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優等生アレルギー

「私は○○ちゃんみたいにかわいくないし、運動もニガテやから、せめてお勉強だけはがんばろう。」

小学校の入学式での記憶である。
体育館でのお式のあと、教室に戻って、担任の先生から色々説明を聞いているときに、そう強く思った。
あのときのことは、映像ごと鮮明に覚えている。
真面目で、かわいらしいような、健気なような、一方で、謎の切実さが少し痛々しいような気もする。
かわいくなくても、運動ができなくても、そのうえお勉強ができなくても、きっと変わらず両親は私を愛してくれただろう。
極端な話をすると、犯罪者になったって、両親は私を愛してくれるのではなかろうか。
私は、本当に家族に恵まれている。
昔も、今も。

それからの私は、その決意のままに、お勉強と水泳だけは得意な優等生になった。
学校でも塾でも、テストでは常に良い点をとり、漢字テストにいたっては、クラスで1番、が数回。
もちろん、宿題忘れなんて6年間まったくなかった。
高学年になると、文化祭のような行事の実行委員にもなったし、児童会(生徒会の小学生版)の委員にも選ばれた。

中学にあがっても、優等生ぶりは変わらず。
髪を染めるとか、流行りのルーズソックスを履くとか、お化粧をするとか、風紀を乱すことはまったくしなかった。
爪の長さにも気をつけていたし、前髪が伸びてくるときちんとピンでとめ、後ろの髪が肩にかかるようになると、きちんと結んだ。
大人になれば、嫌でもお化粧や髪染め(白髪染め?)をしなければならないときがやってくるし、そんな何の変哲もない地味なセーラー服にアクセサリーを付けたところで何になるのか。
ルーズソックスなんて、元々太い足をさらに太く見せるように感じてしまって履けなかった。
(かわいくない子供だな。好んで履いていた方すみません……。)
定期テストや実力テストも、最初はみんな頑張るので160人中10位以内といったところだったのだけれど、コツコツ頑張って、1年生の2学期以降は常に5位以内だった。
クラス委員にも何度かなったし、市の英語弁論大会や百人一首大会、テーマ作文など、学校を代表して参加した。
先生の覚えめでたし、立派な優等生だった。
その最たるものは、卒業式の答辞の書き手読み手だった。

さて、ここまで、お腹がはち切れそうな自慢話にお付き合いいただきありがとうございました。


しかし、優等生であるばっかりに、面倒事に巻き込まれることも多く……。

私の住んでいる市内の中学校は荒れているところが多く、私の通っていた中学校は随分マシなほうだと思っていたのだけれど、高校にあがって以降、友達などに出身中学校のことを話すとドン引きされるほどには荒れていたようで。
まず、開校10年にも満たない新しい公立中学校にもかかわらず、3年生のフロアのトイレは煙草くさい。
鞄を放置していると財布を盗まれるのは当たり前。
傘立てに無記名の傘を立てていても盗まれる。
授業中、立ち歩いている、廊下に出て騒いでいる子がいるのも当たり前。
授業中、誰かしら喋っていて、シーンとしている授業なんてなかった。
ときどき、他校の不良が、自校の不良に喧嘩を売りにきていた。
(女同士だと髪のひっぱりあいになるから、「めっちゃ髪抜けるねん!」と教えてもらったことがある。)
気に入らない奴は、近くの公園か、学校の各フロアに謎に設けられた多目的室にお呼び出し。
聞いた話では、2人のオマセさんが「調子こいてる」と因縁をつけられ、公園にお呼び出し、土下座させられたうえで、さらに何度もかかと落としに遭う……ということもあったらしい。
おー、こわ。

さて、このなかで、私が巻き込まれる面倒事といえば、「お呼び出し」だった。
先生の覚えがめでたいおかげで、公園に呼び出されたり、土下座やかかと落としみたいな派手な目には遭わなかったけれど。
何せ、私のことは先生に筒抜けだったので。
だいたい、廊下のすみっコや、多目的室のすみっコに「お呼び出し」。
先生の覚えがめでたいほどの優等生、しかも物理的に声がデカくて目立つ…から、不良には目をつけられてしまっていたのだ。
「大人しい、地味な、優等生」だったら、そのようなことはなかったのだろうけれど。
彼女達が私を呼び出す理由はこうだ。


【ケース1】
音楽でソプラノパートのリーダーになったとき、音楽の授業中にも関わらず教室のすみでサボっている不良がいたので、何度も練習に参加するよう伝えにいった。
そのあとの休み時間に呼び出される。
相手は無関係な仲間を引き連れ、私1人を呼び出す。
「あんなに何回も呼ばれたら、余計にやる気無くすやんかぁ。謝れよ。」

……なんという屁理屈。
私が呼びに行こうが行かまいが、どうせやる気なかったじゃないか。
それを、全部私のせいにするな!
全部、自分の問題ではないか。
だいたい、音楽の授業中に歌の練習に参加するなんて「当たり前」のことでしょ!?
そして?
「やる気ない、なんかダルい……」気持ちを、悪くない私の謝罪をもって、優越感に浸って、残り1日のテンション上げていこうと?
あんたの機嫌のためになぜ私がひっぱり出されなければならない!?

……言えなかったけれど。


【ケース2】
「あんた、こないだ私の悪口言ってたらしいな?なんなん?言いたいことあったら本人に堂々と言えよ。」
こちらも、無関係の仲間を引き連れて、私1人が呼び出される。

……いやいや、悪口を言うことは良いことではないから、悪口を言った私も確かに悪いけれど、あんた人のこと言える?
あんたこそ、本人のいない場所で、それはそれは口汚い言葉でとめどもなく悪口言っているの、何度も見たことあるよ?
私と比べようもないくらいに。
ときには差別用語も使って。
しかも、こういう卑怯な「お呼び出し」なんてするから、悪口言われんだよ。
私があんたに面と向かって悪口を言って、謝罪するかわりに、あんたが言っていた悪口をすべてこの場で羅列してやろうか?

……こちらも、言えなかったけど。

ちなみに【ケース2】は冤罪も含めて複数回あった。


私の言い返せなかった理由とは。
別に不良が怖かったわけではない。
いや、ある意味、怖かった、と言えるかもしれない。
13歳から15歳までの私が、当時もっとも恐れていたこと。
「け!優等生め!」
と、言われることであった。
たった小学1年生の頃に決意したこと、それは相変わらず守られていて、実際に相変わらず優等生だったのだけれど、いかんせん、思春期。第2反抗期。
面と向かって「優等生」という言葉を放たれてしまうことは、「ダサい」と言われることと同義だった、当時の私にとっては。
思春期に「ダサい」はなかなか堪えるものである。

どうしても、相手の口から「優等生」という言葉をひっぱりだしてはならない。けっして。

そう思うと、相手の言い分に対して正直に感じたことを言えなくなってしまう。
諦めてカタチだけの謝罪をしたり、しな〜っとかわしたりして、悔しくて悶々とした気持ちを抱えながら1日を終える。
家に帰ってから、悔しさのあまり、泣いてしまうこともあった。

当時の私は、優等生アレルギー、優等生と言われることを過度に恐れる病にかかっていた。


その後、私はわりと偏差値の高い私立の女子高に入学。
まわりは女子ばかり、優等生だらけ、というか勉強が大事すぎて相手がどんなキャラだろうと構ってられない…という空気と、上には上がいて、私は完全に落ちこぼれてしまったことから、またたく間に優等生アレルギーなんて治ってしまった。
大学のときも、留年しない程度に勉学に励みつつ、実際はサークル活動ばかりやっていたので、もはや優等生のyuraはどこへやら…、マボロシ?みたいなかんじになった。

今は、結構「優等生」キャラが求められる職業に就いているので、優等生yuraは少〜しだけ戻ってきたけれど。


色々経験して、オトナになった今なら言える。
どれだけ「優等生」とバカにされようと。
今の私の心が、当時の私に乗り移ったとしたら、きっと話は永遠に平行線を辿るのだろうけれど、優等生な意見を持って、堂々と相手に言い返せる。

あんたの言い分は、屁理屈だと。

いくら喧嘩がこじれても、悔しい思いを悶々と抱えてこっそり泣くことはない。
喧嘩がこじれても、いくら相手と分かりあえなくても、その方がずっと健全。
そして、その方が「メンドクサイやつ」認定されて、「お呼び出し」も減っていたかもしれないなぁ。


ちなみに、この話を、数年前に上司に話したところ(仲良しだな)、「私やったら、そもそも行かんけどな。」とすぐさま返ってきた。
それもまた、自分を守るひとつの手段だったかもしれない。



あとがき。

しかしまぁ、先生にとっては優等生ほど記憶に残らないようで。
私は教師ではないけれど、ときどき職場で当時の先生方に偶然お会いすることがある。
先生は、半分私のことが分かっていない雰囲気で、「あぁ!」と言って、そこから話し出す思い出話と言えば、必ずと言っていいほどヤンチャだった生徒のことなのである。
私はせっかく優等生で、先生の手を煩わせなかったじゃないかぁ〜。
先生方、あんまりだよぉ〜。



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