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子どものかけら : 独り言




先日、
小学生の男の子のお母さんに、

「先生みたいな人が担任だったら、
 息子も学校に行くのに…。」

と、言われた。

そうは言っても…。

私は先生ではない。
しかも、のだめのカンタービレののだめが、いくら保育園の先生になりたかろうと、誰も賛成しないように、
私も、子供と率先して崖を駆け降りたり、幼少に柔道を教えられているせいで、子供が飛び付いて来ると反射的に背負い投げしてしまう。
安全対策を張り巡らせたこの世界で、転ぶ事さえ許されないのに、私が担任の先生になる事を喜ぶ親はごく僅かだろう。


でも、
私が
「え?」
と、思ったのはそこじゃない。
『先生みたいな人』…だ。
私は私みたいな人に出会った事がない。
私が私を評価するに、私は至って普通で、中の中の中だ。
蛇足だが、私は私の事が大好きだし、面白いと思うし、優しいと思うし、もし、私みたいな人がいたら、きっと大好きになるだろう。
だけど、私みたいな人に出会った事がない。
でも、私に限らず、この世界に自分と同じような人っていないんじゃないだろうか?
この世界に人間は沢山いるけど、みんな、みんな、違うのだ。
『みんな違って、みんないい』
…と、金子みすずも言っている。

だからその子のお母さんに、
「私と同じ人はいませんよ。」
と、正直に言ってしまった。
それは、
この世には、好きな人も嫌いな人も混在しているって事だ。

ただ。
私と他人の差異は、
その人のこの部分が嫌いと思うけれど、じゃあ、その人を嫌いかと言うと、
好きでも嫌いでもない。
私の中の世界には、好きでも嫌いでもない人がほとんどだ。
どうも他の人は、その人の嫌いな部分から、その人自身を嫌いになるようだ。


そんな事を思い出しながら、
タイカレーのつけ麺がやって来るのを待った。

5月なのに気温は30度を超えていて、
アスファルトに照りつける太陽がジリジリしている。アルミサッシの薄いガラスから容赦なく陽が照りつけていて、座っているだけで汗が吹き出す。

庭の景色を見ながら、夏休みのだらんとした午後を思い出した。
そのだらんとした午後は、時間は無限に思えて自分もだらんと弛緩し、
「はー、ようやっと力が抜けた。」
と、思え、幸せな気分になった。
きっと、
子供の時の夏休みは美しく幸せでしかなかったんだ。
私の体には、そのかけらが眠っていて、あの時の光を見つけると、幸せに帰っていく。




子どもが私になつくのは
…。
私の体に子どものかけら沢山残ってるからだ。


と、なんか納得してしまった。
だってさ、地球って面白い事が沢山あるんだもの。大人になんかなってる場合じゃない。





ひとしきり納得したら、
タイカレーの米粉麺のつけ麺がやって来た。
暑くなるとタイカレーが美味しくなる。
冬だって美味しいけど、
ナスやパプリカの美味しさが違う。




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