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52.第六天魔王波旬『神社〜信長』編

これの続きです。10300文字 いくらでもいいので投げ銭を。ちなみに引用したBlogの引用した部分は確認とっています。

理想的な4200文字台あたりで出来てたんだけど、途中で大きなことが数珠つなぎで分かり出して・・・枝葉に飛んで読むの大変だろうが絶対読んで。
これ、ついに謎は解けるぞ・・(・・;)

ジャンルが違いそうなものも、数珠つなぎで関連付けて見ないとダメよ。

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いつものコレ

長い話のはじまり

信長が信奉し自ら「第六天魔王」と名乗っていたとされるのは、イエズス会宣教師ルイス・フロイスの書簡の中で紹介されている、武田信玄と信長が書状のやり取りをした際の話からきており、それによると「信玄がテンダイノザス・シャモン・シンゲン(天台座主沙門信玄)と署名したのに対して、信長は仏教に反対する悪魔の王、ドイロクテンノ・マオウ・ノブナガ(第六天魔王信長)と署名して返した」とされる。

武田信玄はヘビーな仏教徒。

富士樹海の魔王天神社(第六天神系)戦前には弾避けとして人気を集めた。

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元々、江戸の天神様として徳川時代に親しまれた第六天神(自在天)を祀る神社であり、関東以北に多い。

天神様=菅原道真・・彼の死後、すぐに、臣下の味酒安行が道真を天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神格で祀った。「大自在天」は神シヴァの漢訳名だけど、天神様は菅原道真を指すので入れない方がいいな。褒めたい人だけど悲しい人だ。シヴァ神側の魂の人だと思う。詳しくは別noteで。

明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神代七代の第6代の面足命・惶根命に変更したといういわくの有る神社である。

面足尊(おもだるのみこと)=記・紀にみえる神。
神世七代(かみのよななよ)のうち第6代にあたる神で、伊奘諾(いざなぎの)尊、伊奘冉(いざなみの)尊の2神の1代前に生まれた。身体と容貌(ようぼう)の完備した最初の神。「古事記」では於母陁流(おもだるの)神。

惶根尊
(かしこねのみこと)=記・紀にみえる神。
神世七代(かみよななよ)中の第6代の神。男神の面足尊(おもだるのみこと)とともに生まれた女神。「古事記」では阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)

上のブログ主の紹介した富士山麓の神社は、本物の第六天魔王の神社ですな。本物だから、第六天魔王から記・紀の偽神の面足命・惶根命に祀る神様を変更した・・神社名は残して中の神様入れ替える。神社はコレが多いよな〜〜(;´Д`)。

宗教の名前と見た目は同じで、中の神が正反対になっているんだ。教えも変えていく・・・キリスト教の場合は、多神教の寺院を破壊し、その上にキリスト教会を立てていったのだけど、日本の場合は多神教の寺院の中身を入れ替える。

面足命で検索する。

面足(おもだる)神社

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長生郡長生村七井戸
この神社は八積駅の南西約1.5kmに鎮座しています。道路よりやや高く、砂地の境内には木製の両部鳥居が建ち、参道正面の石垣上に社殿が建立されています。拝殿には「第六天」の額が架かっていました。又、境内社や多数の石碑があります。

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今の御祭神は、面足命、惶根命の二柱。
由緒:境内に建つ「面足神社由来碑」を要約すると、安徳天皇治承4年(1180)の創建で、御祭神として面足命、惶根命の二柱を祀っています。源右大将東征のおりにはこの社の傍の泉で沐浴をしたそうです。江戸時代までは「第六天」という社名でしたが、明治期に現社名に改称されました。

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ドラム缶で火を焚くの・・・?(;´Д`)

ボロボロですな・・・(;´Д`)

このサイトは資料に役に立ちそうなのでTOPページをブックマーク。


書かれてないが、これも面足命・惶根命に入れ替えた、もと第六天神社ではないか?

面足命・惶根命は第六天と入れ替える為に創作された神なのでは?(;´Д`)

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先方のBlogに鳥居が立てられたのは元禄三年って有るから、この神社は1690年 。

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恵比寿さまが・・・(ノД`)シクシク アザゼル様ではないかと勘ぐっている。よく見てほしいのだけど、敵が我々の神を祀る時には、墓石に乗せることが多いんだ・・・。

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大黒天が・・・(ノД`)シクシク シヴァ神だ・・

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なんで、弁財天がこうなるんだよ!ヽ(`Д´)ノプンプン
石の中の四角の穴に入っていたのかな・・・?

もと第六天神社を表す、面足命・惶根命神社に、エビス様、大黒天、サラスワティ(弁財天)が祀られていたということは、仲間か同一の神だろう。


>神社巡りをしてると突然おばさんや婆さんが現れて、これあげると言われてお菓子など貰う事があるのですが、この神社でもそれが起きました。参拝してくれたからお礼なのでしょうか?

ここまでされても、ご利益があるのかな?

>面足命とは淤母陀琉神ことで、「完成した」とか「不足したところのない」の意味だそうです。

淤の意味
訓読み おり どろ ふさ(がる)
意味 どろ。おり。水の底にたまった泥。
ふさがる。とどこおる。つまる。泥がたまって流れがつまる。

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淤(中国)
1.泥や砂で塞がれた水路:~プラグ。 ~の蓄積。 ~停滞する。 ~を埋めた。
2.河川や側溝に堆積した土砂:~泥。 ~灌漑を行う。
3. 「静止」と同じ意味です。
=傾きでこぼこの様子

①ななめ。平らでない。また、けわしい。「陂陀(ハダ)」 ②くずれる。やぶれる。 ③梵語(ボンゴ)の音訳字。「仏陀」
意味
険しい、曲がりくねった、斜め、くずれる、崖、という意味がある。
字形
形声で声符は它。它はヘビを表す字で、曲がりくねる意味がある。
声符
陀を声符とする漢字には、𦱆などがある。
語彙
陀陀・陀羅尼

脱線するが『

仏は警察や捕物で言われる「変死体」の意味があるのだが。GoogleのTOPで表示されていたが。この当たり前の意味をWEBで消され中のようだ。少ししかない。

日本における死者の婉曲的な表現。死後に西方極楽浄土(四角い箱の天国)へと往生し成仏するという浄土系仏教特有の考えに由来。警察関係者が死者を指して用いる隠語。湾曲でもないんだ。普通に死んだ人を指す言葉だ。湾曲と急に意味を変える作業をしているようだ。

悟り覚醒した人を、神を仏というのが湾曲なのだ。

ほとけが「仏陀」の意味として使われたのは753年、薬師寺にある仏足石歌碑)に刻まれた「保止気(ほとけ)」が最初とみられる。
「死者」の意味で「ほとけ」が用いられたのは、951年の『後撰和歌集』に例がみられる。

2.仏教伝来時(欽明天皇の時代509年?〜 571年5月24日?)に、熱病である「ほとほりけ」という疫病が流行していたため、仏教を謗って(そしって)命名したとする説。
3.仏教は、煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)するため、「解け(ほどけ)」の教えを崇めたことから、転じて「ほとけ」になったとする説。

謗って=謗 (動詞「そしる(謗)」の形容詞化したもの) そしりたいような状態である。非難したくなるような様子である。 悪口をいう。誹謗(ひぼう)する。そしる。「謗法ほうぼう/讒謗ざんぼう・誹謗ひぼう」

仏教を入れた途端、天罰が落ちまくったんだ。それで、仏教を禁止するか許すかで朝廷で議論になっている。

⭕️だから・・仏陀の意味。
陀は蛇の意味が大きく入り、よくない意味の蛇の言葉。
仏は死のコトバだから。
仏陀のネーミングの意味は、ベビの死。確かに経典の通りだ!

この解説の方では、いちいち蛇のようにと付いているよとお断り入れて、その部分は外してしまっているのだが。

こちらに原版はある。リンク

>1 体中に広がった蛇の毒を、〔すぐに〕薬で取り除くように、怒りが起こったのを〔その瞬間に〕取り除く修行僧は、「今世」も「来世」もともに捨て去る。──蛇が古い皮を脱ぎ捨てるように。

>2 池に生えている蓮華を、水に入って折り取るように、愛着を完全に断ちきった修行僧は、「今世」も「来世」もともに捨て去る。 ──蛇が古い皮を脱ぎ捨てるように。

多神教においては、蛇が古い皮を脱ぎ捨て大きな身体に変化することを、何度も精神が一度死んで、次の大きな精神に進化する様に例えたんだ。


だから・・・>面足命とは淤母陀琉神ことで、「完成した」とか「不足したところのない」の意味だそうです。というのはそのように教えられているのは嘘で。

「完成した」とか「不足したところのない」とは蛇神ことシヴァ神のことであり、第六天と入れ替えても、名前に蛇を付けて似た系統の神のようにして騙した。

「琉」①「玉の名前。色の美しい宝石で7宝の1つ。吠琉璃 (べいるり) の略。青色の美しい宝石。赤・緑・紺・紫色もあると言う。」(例:琉璃)

民俗参考(中国)
漢字の5行の要素:火
良いまたは悪い意味:吉
一般的な言葉ではない。

だから・・面足命こと淤母陀琉神の意味は?
⭕️『蛇の宝石を泥で塞いで停滞、埋めて静止させる母。じゃね?(・・;)』

惶根命の方まで調べる気力ない。同じようなもんだろ?( ̄▽ ̄;)


面足神社

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日の丸・・大砲。やはり弾除け神社的な意味合いが合ったのかな?嫁さんが戦地に行った旦那が守られますようにと願っている図に思える。

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ボロボロだ。

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道祖神を祀る古銅とのことです。道祖神は味方の神だと思うのだ。

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彫刻は良い。反共産主義である(笑)

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この狛犬のようなものはカワイイぞ!(笑)

第六天神社 岩槻馬込

第六天の看板は残っているようだが・・・

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読めないので拡大する。

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第六天神社なのに中身が面足命・惶根命って、なにそれよって話・・・(;´Д`)
神社の立て札の説明の意味不明さは、嘘を誤魔化すためだったんだ・・・。

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狛犬がまたカワイイでやんの、これは見分けるコツかもな(笑)

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場所自体はよい地を選んでいたから、まだきれいな部分があるけど。

最初にリンクしたBlogの記事に戻る・・・

●第六天神(自在天)......(第六天魔王波旬・魔王天)シヴァ神

財宝神でもあり、下町などで人気がある神である。また、天狗がその変化とされ、関東に天狗が多く祀られる理由でもある。

現代の中国においても、第六天魔王の呼称は浸透していて、煩悩の悪魔・誘惑の意味でしばしば使用される。

歴史上では、歴代足利将軍や織田信長が信奉したとされる神で太平記や謡曲などでも登場する。

第六天魔王説話は、平安末期頃作られたという『中臣祓訓解』から始まるとされている。ここでは、天照大神は、国を治める証文を魔王から請い受けたとされている。

中臣祓訓解(なかとみのはらえくんげ)=鎌倉時代に作られた両部神道書。中臣祓は『延喜式』や『朝野群載』に収める大祓詞(おおはらえのことば)のことだが、平安末期は中臣祭文(なかとみのさいもん)とか大中臣経ともよばれて、神前で読誦される機会がふえた。

その注釈書として『中臣祓注抄』がまず作られ、さらに真言密教の立場に立ち、中臣祓の注釈という形をとって両部神道を説く本書が現れた。編者はおそらく、やがて伊勢神道(度会(わたらい)神道)を唱える外宮(げくう)(豊受大神宮)祠官団と密接な関係にある者と推定される。
大祓詞(おおはらえのことば)は、神道の祭祀に用いられる祝詞の一つである。もともと大祓式に用いられ、中臣氏が専らその宣読を担当したことから、中臣祭文(なかとみさいもん)とも中臣祓詞(なかとみのはらえことば)とも略して中臣祓(なかとみのはらえ)ともいう。

大祓詞は元々は毎年6月と12月の末日に行われる大祓で、犯した罪神道の観念による「罪」であり、犯罪とは意味合いが異なる)・穢れを祓うために唱えられた祝詞で、中臣氏が京の朱雀門で奏上していたことから中臣祓の称がある。

大祓詞は、当初、大祓の際に参集者に対して宣り聞かせるものであったが、後に神に対して唱えられるようになった。中世には陰陽道や密教と結びつき、陰陽道の呪言や仏教の経典のように、唱えるだけで功得が得られると考えられるようになった。さらに、唱えれば唱えるほど功得が増すと考えられ、何千回、何万回も唱えるようになり、より唱えやすくするために、大祓詞の要点だけをまとめた「最要中臣祓」「最上中臣祓」が作られた。特に仏家神道、儒家神道で重視され、『中臣祓訓解』『中臣祓風水草』などの大祓詞の注釈書も書かれた。

現在では大祓の際に参拝者自らが唱えるほか、神社本庁包括下の神社では毎日神前にて唱えられている。神社本庁のほか、各種の教派神道・神道系新宗教の一部でも使われているが、教団によっても多少の差異がある。

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>「祓」(はらい)
~罪や穢けがれを取り去り清浄へと導く~

キリスト教の罪と穢と同じ意味だ。穢とは正しき神が付いたこと。
罪とは仏法や天皇に疑いをもつ、社会のシステムがおかしいななどと考え出すこと。疑いを持たない従順なマインドコントロールが解けていくこと。

>~古代から続く祓い・清めの伝統~

悔い改めの伝統と≒なんだ。
中臣氏
物部氏とともに仏教受容問題で蘇我氏と対立した。中臣鎌足は645年の大化の改新で活躍し、669年の死に臨んで、”藤原”姓を賜った。以後鎌足の子孫は藤原氏を名乗ったが、本系は依然として中臣を称し、代々神祇官・伊勢神官など神事・祭祀職を世襲した。

◉藤原氏=中臣氏=大祓詞=神祇官・伊勢神官など神事・祭祀職=神社本庁・各種の神道宗教!
中臣祓訓解は『延喜式』や『朝野群載』に収める大祓詞=延喜式は律令の施行細則。
◉藤原氏=唐原氏!


⭕️もとのBlogの引用に戻ります(;´Д`)

高野物語』(十三世紀中頃成立)では、「大日が魔王の子となり、わが国を受継ぎ、子孫を国王とした。」という話になる。

やはり大日はヤバそうだな・・・・何度も出てくる。武則天が名付けた日本の日だしな。(;´Д`)

また、『通海参詣記』(十三世紀末頃)には、「イザナギ・イザナミの二尊がこの国を創ろうとして、第六天魔王に国を譲り受けたとき、仏法を忌むと申し出た。』とされる。

通海参詣記(つうかいさんけいき)
鎌倉時代後期につくられた伊勢神宮(大神宮)信仰の解説書。2巻。著者通海の名により《通海参詣記》と呼ばれることが多いが、正しくは《大神宮参詣記》。通海は神宮祭主大中臣隆通の子で・・・・。

第六天魔王が元々の日本の神であり、国譲りと仏法忌避の誓約が、この説話の重要な要素である。

これらは室町期に作られた『神道集』や『太平記』や幸若舞『百合若大臣』などに語り継がれて、広く流布した。

織田信長など朝廷から政権を奪う実力者は、第六天神との約束を破り、(破るじゃないよなw)朝廷が仏法に染まる為に、第六天神を信奉する自分達が、政治権力を掌握するは理にかなうとするものであり、朝廷に反発する東国武士に特に人気が高い神であった。

この仏教が正しいと思う思い込みで、皆さん、大事で最重要な知識を知っていても、謎が解けないんだ・・・!(;´Д`)

織田信長が仏教の総本山である比叡山を焼き討ちにしたところ、熱心な仏教徒である武田信玄が抗議の書状を信長に送った。

信長は反論の返信を送り、第六天魔王信長と署名したことは有名。

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第六天魔王信長(笑)

豊臣秀吉は、信長の力の源泉が第六天魔王にあるとし、信長の痕跡を嫌い、西日本にある第六天社を尽く廃社にした。

これは朝廷に近い関西からか、作り話で豊臣秀吉が廃社にしたと罪を押し付けている気がするんだよ。近くにいて信長の力の源泉が第六天魔王にあると知っていたら、それこそ自分も祀るよな。この沢山流れている説は、辻褄が合わずソースもなく説明になっていないんだ。雰囲気のイメージ操作だけなんだ。
それと信長の家来をしていた頃から、秀吉はキリスト教に敵対していたのも分かった。

そもそも、バテレン禁止令そのものが、第六天魔王側の精神。信長は仏教を焼き討ち。秀吉はキリスト教徒処刑。仏教とキリスト教は同じだ。片方謎を解けた者は、ワシのようにもれなくもう片方も理解する。

しかし家康の勢力圏である東国には及ばなかった。その為、西日本にはなく、関東を中心に東日本に多い。

現在も復活して伝えられる「石見神楽」の”八幡”には、「天竺から飛びきたる第六天の魔王」を退治したのは「宇佐八幡神」とする。

また、謡曲「第六天」では、煩悩の悪魔とされ、解脱上人が祈るとスサオオノ尊が天空から現れて、打ち負かされた第六天が通力を失い、虚空に消える。能「第六天」も情景の違いがあるだけで、結末は同じものである。

一気に消せないから、弱い神にして広め洗脳しご利益を減らしたんだ・・・(・・;)
でも命の大ピンチの戦争になると弾除けのご利益があるので、お参りに来た・・・(・・;)

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富士樹海の魔王天神社(第六天神系)戦前には弾避けとして人気を集めた。4月18日例祭日には、神楽が奉納され古代信仰の研究者がしばしば訪れるという。境内までは急な100段ほどの石段を登る。

拝殿の後ろには、おびただしい奉剣が御幣の代わりに祀られ、大きい三叉戟(さんさげき)、3本も祀られている。

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三叉戟とは3つの穂を有する槍で、武器としてのほか、漁業にも使用された。ギリシア神話、及びローマ神話の海の神であるポセイドンネプトゥヌス、インド神話におけるシヴァの武器とされる。

当社には本殿はなく魔王の山をご神体としてとして拝礼している。

富士山??

本殿には沢山の鉄剣が奉られており、剣の神は風を切り分けることが出来ると考え、作物を風の害から守ってくれる風の神様「おだいろーさま」として村民に信仰されている。台風などで農産物に風の被害が予想されるときには無事を祈ったとされている。

魔王という恐ろしい名の神であること、経津主神という剣を神格化した武神であることから、先の大戦には、弾よけの神、武運長久の神として近郷近在から信仰をあつめた。

古代史の研究家によると大六天・魔王天の神社はかなりの数あったといわれているが、明治の廃仏毀釈のより、魔王天のような天部の名のついた仏教的神社は廃止された。

神社名は改名を余儀なくされ、天神社(祭神 菅原道真 すがわらのみちざね)に改変した神社が多かったといわれているが、当社は、村人が魔王さまの名前を変えることなど恐れ多いとしたためか、中央の省庁から離れた神社であったためか、現代までこの神社名が奇跡的に残された。

⭕️なるほど・・・!!天神社は元は第六天魔王だったのか・・・

この富士山麓の第六天神社の今の入れ替えられた御祭神は・・・
剣の神:経津主命(ふつぬしのみこと)

日本神話の神、「日本書紀」で天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受け、武甕槌神(たけみかずちのかみ)とともに大国主命(おおくにぬしのみこと)に出雲の国譲りをさせた神。

剣の神:経津主命

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建御雷神 関連氏族 中臣氏(藤原氏)_| ̄|○iii
神祇 天津神

天津神・国津神(あまつかみ・くにつかみ)は、日本神話に登場する神の分類である。これはヤマト王権によって平定された地域の人々(蝦夷、隼人など)が信仰していた神が国津神に、ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。
国津神については、記紀に取り入れられる際に変容し、本来の伝承が残っていないものも多い。

天津神は高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称、国津神は地(葦原中国)に現れた神々の総称とされている。

建御雷神かその父伊都之尾羽張を下界の平定に派遣したいと所望したが、建御雷神が天鳥船(アメノトリフネ)とともに降臨する運びとなる。出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立った建御雷神は、十掬の剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てて、なんとその切っ先の上に胡坐をかいて、大国主神(オオクニヌシノカミ)に対して国譲りの談判をおこなった。

大国主神は、国を天津神に譲るか否かを子らに託した。子のひとり事代主神は、すんなり服従した。もう一人、建御名方神(タケミナカタ)(諏訪の諏訪大社上社の祭神)は、建御雷神に力比べをもちかけるも、手づかみの試合で手をつららや剣に変身させ、怯んだ建御名方神はその隙に一捻りにされたため、恐懼して遁走し、科野国の洲羽の湖で降伏した。

これによって国譲りがなった。このときの建御名方神との戦いは相撲の起源とされている。

相撲は禁止!( ̄▽ ̄;) 神事じゃ無い、闇の陰謀なんだね!!(笑)


⭕️前のnoteで説明した話に戻る。

『沙石集』

日本・中国・インドの諸国に題材を求め、『徒然草』をはじめ、後世の狂言・落語に多大な影響を与えた。

太平記

『太平記』は、日本の古典文学作品の1つ。日本の歴史文学の中では最長の作品とされる。ジャンルは軍記物語。成立は室町時代。

表題の「太平」は、支配者の平和を祈願する意味で付けられていて、悪党からすると怨霊になる神様の鎮魂的なもの。第二次世界大戦後、「太平記」を称する小説やテレビドラマが多く作られた。

今川貞世の『難太平記』に法勝寺の恵鎮上人(円観)足利直義に三十余巻を見せたとの記事があり、円観、玄慧など室町幕府との密接な関わりを持つ知識人を中心に編纂されたと考えられている。室町幕府3代将軍足利義満や管領細川頼之が修訂に関係していた可能性も指摘される。

上の方で話した、
>これらは室町期に作られた『神道集』や『太平記』や幸若舞『百合若大臣』などに語り継がれて、広く流布した。

⭕️これや・・『沙石集』や『太平記』や、他にも有るけど。これを朝廷と高僧たち知識人作った意図はプロパガンダだ・・・今の司馬遼太郎だ、TVだ、ハリウッドだ、Netflix、You Tubeだ!

法勝寺?聞いたことがないよ?

法勝寺(ほっしょうじ)は、平安時代から室町時代まで平安京の東郊、白河にあった仏教の寺院である。白河天皇が1076年(承保3年)に建立した。院政期に造られた六勝寺の一つで、六つのうち最初にして最大の寺である。皇室から厚く保護されたが、応仁の乱以後は”衰微廃絶”した。

院政時代=上皇(天皇)が院宣や、院の庁下文(くだしぶみ)を発給するなどして国政を掌握し、その実権は朝廷・摂関家をしのいだ。のちに武家政権と対立した。

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法勝寺・・・朝廷を何度も移す時、民を飯も出さずタダ働きさせたが、これもそうなんだろうねぇ〜〜。
応仁の乱は調べないとねぇ〜〜(;´Д`)

創建法勝寺の地藤原氏の別荘地(白河別業)だったが、藤原師実が白河天皇に献上した。天皇はこの地に寺院を造ることを決め、1075年(承保2年)に造営を始め、1083年(永保3年)に高さ約80メートルとされる八角九重塔と愛染堂が完成した。高い九重の塔は京に東から出入りする人から良く見えたという。

白河天皇は「神威を助くるものは仏法なり。皇図を守るものもまた仏法なり」と、仏教を保護して統治する伝説上の金輪聖王転輪聖王)にならって法勝寺を建立した。代々の天皇の尊崇を受けた法勝寺を、後に慈円は「国王の氏寺」と呼んだ。「国王の氏寺」とは単なる「家」としての天皇家の氏寺という意味だけでなく、太政官機構の頂点に位置する"日本国の王"の寺院でもあった。


転輪聖王・・アショーカ王出たあ〜〜!!!

転輪聖王(てんりんじょうおう、転輪王とも)は古代インドの思想における理想的な王を指す概念。地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備えるという。サンスクリット語ではチャクラヴァルティラージャン(cakravartiraajan चक्रवर्तिराजन्)或いは単にチャクラヴァルティン(cakravartin चक्रवर्तिन्)という。チャクラは「輪」、ヴァルティンは「動かすもの」の意味。

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転輪聖王の代表的なものがアショーカ王と紹介されている感じだね。

この転輪聖王の時代が終わると、再び世は暗黒の時代へと移行していくという〜〜しゃなくて。闇の支配者ユダヤが暗黒の時代に移行するんだ。ジョージ・H・W・ブッシュのNWOの平和と同じだよ。

もう一つ、転輪聖王
全世界を統治するとされる理想の王のこと。転輪王、輪王ともいう。天から輪宝という武器を授かり、国土を支配するとされる。その徳に応じて授かる輪宝に金・銀・銅・鉄の4種があり、支配する領域の範囲も異なるという。金輪王は四大洲、銀輪王は東西南の3洲、銅輪王は東南の2洲、鉄輪王は南閻浮提のみを治める。▷四大洲/閻浮提

金輪聖王
全世界を統一し、正法をもって治めるとされる転輪聖王のうち最高位の輪王のこと。▷転輪聖王

繋がったぁあ〜〜〜〜!!!


⭕️室町時代のプロパガンダの話に戻る!(滝汗)

石見神楽(いわみかぐら)
−島根県浜田市 石見之國伝統芸能−石見神楽公式サイト−

神楽っ!!「宇佐八幡神が第六天の魔王を退治」
(;´Д`)

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日本人の敵!天皇日本国を学ぶのに良い。

龍と天皇朝廷は敵同士。龍が神だと思う西側諸国までふくめて、地球人類は思う。朝廷の敵はシヴァ神。蛇神様だ。龍は巨大蛇だ。

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天皇・朝廷のデマの歴史の古事記や日本書紀を、大衆に娯楽で頭の中にインプットさせると・・。

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善悪が分かりやすい単純なストーリー。B層を洗脳するには最適だ。善悪がひっくり返っているストーリーだとは大衆は気づけない。キリスト教徒の面倒くささでお馴染みだ!(;´Д`)

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恵比寿さまを”ゆるい”神様に貶める。

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元寇はあったけど、国内の民を苦しめていたのは天皇だろうが。バレきっているよ。※元寇は殆ど脅しに来たようなもので、すぐ帰っちゃったんだ。

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大蛇・龍VS第六天魔王・シヴァ神

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この第六天神社の話もまた。

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つづく


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