で厚遇を受けるものであるが日本ではそうではない。著名な教授も名もなき教授も全く同じ待遇であり、それも一介の開業医の年収に勝ることはない。

これは不思議である。例えば、著名な医師に数倍の年収を提示して他院から引き抜くことも可能であろう。が、このような経済的に当たり前のことは少なくとも急性期医療を担う大学病院や大病院ではほとんど行われていない。

このため、日本は”素晴らしい医師”が劣遇されている市場である。頻繁ではないが、日本の世界的に有名な医師が米国に数倍の年収でヘッドハントされる話もチラホラと聞く。ここに目をつけて素晴らしい医師を市場価格の上限で引き抜けば、かなり集客力のある医療機関が作れるかもしれない。日本でもこのような経営を試みる医療機関が日本に現れたら我が国の急性期医療の面白い事例となろう

まとめ

- 医療には高い創造性や臨床能力が業務に必要となる場面や分野も存在するものの、医師の実際上の仕事はほとんどが定型的でオペレーショナルである

- 医師の仕事の成果である治療効果・治療指標も、平均的な医師と素晴らしい医師を比較して大差が発生することはほとんどない

- ゆえに素晴らしい医師といえど、10倍の治療費を得ることはできない

- しかし、素晴らしい医師は平均的な医師の10倍以上の患者を集めることが出来る。故に、経済的観点からは”クリエイティブジョブ”の定義を満たす

- 10Xの患者を惹きつけるような”素晴らしい医師”は日本の医療市場では十分な待遇を得られておらず、経営的センスのある医療機関にとっては買い叩くチャンスがある





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