ここ最近のこと。(2021年12月17日)

感情の脈動。
最近は不安という感情を五感で感じている毎日。  
もやもやして黒くてどこか引きずっている感情。
実際、現実的には運がかなり上がっている。
今月末から3月まで月1回、推しのライブ(エレファントカシマシの宮本さん)に行けることになった。

そのうちの1つは新春ライブ。

奇しくも2日後は私の誕生日。粋の良いプレゼントを推しから貰った…🥰

場所は日本武道館。その場所は平将門が守護神であることを知り、そこから調べていくと見聞きする会話が平将門関連だった。(千代田区大手町にある首塚、北斗七星など。極めつけは「神田明神」…これは呼ばれているやつだ。)

臨時収入も入って来たり、お札の種銭を残す方法を共通の知人から教えて貰いながら、僅かではあるものの少しずつ収入面も昇っていっている。

障害当事者としての寄稿執筆も大方終わった。
 その一方で、借金を返す気がないこと、返す気がないので、スピリチュアルセッションに相変わらず金を費やしていた事。
 借金を返す気がないことを改めて自覚した11月末〜12月上旬頃、私はスピリチュアルを商売にしている人達にいいように使われているのではないか?と思い始めた。(こちらはお金を払う立場だからね。余計にそう思う。)

 そこから商売的な裏の側面を無意識に感知することが多くなり、これ以上自分の手元のお金を、そのようなセッションへ流したくないと腸が煮えくり返るくらい、感じるようになった。(※流しているのは自分であるのだが。また、使っているのも自分であるのだが。)
 だって、そのセッション代は詰まるところ、提供者の生活費になる訳でしょう?

セッション受けた側は受けたから黙ってお金支払ってね♡ということなのでしょうが、こちらにも生活はある。

こちらの生活を切り詰めてまで、何故他者に生活費を渡せねばならん?(言ってしまった🙄)

もちろん、いい人もいることは知っている。ただ、人としていい人か、商売人としていい人なのか。ひととしても商売人としてもいい人なのか。
それはセッションをやっている側の精度や経験・変容の度合いにも関わってくると実感した。相手の支払い状態も考慮の上で見てくれている人もいる。下手したら支払い自体清算してくれる人もいるかもしれない。
運の強さ弱さ、良し悪しについてもここ最近、考えている。
何を持って運がいいと考えるのか。

倍率が高い推しのコンサートチケットが取れた。
偶然が重なっていいことがあった。
湯船に入っていたら何となく幸せと感じた。
浪費のサイクルに陥らず、過度の借金もせず、危ない橋を渡らないように生活していること。
早い段階でロールモデルとなる人に出会えたこと。
生活そのものが送れることが幸せと感じた など…。

その人が大事にしている価値観に沿って、運も巡っているのかなと思っている。
さっき入浴中に瞑想(半ば寝落ち)しながら気づいたこと。
「全てはもう在ること、満ち足りていること。
凡てが在る、という経験をするために、魂は人の姿をして生まれてくるのだ……。」

(実際、物やサービスを買う時もそれが在る状態、それらを使って心地いい状態になる為っていうのもあるものね😊)

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