ロリィタの行も足下より始まる

タイトルは、老子から。千里の道も一歩から、と言うと親しみがあるかと思います。最近、ロリィタについて考えることがあったので、まとめてみようと思い、このnoteをはじめました。

ロリィタになって13年、アラサーの私は、もうすぐ人生の半分をロリィタですごしていることになります。高校は私服校、大学は文学部でほとんど座学だったので、ロリィタで通っていました。いまは通勤のために着るユニクロ系の通勤服がありますが、休みの日はロリィタや原色系の古着でお出かけをしています。

私がロリィタと出会ったのは、本屋さんです。2004年、私は14歳の中学二年生でした。小学校高学年のとき、両親が離婚し、父に引き取られた私は、週に一度、母と買い物をしてご飯を食べる日を楽しみにしていました。その買い物帰りに本屋さんに寄り、文庫本のコーナーを眺めていたとき、平積みの一冊の文庫本が目に留まったのです。

それは、嶽本野ばらさんの「下妻物語」でした。

文庫版は、ロリィタの深田恭子さんと特攻服の土屋アンナさんが表紙です。その当時、私はロリィタというものは知らなかったものの、特攻服については漫画で多少の知識がありました。

ヤンキーが着る特攻服と、このひらひらを着た女の子はなんなんだ?

文庫本ということで手に取りやすい価格でもあったので、すぐに購入して、ゆっくり読むことにしました。

内容は勿論面白くてあっという間に読み終わり、桃子ちゃんが夢中になったロリィタについて、すぐに調べました。当時は、ゴシック&ロリータバイブルと、KERA!という雑誌があり、そこにロリィタメゾンやパンク、ゴシック系の新作の情報、店舗情報、誌上通販、そのほかサブカル的なものの情報が詰まっていました。その中のモデルさんが着ているようなお洋服、ロリィタファッションを、自分もしたい!と思い、一年情報を収集し、高校生になってすぐにはじめた喫茶店のバイトのお給料を握りしめ、当時は代官山にあった、BABY,THE STARS SHINE BRIGHT本店に向かったのが、私がロリィタになる第一歩でした。

アルバイトをしながら高校と大学に通い、今に至るまで、病気になったり、まあまあいろいろ困難がありましたが、ロリィタを愛してきました。おそらくこの先も、おばあちゃんになっても、私はロリィタで居続けると思います。年相応とか、男ウケとか、なんかいろいろ気にするべきらしいのですが、私はそんなものに興味がないので、これからもロリィタでいることに胸を張って、生きていきます。

全てのロリィタに、幸あれ!


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