すっぱいかりんも吹きとばせ
今日は一段と息苦しい日でした。
私は生まれつき肋骨が開いていて、それが原因がわかりませんが人より呼吸をするのが下手くそです。
肋骨を抑えていると自然な腹式呼吸ができるのですが、そうでない状態だと肋骨に意識がいってしまって不自然な呼吸になってしまいます。
息苦しさというのは日によって変わるもので、今日は特にそれがひどい日でした。立ちくらみも相まって、ベッドの上で横たわっているのも起き上がるのも苦痛でした。
息苦しさが加速すると、息ができなくなる不安がじわじわと湧き上がります。そこでパニックになってしまうと偉いことになってしまうのでどうしたものかと困っていたのですが、ふと窓の方を見ると締め切った窓のせいで空気が澱んでいることに気づきました。
換気して新鮮な風を吸おうと思い立ちくらみをこらえながら窓を開けると、強烈な雨と土の匂いが室内に舞い込んできました。
空は今にも崩れそうな曇天で、風はごうごうと不穏な音を立てています。私は天気のことなんて何もわかりませんが、「嵐が来る」となんとなく思いました。
先日公開されたヨルシカの新曲「又三郎」のことが頭に浮かびました。あの曲のように私の息苦しさを吹き飛ばす大きな嵐が来ればいいのにと願った私は、母の部屋の窓を開けて窓枠に体育座りをしました。
すると本当にポツポツと雨が降ってきたので先に自室の窓を閉めようと部屋に戻りました。ところが窓を閉めた瞬間ドドドドッと何かが屋根にあたる音がし、私はそれが激しい雨粒だとすぐに理解しました。
焦った私は急いで母の部屋に戻り窓を閉め、外が突然の大雨に混沌としていく様をただ眺めていました。本当に一瞬で訪れた嵐は空を黒く染め上げて、意志を持って街を攻撃しているようでした。
私は嵐の音が怖いので普段はカーテンも締め切ってただそれが過ぎるを待っていたのですが、その時は街が嵐にもみくちゃにされる様子をじっと見据えていました。
酷い雨というのは、まっすぐ落ちずに強風に煽られて魚群のように霧のように形を変えることを初めて知りました。コンクリートの斜面を滑る水が、早送りにした波のように穏やかではないことも初めて知りました。
激しい嵐はほんの数分で穏やかな雨に変わり、10分も経つ頃には雨すらも止んでいました。日本語がおかしいですが、文字通り嵐が嵐のように去っていったのです。
雨が止んだことを確認して窓を開けると、いろんなものがない交ぜになった匂いがしました。空気は美しい冬の夜のように澄みきって、しかし梅雨の湿り気も忘れていませんでした。
それを胸いっぱいに吸い込むと、久しぶりにひんやりとした感覚が体に行き渡りました。息苦しさはいつの間にか治まっていました。
私は平穏を取り戻した窓辺に再び座り込み、よく響くカエルの鳴き声や排水溝に流れる水の音を聞きながら、又三郎が連れてきたような嵐の余韻に浸ることにしたのでした。
タイトルは宮沢賢治の「風の又三郎」から拝借しました。
ヨルシカの「又三郎」の歌詞にも使われているフレーズですが、こっちは「酸っぱいかりんも吹き飛ばせ」と少し表記が異なります。(もしかしたらナブナさんが読んだものが漢字表記だったのかも知れませんが)
個人的には、ひらがな表記と漢字表記のどちらもそれぞれの作品の雰囲気に合っていて違う良さがあるなぁと思います。
どちらにせよ、爽快感の塊という感じで好きなフレーズです。
あと風や嵐は本当にどっどど どどうどと鳴るのだなぁと今回の嵐で実感しました。心臓に来る音なのでやっぱり少し怖いです。
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