〇〇ハラ

今朝の情報番組で、フキハラというものの特集が組まれていた。
ある主婦の方が自分の夫についてSNSでつぶやいていたことが発端で話題になっているそう。

フキハラとは不機嫌ハラスメントとのこと。
くだらない。
この不機嫌ハラスメントのことを批判したいわけではありません。
なんでもかんでも、〇〇ハラスメントという言葉でくくり、人間が生きづらくなっている世の中の窮屈さが我慢ならない。

そりゃ、みんなが思うままに生きられるなら、どれほど素晴らしいことでしょうか。
しかしながら、多少の我慢が必要なのも事実であり、避けては通れないもの。
それをなんでも問題にして、浮彫にして、この国の民意はこんなにも低いのか。もっと国民に伝えることや訴えかけるべきことはあるだろう。と感じた次第だ。
〇〇ハラという言葉で問題定義すれば何でも解決できると思っていること自体、間違っているように思う。
そんなものは井戸端会議でやってくれというもんだ。
しかし、それをこうやってグダグダ言うのも間違っているのだろう。
これもネットの恩恵であり、先の〇〇ハラがネットで盛り上がるのも同じだからである。
結局はみんなが気になることをネットで問いかけ、ネットで解決する。
矛盾だらけの世の中になったと痛感する。
ネットがなかった環境を知っている身からすれば、ネットとどう付き合えば良いかわからなくなる。いや、それはネットが当たり前の世代にも言えるだろう。
どうすればネットと共存共栄できるか。まだまだ、それぞれの試行錯誤は続くのだろうと思うと、個人的には頭が痛い。

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