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【ブレない弱さ】を【描ける強さ】(小野美由紀さんの、傷口から人生。メンヘラが以下略を読んで)

小野美由紀さんの、「傷口から人生。
メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった 」をやっと購入。
そのまま表参道のカフェで全部読んだ。混雑する店内の端っこで泣きながら読んでた。
ウワサには聞いていたし、内容も端々noteで読んでいたから、あらかた読み終えた後の私の感情の動きに想像はついていた筈だが、そんな想像は遥か彼方にぶっ飛んでいった。



読了後の疲労感が物凄かった。
心と頭と身体と全部使って読んだ。
【ブレない弱さ】がそこに力いっぱいぶちまけられていた。



「リーマン・ショック前の年で、慶應義塾のTOEIC950点の女の子が内定取れない意味とは????」

みたいな事は、私も思った。
でも、ソレをいっちばん痛い程引きちぎれる程疑問に思っていたのは筆者だろうな。ありとあらゆるコンプレックスや憎しみ怒り苦しみ他人を嘲る感情、嫉妬心。
【ブレない弱さ】を【描ける強さ】 をこれでもかと見せつけられた。自分に被る経験や感情もたくさんあって共感して泣いたし、そのなかで「書くことをやりたい」と決めてライターになる道を選ぶ過程にまた泣いた。
自分に重なる思いが強いエッセイなんか読むと、大学時代は「なんでこの人私の言いたい事わかるんだろう。自分の気持ちが救われた」とか、筆者には失礼な勘違いをしていた。別に筆者は私の気持ちの為に書いてる訳じゃねーし。
また、2年程前なら「今なら変われる気がする、勇気貰った気がする、でも自分には此処までの覚悟決められない無理だ」とか思っていただろう。

しかしここ最近は「すげーな此処まで自分の事書けるってすげーな。」と思う。

何故自分にはここまで力強い文章が書けないのか。やる気の問題なのか文章力の根底の問題なのか。勿論全部そう。まずやる気無きゃ書けない。

然し自分に欠けていたのは、【ブレない弱さ】そのものだと気付いた。

弱さを包み隠す事、弱さを克服しようとする事、過去の傷を忘れようとする事、自分への自信の欠如を人のせいにしようとする事。
実際問題、それこそ4年の秋に注意欠陥障害と診断された不器用な生き様。リバティータワーのトイレで腕も切ってたし、昼ご飯も吐いてた。教室で過呼吸起こして陽だまり広場でひとりでご飯食べてたあの頃。周りに抱いたコンプレックス、就職出来ずに大学を卒業したコンプレックス。
男運も無くと言うか自分への自信の欠如からくる恋愛の下手くそさ。好きな人に好きだと言えない。過去との折り合いの付け方が下手くそ。男に甘えた態度取ったって自分自身の寂しさとか自分自身が抱える辛さとかコンプレックスに何の解決ももたらさねえよとか、「会いたいとか寂しいとか言われた男が迷惑するんだから言えねえだろ言う女が馬鹿だ」とかそう言う事を平気で言う私。孤独である事と我慢比べを履き違えては、胸がズキズキ痛む。事実として、もう5年6年身体的な弱さと言うものを実感しているので、弱い弱いと言ってもいられない。少しでも弱さをカバーする為の意地を張らないとやってられない。他人に会いたいとか辛いとか寂しいとか困っているとか、そんな事は言えなかった。だから、「こんな事で辛いとか言ってどうする。」と【弱さをブラせて拡散させて】生きる事を考えてきた。

小野さんが力強く握り締めている【ブレない弱さ】が私の中にはない。弱さは克服してなんぼだと思い込んできた。勿論克服なんて一度も出来ていない。目を背けてきただけだし、ブラせて拡散させまくってきたからこそ、拗れて無茶苦茶になった事も何度もある。



そんな自分にとって必要な事は、「じゃあ今から変わりましょう、やりたい事は、目標はなんですか、それを実現するためのプラス思考を身につけましょう、英会話でも文章でも継続する様にしましょう。」じゃない。
「今自分が何に悲しんでいるのか、何に泣きたくなっているのか、何に困っていて、何に怒っているのか。誰に何を言いたくて、そして誰の事を想うのか。」
そう言う、今まで摘み殺してきた感情にそっと寄り添う事。その感情が自分の中に湧いてきたことを受け入れてやる事。まず理性で制御しない事。
「己の感情の処分は己にしかできない。てめーの寂しさなんててめーで勝手に処分しろ人に押し付けんな。」
と言う、私が2年程吐いてきた台詞の端っこを少し変えること。
「まずは自分の感情に寄り添おうか。自分が自分に取ってのきっと特別な人間だから、自分の感情を掬ってやれるのは、自分が持つ特権」

言いたい事に変わりはない。ただ、言い方を変える、それだけで緊張が解ける。

読了してすっきり、じゃあ明日から前向きに、と簡単になるような本では無いし、そもそもこれは小野さんの話であり、いくら共感した所で私の話ではない。幾らだって悩んでも、もやもやして泣いて叫んで死ぬ死にてえでも生き延びたいと言っていい。非常に残念な事に、私の物語は私にしか文字にして表すことは出来ない。逆にそれが特権でもある。だからよくわかんねえムカつくもやもやを抱えて生きていていいんだねって、ことかな。



妙にすっきりしたような気になった帰り際、じゃあ探してた服を買おう!と錦糸町駅のJEANASISで、ワイドパンツを試着した後に、店員さんが

「ゆっくり悩んでくださいね♪」
と言ってくれた。
なるほど、自分の人生も、ゆっくり悩んでいいんだな。と、妙に納得した。
だけど、私は直ぐ、そのワイドパンツを購入した。似合っていたし、多分今買わないと、また買わなくて、今期ずっと買わないまま終わるだろうから。
そうやって似合う物をすぱっと決めるのも、人生かもな。



帯に「生きる勇気が湧いてくる、強烈自伝エッセイ」なんて書いてあったね。売るための文句がなんか凄いんだけど、だけど、自傷とかパニック障害とか女もこじらせ気味とか、帯が醸し出そうとするどうしようもなさみたいなものを期待して読んだらダメ。
それから、生きる勇気とは明日から頑張ろー的な前向きさの事だけじゃなくっていいよってこと。


読んで良かった。

あと何にせよ御本人の顔がめっちゃ綺麗でそれがずるい。(noteフォローした)

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