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全部ぜんぶの、どん底。(だらだら書いてみたシリーズ)

私の知り合いのお姉さまのnoteに「旦那が2時半に帰ってきて朝5時に家を出て出張に行くはずなのに寝坊して新幹線自腹切った」と書いてあった話を思い出したのだが(誰の事だかは即バレである。)私はこれを読んで「うわーマジかそういうもんなんだなあ。」と思ったのだが、これが同じような業界の人間からしたら「ああ。あるあるだね。」とあっさり流されてしまって「うう。」と思った。そういうわけで、フリーのナントカっていう肩書きは、やっぱり実際肩書きだけで、中開いたら凄いよなー。と思う。

まあ誰の話を書いているのか本人にばれなきゃいいかなみたいなところはあっていや、よくないけど、(如何せん喧嘩した後にどうやって連絡を取り直したのかというと、相手側が私のHNで検索かけて私の「深呼吸する言葉」 http://d.hatena.ne.jp/xxmilk69xx/ を見つけて来たところからなので)まあそれで一昨日は六本木で仕事してて電車で爆睡してどっかからタクシーで帰ってくるわ、今日は赤坂で仕事をしているらしくて今ちゃんと帰ってきてるのか知らないけど、そういう生活なんだよね。これを友達に言うと「六本木赤坂で仕事してるっていう世界が違う」と言われるんだけど、まあ、そうだよなあー私でもそう思うわ。私なんて千葉と稲毛と船橋と小岩にしかいないしもうなんなら千葉と稲毛と遠出して船橋までで全てを完結させたい。久々に千葉そごうのUNIQLOに行ったら、広いわ綺麗だわ品揃えいいわ感動したよ。あの服が欲しいこの服が欲しいという欲求はあまりない。仕事先でどうしてもオフィスカジュアルっぽい格好をしないといけない事を考えると、もう全ての服をUNIQLOで揃えたくて仕方ない。それが無印。そういうわけで私には六本木も赤坂も遠い遠い世界。そして下北沢も高円寺も新宿も渋谷も何にも敵わない位に、東京で一番エモい街は、御茶ノ水。

何の話だか飛んだが、嗚呼そう言えばと思いだしたものだ。

昨日の晩、「○○ちゃん、明日の夜中って空いてる?あたし千葉で仕事して、その後次の日の晩三田の方まで行くんだけど~空いてないよね~」と言うぶっとんだLINEを送っていたらしい。朝起きてLINE見て驚いた。しかもそれに返事が来ていた。嘘だろ。信じられない、私の行動が。ショックだった。今でもでも、送った事をよく思い出せないんだよなあ。確かに昨夜は機嫌が悪くて、久々に頓服持ち出すぐらいではあったし、今朝もぐだぐだ泣いてばかりいたけど、それにしてもひどい。本当にすみません。もっとちゃんとしますって言いながらちゃんと出来ていない。人が人の事を心配するからくりがよく分からない。大体私が心配しないと死ぬ人なんて世の中にはそうそう多くなくて、強いて言うなら家族と言えるところだろうが、それもかなり強いて言うぐらいで。

私がいなくても生きていける人の方が世の中にはあまたいるし、私が心配したところで変わる事が無い事の方が世の中には多い気がするのに、なんで私は私以外の人間を心配したりするのかって思ったりして、でも、それも全部、自分の心のよりどころの為でしかないんだよね、って思って納得している。そうする事でしか自分の居場所を確保できないんだねって。馬鹿みたい。

昔の事だけど、恋人なんて彼女なんて肩書き、法的に拘束されたものでもなんでもないのに、なんでその肩書きがあるだけで彼氏を心配しているそぶりを見せないと周りからちょっと白い目で見られるのかわかんないし、心配したところで何かが劇的に変わる期待も持てないのに、って日記に書いた事がある気がする。心配していなかったわけじゃない。でも、嫌だったんだよね。心配に飲みこまれる自分の姿が。仕事も友達関係もこんな心配に食われて落ち着かないなんて飛んだ迷惑でしかないよって。思ったのかな。

それが当たり前だ、って言う人は凄くいると思う。心配して当たり前だって。でも、疲れません?心配するの。心配しているうちに、自分にはこれしかないのかなって、思っちゃったりしません?心配している相手がいなくなったら、自分の行方さえも危うくなるんじゃないかって、思っちゃったりしません?私は特にそう思うので、自分が誰かを心配する事が嫌いです。心配している自分が嫌いです。もっと言うと、自分自身に芯がないことがよく分かる。でも、同時に、私も相当ひとに心配をかけているタイプの人間なので、そこは何とも言えないのかなあ。

それでも人は心配を掛けて掛けられて長生きするものだからって河合隼雄せんせーの本に書いてありましたね。だからある程度の心配はあっていいんだろうなと、わかっていても。

よく母親とか妹とかに、考え過ぎだとか理論的過ぎるとか感覚とか直感みたいなものが無いとか言われるけど、(女性には大体言われるかもしれない。頭が固いと言うか理屈っぽいって…。)理屈を持って制していないと、私は私をコントロール出来ない。合理性が無いと私は私をコントロールできない。わかっていると思うけれど、私はいらないぐらいの感情の塊だから、それを捌くには相反するものを引っ張り続ける必要がある。

恋愛も仕事探しも、大の苦手なのは、「私なんか相手にして良いんですか本当に。もっといい人が他に居るんじゃないんですか。」と言う根柢があるから、だから前に行けないんだよなあ。「私なんかに好きになられた人がかわいそう」と友達に言ったらそれには本気で首をかしげられた。それはわからないって。

でもそう思う。私なんかに好きになられた男の人が本当にかわいそう。

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