赤い靴履いてます

I am. I wear red shoes.Tcat. Tomoka KANEKO

「赤い靴」

作詞:野口雨情    作曲:本居長世

(一)
赤い靴(くつ) はいてた 女の子
異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった

(二)
横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

(三)
今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう

(四)
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える

(五)
生まれた 日本が 恋しくば
青い海 眺めて いるんだろう 
異人さんに たのんで 帰って来

この歌のモデルになった女の子は「岩崎きみ」

明治35年(1902年)静岡県静岡市の日本平の麓の村で生まれました

この子の父親は誰か分からず私生児だったかもしれないとのこと

母親の名前は「岩崎かよ」というようです

この子を生んだのは18才未婚の母

既に両親は亡くなっていて、身内はいなく、周囲からは未婚の母、

ふしだらな女と白い目で見られました

本当は、「赤い靴の女の子」は、異人さんに連れられて行かなかったようです

それが分かったのはこの歌が作られたずっと後の、昭和53年(1978年)でした。北海道のあるテレビ局が、この歌の由来を追いかけているうちに判ったとか。

昭和48年(1973年)に北海道新聞にある投書があり、なんとその投書した本人は、「赤い靴の女の子」である「きみ」の義理の妹、「岡その」だったのです。そのは「きみ」が宣教師にあずけられた後に、志郎とかよの間にできた「きみ」の妹でした。そのは投書で自分が生まれる前に、異人さんに連れられて行っちゃった姉の「きみ」が、まだ生きているのなら、なんとか会いたいと書いたのです。そしてこの記事がきっかけとなり、北海道テレビのあるプロデュサーが執念をもって、「きみ」の消息を追いかけました。

きみ」が転々とした各地、はてはアメリカまで「きみ」を探し続けました。そしてついに真相がわかり、昭和53年(1978年)彼はテレビで真相を伝えました。

赤い靴の「きみちゃんの像」は全国にあったらしい。

赤い靴の女の子「きみちゃん」の像は、上記の麻布十番のほかに、生まれ故郷の静岡県日本平山頂

歌詞に「横浜の波止場から」とある横浜

山下公園(私が上京してきて辛くて母と心中をしようとした公園)

私は母の分まで背負うと決めた

近づくな

君の名は

キミコエ

偽物でしょう

ご用はおすみですか

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