人間を機械にたとえてみよう

女は産む機械だとすれば、男は産む機能が欠落した機械だ。これに関して、ついったーで何回かつぶやいた気がするんだけれど、文章にしておこうと思う。

型番XXとXYがあるわけだ。それぞれの平均的な特徴は以下のようになる。

XXには産む機能がある。XYには産む機能が無い。
XXはXYよりメンテナンスにコストがかかる。(生理とか)
XXよりXYの方が機械的な力が強い。(筋力が高い)
XXよりXYの方が大きい。(身長や体重の値が大きい)
XXよりXYの方が免疫力が弱い。(コロナでも死亡率に差が出た)
XXよりXYの方が能力のばらつきが大きい。(犯罪者も天才も男の方が多い)
XXよりXYの方が寿命が短い。(平均寿命に差がある)
XXよりXYの方が座学の習得という面では苦手らしい。(機会の平等がある程度達成されたらしい海外のいろんな国では大卒の割合が女性の方が高くなっているらしい)

(個人的にはXXよりXYの方がメンタルが脆弱というか、行動力があるというか、他の解決方法より自死を選ぼうとすることが多いような気がしている。自分の性犯罪がばれただけで自殺したりするし)

女は産む機能があるがメンテナンスコストが高く、馬力は無いが体が丁寧に作られていてばらつきが少なく丈夫で寿命が長い。男は産む機能を持たないがメンテナンスコストが低く、体が大きく強く作られているが当たり外れも大きくなにかと死にやすい。と私は認識している。

元々は型番XXとXYのマニュアルを作ったとしたら、厚さが全然違うだろうなという話を考えていたのだ。XXの産む機能とそのメンテナンスに関わる項だけで、何ページになるのだろう。そう思うと、どっちが良いとは言わないが、型番XXはマニュアルのクッソ分厚い機械で手はかかるが壊れにくく、型番XYはマニュアルを読まなくても使えるが壊れやすくて当たり外れがあるけど用途により非常に便利という感じだなあ。

もちろん個体それぞれをみれば、XXだけど産む機能がなくてメンテナンスコストは普通にかかる個体や、XYだけど力が弱いしメンテナンスコストがかかるみたいな個体もいるだろう。それは別によくて、上記はあくまで平均的な話だ。そして人間は機械ではない。

まあ、生き物としての基本はXXなので、確かにXYはいかにもそこからの派生、という感じはある。

女を機械にたとえてしまうと、機械としての男はそこまで優れたものでもないのでは?と思ったという話。どっちも必要で力を合わせればいいんじゃないのという話。


以下は書いてて言いたくなったこと。

よく女は責任感がないとかいうけど、障碍児が産まれたり配偶者が重病になった時に逃げることがより多いのは男らしいので、本当に命や人生に関わる重大な局面で逃げるのはどちらかといえば男の方だと思っている。他の人間でも代わりが利くようなところでは、女の方が逃げる傾向はあるとは思う。逆に男って代わりがいくらでもいるのに、自分がいないと回らないと思い込んでそこから逃げられないこと多いような気がする。そこで逃げた人間を「責任感が無い」って表現してることないか?無責任な女がたくさんいることは否定しないが、無責任な男もたくさんいるし、自分の子供からすら逃げる男も女より多い割合でたくさんいるので、主語のでかい話はやめて欲しい。

なんでそんなに女を下に見たがるんだろうな。後天的な刷り込みはでかいと思うけど、その女から産まれてきているのになあ。またそういう男は母親が女であることが認識できていないことも多い気がする。母親を何だと思っているんだろう。あれか。自分自身も人間として認識できていないっていうやつ。男という役割だから女より上。母親は母親という役だから女ではない。女は男より下で愚かな存在。みたいな感じか。まあ、男性は特に自分が生き物であるっていう実感を持てる機会は確かに女より少ないかもしれない。自分自身の血液でさえ日常で見ることがあまりないんだから。若いうちはだいたい丈夫で体は自分の思うままに動かせるから身体と自分の意識の乖離みたいなのもあまりないんだろう。そうすると概念とか役割だけで人間や人間の社会を把握してしまうという可能性もありえてきそうだ。人間が生き物だと思ってないから自分の意思に反して体が生き物としての生活をやっている女の状態が理解できなかったりもするだろうし、生き物としての自分も理解できなかったりもするかもしれない。うーん。もっと人間を生き物としてとらえる経験が男女ともに必要かもしれない。どうしたらいいだろうな。

私自身はなんで自分をこんなに生き物として捉えたがってるんだろう。頭も体も思うようにならないことが多かったと思っているからかな。うまく動かない原因を求めていけば、どうしたって自分自身の身体の分子的な機序とか考えざるを得ないもんな。それか、生き物の一種だと考えた方が、楽しかったり、安心できたからかな。どれだけ残虐なことをやっている人間がいても、そんなものだろうと思うことができるし(思いたくないが)、姿かたちの全く違う他の生き物と自分に共通点があるのは嬉しい。いや、ただ単にそれを前提にするのが一番妥当で、確からしくて、あらゆることを説明するのに今のところ最適だと考えているからか。うん。これだな。社会のこととか考える時に今一番必要だと私は信じているんだな。そういうことだ。

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