「死ぬのが怖い」というどうにもならない不安に立ち向かうために吐き出すノート①

表題の通り。考えれば考えるほど泥沼にはまるこの気持ちに、どうにか折り合いをつけるためにつらつらと書いてみる。

(そしてこれは同意を得るために書いているわけではない、と断言できたら格好いいが、残念ながら自己顕示欲の塊なので、同意が欲しいから書いていると言わざるを得ない。この姿勢が苦手な方はどうか閉じてください)

漫画やらアニメやらが大好きなので前世の記憶とか転生とか、死後の世界とかに触れることが多い人生だった。

幼い頃はそれを純粋に楽しんでいたのに最近では羨む気持ちにまみれるようになって、綺麗な感情を持てない。

毎回毎回、いっそ前世の記憶があればいいのに、と思う。どれだけ気が楽になるだろうか。

しぬのはこわい。きっとみんなそうだと思うが。
どれだけその恐怖に向き合うのか、どうやって昇華するのか。そこに違いがあるだけだと思う。

対峙したって勝てないが。
当たり前だ。絶対しぬから。なんども語られてきたが、人間で(現状知る限りの手段においては)絶対がいえるのは、いつか死ぬということ。もちろんそのいつか、がいつくるかがわからないのも絶対である。

じゃあなんで生きてるのか?
何千何万回も考え尽くされたことだけど。

ここで「だから今を楽しく生きよう!」って思う人間になりたい。
今、死ぬことを考えて泣いたって仕方ないのに。泣いてる時間を有意義に使えばいいのに。

でも、待て、有意義ってなんだかな?
何をすれば未来の、(仮定すれば1秒後だってありえるけど)、死ぬときのわたしが有意義だって思えるのか。

美味しいもの食べて美味しいなぁと思うこととか、楽しいことをして楽しいなぁと思うこととか。引いていえば今この文章をこのタイミングで書きはじめて、この言葉を書こうと思う私は世界に1人しかいないのに。
二度と再現できない私という人間はいつか、絶対にいなくなるのだ。そしていなくなったことすら私にはわからないんだ。だっていなくなってるから。

そんな悲しいことってあるだろうか。
せめて、自分が死んだときに、心から悲しんでくれる人間が1人でもいたらなぁ。
いや、1人じゃ嫌だな。
1人もいないのは嫌だけど、できることなら500万人くらいに悲しんでほしい。
誰かに気が付かれて、しにたい。

ずっと彼氏と別れられなかった。好きとか、意地とか、家具や服が同じ家にがたくさんあるとかお金の貸し借りがあるとか、そんな事情よりわたしを引き止めたのは、別れた瞬間に死んだら「わたしはひとりになる」という考えだった。

もちろん死ぬときにひとりなのは当たり前。誰も一緒に行けない。親友も彼氏も親も姉も。でも、死ぬときに誰かに「一番大事な人だった」って思われたい。絶対に思われたい。

泣いて、悲しんで、私が生きていないことを嘆いてほしい。心から。唯一の存在を失ったことを苦しんでほしい。

それがわたしの生きる価値だったと思うから。

きっと親も姉も親友も悲しんでくれるだろうけど、親には姉がいるし姉には親がいるし親友には他の友達も彼氏もいるのだ。いやだ、わたしを一番に思って、悲しんでくれる人がいてほしい。

ひいては、それがわたしが大好きな人だったらいい。だから彼氏が欲しい。

心の底では別れたいと思う中で、付き合い続ける決定をしたのはこんな愚図な感情を持つわたしなのだ。

最低だと思うけど、これがわたしだ。わたしを誰よりも愛してわたしが死んだは誰よりも悲しんで、わたしが生きていた価値を作って欲しい。

だから、少しでも後悔をなくすためにノートを書こうと決めた。ネットの海を死んでもさまよえるように。

わたしの考えることやこの文字を打つ手やノートに投稿しようとおもう感情を、誰かに認めていて欲しい。

読んでくれてありがとう。


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