孤独なオムライサー

袋麺の塩ラーメンを作る時、お湯が沸く前に袋を開けておいてとかそういうことが出来なくなっている。少し前は出来ていたのに。


小学生の頃に熱中症で早退して、体力は無いけど何か食べければと思い袋麺を開けて、お湯を注いでしばらくしてから時間を計り忘れたことに気付いて、麺の硬さを見て何となく火を止めて、どんぶりに移したあと机に運ぶ途中で熱くて全部こぼした。そういえばあの日からこのラーメンを食べていなかった。僕はもうすぐ中学校を卒業するので、塩ラーメンとは一度の卒業を挟んだ再会ということになる。中学を卒業して僕が高校生になったら、最近見てない何かとまた再会することになるのだろうか。

僕は兄弟が多いので、昔から家にいて寂しいことなんかほとんどなかった。しかし最近、兄弟がみんな大人になって家に帰ってくることが減った。
長男と次男は大学とバイト、高校を中退した姉はバイトか遊びで誰よりも帰ってこない。母親は営業で色んなところに出張、父は離婚しているのでそもそも帰って来ない。猫は僕に懐いていないので遊んでもくれない。
僕ももうすぐ中学校を卒業して高校生になるし、一人で過ごすことくらい普通に出来ないといけないとは思うがそんなのは高校生になってからの話で、今までもろくに構って貰えなかった末っ子を中学校卒業間際まで放置するかとも思う。

最近はオムレツを作ってずっと食べている。僕はかなりオムライスが得意で、専用の調理器具なんかも揃えているがオムライスを作るには材料と時間と根気が必要なので自分一人だけが食べる昼食に作ろうとは思えない。そもそも買い出しに行く元気もお金もない。なので家にある卵と調味料でオムレツを作り空腹を紛らわしている。この前バターが切れたので、僕のオムレツ生活すら終わってしまいそうで困っている。
中学生のうちにもう一つくらい料理を極めたかったが極めるとかいうレベルですらないくらいオムライスが上手いので、今後はオムライス一本で戦ってやろうと思っている。


卒業のことを考える度にもうすぐ卒業だな、と思う。小泉構文的なことではなく、卒業が近いことなんか6年か3年に一度しかない。小学校から数えて大学までとすると、卒業なんて人生で4回しかない。その2分の1をただ時間の経過とともに終わらせていいのかとよく考える。考えたところで今から出来ることなんか何も無いのに。

本当は今もっとちゃんとしたnoteを書いていて、卒業前に投稿したかったのだがなんだか書ききれる気がしない。受験が終わって暇になったのに下手なギターを触ったり普段見ないアニメを見たり"今じゃなくていい"ことばかりやっている。でも今じゃなくていいことを別に今やってもいいという状況が今後の人生であとどれくらいあるか分からないので、noteの神に怒られるまではまだまだ少し遊んでいたい。

夢遊病的に書いたnoteはあげる前にかなり躊躇する。あげる所まで無意識に出来たらいいのに、人間はそんなに易しく出来ていない。伸びたラーメンくらいの緩さで生きたい。
あーこれタイトル何にしよ。

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